メガFTA動き出す 農と食にどんな影響が出てくるか
新型コロナウイルスの蔓延はグローバルに広がる人と物の移動がもつもろさを見せつけましたが、依然として国境を越えての経済の自由化は進む一方です。日本では最も新しいところで日米貿易協定が2020年1月から動き出しています。それに先立ちEUとの経済連携協定(EPA)、TPP(環太平洋経済連携協定、米国を除く11カ国)が動き出し、現在ASEAN(東南アジア諸国連合)、中国、韓国、インド、オーストラリアなど16カ国が参加するRCEPの交渉が進んでいます。こうした動きが人びとの日常に何をもたらすのか、生活に直結する食の問題を軸に追ってみました。
◆交錯する自由貿易と保護主義
とりあえずいま動いている日米貿易協定、11カ国が参加するTPP11、EUとの経済連携協定(日EU‐EPA)はどれほどの規模なのか、をみておきます。日米、TPP11、日EU‐EPAで世界の国内総生産のほぼ6割をカバーします。この三つの貿易協定を総称してメガFTA(自由貿易協定)と呼ぶこともあります。さらに中国、インドという大国が交渉に加わっているRCEPは世界人口の半分をカバーします。日本も加わる自由貿易の巨大な経済圏が存在することになるのです。
その一方で、トランプ米大統領の出現に象徴される保護貿易の流れが大きなうねりとなって世界を覆っています。強大な国力をバックに二国間協議で主張を押し通すトランプ流の交渉に各国が従わざるをえない状況が生まれています。その典型が日米貿易協定です。自由貿易と一国保護主義が交錯しあいながら、米中二大強国の覇権争いに世界経済が飲み込まれていく、そんな現実のなかで行われた日米貿易協定の交渉の流れを見ると、日本政府はトランプ政権のいうがままその主張を受け入れた実態が浮かび上がります。安倍政権は国会での審議を大幅に省略し、強引に協定案の国会承認を取り付けました。衆議院の審議時間はわずか14時間、衆参合わせても22時間というものでした。TPPの場合、審議時間は衆院だけで70時間を超えていました。東京新聞は今年2月16日の社説「溶けていく民主主義」で「消費者や農業に重大な影響がある協定が十分な国会での議論を経ず決まったのです」と指摘しています。
審議時間だけでなく野党の質問に対する政府側の答弁もいい加減なものでした。例えば日米協定の付属文書では「米国は将来の交渉において、日本の農産品に関する特恵的な待遇を要求する」と書かれています。日米協定はこの5月ごろから新たな交渉が始まる可能性がありますが、付属文書はその際はコメなど今回の交渉には含まれていなかったものも交渉の対象になることを示唆しています。こうした疑問に政府側は正面から答えることなく、「米国の意図を記しただけ」「日本側が義務を負ったわけではない」というはぐらかしの答弁を繰り返しました。市民団体「TPPに反対する人々の運動」世話人で、協定交渉過程をフォローし詳細に分析した近藤康男さんは、「政府の答弁は『桜を見る会』問題での安倍首相並みのいい加減さ」と評しています。
◆劣化する農業生産力と地域社会
では、メガFTAで食の分野ではどのような影響が考えられるのか。日米協定発行直前の2019年12月23日、農林水産省が農産品への影響試算を明らかにしました。それによると、農産品全体で生産額が600億円から1100億円減少するとしています。これに11カ国が加わるTPP11による影響を加えると1200億円から2000億円の減少が見込まれています。しかしこれはマイナスの影響を出来るだけ小さく見せたい政府の思惑が絡んだ数字です。農民団体である全日農が発行する『農民新聞』2020年1月25日号は東京大学の鈴木宣弘教授の研究室の試算を次のように伝えています。
日米協定による農産物の生産減少額は9500億円。これは農水省試算のほぼ10倍にあたります。農産品のなかで特に影響が大きいのは畜産です。農水省試算では日米協定だけで牛肉が237億円から474億円、牛乳・乳製品が161億円から246億円、豚肉が100億円から217億円、鶏肉が24億円から48億円、生産額がそれぞれ減少します。注目されるのは自給率が12%しかなく、国産品が大幅に不足している小麦で34億円も生産額が減ってしまうことです。輸入小麦には発がん性のあるグリホサートなど除草剤が残留していることから、国産小麦を求める消費者は多いのですが、これではますます国産小麦は高嶺の花になってしまいます。
鈴木研究室の試算はもっとシビアです。TPP11、日EU-EPA,日米貿易協定によって牛肉の自給率は現在の36%が15年後の2035年には16%に、豚肉は49%が11%に、牛乳・乳製品が66%から28%に下がるとしています。コメ、野菜、果実など耕種作物の自給率を軒並み下げます。
なぜこんなに国産の農産物生産力が減るのか。メガFTAによって輸入関税が大幅に下がり、その分輸入農産物の価格競争力が高まって国内農産物が市場から追い出されるからです。食肉の関税は、牛肉が38・5%、豚肉が高価格帯で4・3%、低価格帯がキロ当たり482円でした。それが段階的に下がり、牛肉は15年目に9%に、豚肉は高価格帯が9年目にゼロに、低価格帯がキロ当たり50円とほぼ10分の1になるのです。そのほか15%の関税がかかっていたワインが7年目にゼロ、チェダーチーズ29・8%だったものが15年目にゼロになります。
メガFTAで輸入食品の価格が下がり、それにつれて国産農産物も値段が下がるということで、「消費者には朗報」という新聞記事やテレビ報道がありました。本当にそうなのでしょうか。都市生活者は「食品の値段が下がった」と喜んでばかりもできません。二つの方向から農村ばかりでなく都市のくらしを襲います。
一つは、国内農業生産力の弱体化が進み、働き手が農業や地方から去り、地域社会、地域経済が疲弊するという問題です。農業など第一次産業の衰退は、その分野だけにとどまらず、全体の経済のバランスが取れた経済の構造、安心して暮らせる社会の解体を招くのです。
鈴木研究室の試算によると、基本食糧であり、日本の農業の根幹の作物であるコメの場合、2030年に生産量が現在の6割程度の670万トンに下がります。稲作農家も大幅に減り、地域社会の人口減と高齢化が進行、地域コミュニティが社会的機能を失って維持できなくなります。
農水省の統計でも、全国で約14万の農業集落のうち集落の存続が危惧される、集落人口が9人以下でかつ高齢化率が50%以上の集落(存続危惧集落)が2045年には約1万集落に増加し、30年間で集落人口が3分の1未満になる集落や14歳以下の子供がいない有人集落も3万集落を超えると見込まれます。これら集落の大部分は中山間地域に所在する集落です。農業集落で戸数が10戸を切ると、農地や自然環境の保全、生活や農林業活動面での助け合いが出来なくなってしまいます。経済のグローバル化は、ローカルなくらしに直結しているのです。
◆損なわれる食の安全
消費者にとって最大の関心事である「食の安全」にとっても、経済のグローバル化は大きな影響をあたえます。これがもうひとつの問題です。「安心して食べられる食」は憲法で定められた生存権に関わる基本的人権のひとつといえます。それが安倍政権によるメガFTAの推進の中で壊れているのです。理由は、食の安全を保障する公的な規制は、自由な貿易を阻害するという考え方にあります。そのため、農薬や食品添加物、遺伝子組み換えなど生命操作技術などさまざまな分野で安全のために規制が緩和されたり撤廃されたりしています。
例えば除草剤グリホサートは2015年国際がん研究機関(WHO=世界保健機関の専門家機関)の発がん性評価基準で「おそらく発がん性がある」というグループに分類され、これを受けて2017年米国カリフォルニア州の環境保護局が発がん性物質リストに追加したという詠歌をたどっています。こうした動きの中で世界各国、特にEUでグリホサートを禁止したり規制する動きが強まっています。ところが日本政府は逆に2017年、農産物へのグリホサート残留基準値を大きく緩和したのです。例えばコムギは改正前5.0ppmだったものが6倍の3.0ppmになりました。
これから大きな問題となることが予測される課題にゲノム編集食品の規制問題があります。日本消費者連盟と遺伝子組み換え食品いらない!キャンペーンが2019年5月からはじめたゲノム編集食品に規制と表示を求める署名運動は、45万筆の署名を集め2010年1月30日に政府に提出されました。これだけの署名が集まったということは、この問題にそれだけ消費者の危機感が高いということを示しています。ゲノムを操作していろんな特性をもつ食品を作り上げる技術が実用段階に入り、日本政府は2019年10月にその流通を認めました。その際、ゲノム編集という技術は自然界の交配と差はないので一部のものをのぞいて表示は必要ないという方針を政府は打ち出しました。
しかし実際にはゲノムを操作する際、安全性への危惧を含め未知の問題はたくさんあります。そのためEU議会などでは表示義務を課すなどの規制を課す方針を打ち出しています。日本政府の方針はそうした危惧を無視し、食べる人をモルモットにしていると、日本消費者連盟は述べています。そして、政府が表示を課さない方針を打ち出した背景には日米貿易協議による米国食品の輸入増大を推進するためだとしています。ここにも経済のグローバル化の影響が色濃くあります。