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ポピュリスト、意識高い系に騙されないために、今こそ知っておきたいヒトラー演説 熱狂の真実

常見陽平千葉商科大学国際教養学部准教授/働き方評論家/社会格闘家
『ヒトラー演説 熱狂の真実』(高田博行 中央公論新社) 傑作です。

私たちは今、独裁者の言葉から学ばなくてはならない。彼らから影響を受けるためではない。自分の身を守るためだ。政治家、経営者など、人の上に立ち煽動する者から身を守るためだ。社会や会社の暴走を防ぐためとも言える。。ポピュリズムの時代、ポストトゥルースの時代を生き抜くためにも、我々は人類がなぜ独裁者の台頭を許してしまったのか、彼らはどのような強く美しい言葉で人々を手懐けていったのかを知るべきである。

ポピュリストの時代である。ポピュリズムの定義、説明は簡単ではないが世界的に既存の政治体制に対する反動が起こっているのは言うまでもない。極右や極左はもちろん、「極中」すら台頭する。支持母体もよく指摘される下層中間層だけでなく、多様だ。

日本の今年の春は、ポピュリズムの「季節」だ。(小生にとってはもう何がなんだか分からなくなっているのが正直なところだが)森友学園問題、豊洲問題などは次のポピュリストを生み出す機会となりえるだろう。というのも、日本におけるポピュリスト的なるものの台頭は、このような問題に対して「改革者」を演じることによって実現してきたからだ。

『日本型ポピュリズム』(大嶽秀夫 中央公論新社)は、1990年代以降、本書が発表された2003年までの政治不信の一定のリズムを指摘している。政治不信(政党とくに与党と官僚への不信)を背景に、ときおりあらわれる特定政治家への期待の高まりと、その退潮とが、何度か繰り返されている。

政治に関する事件や、既存の体制への不満により、突発的な人気を得て、政治への期待を極度に高めた政治家が現れる。佐川急便事件は細川護煕が、薬害エイズ事件が菅直人が台頭する機会となった。歴史をさらに振り返ってみると、ロッキード事件は河野洋平を、リクルート事件は土井たか子の台頭の機会となった。美濃部亮吉、青島幸男、石原慎太郎、田中康夫、横山ノック、橋下徹などの首長も既存の体制への不満により人気を勝ち得た政治家だと言える。

大嶽の指摘する「一定のリズム」は今も続いているのではないか。この森友学園、豊洲問題もそのリズムを生み出す、フェスのようなものである。

一気に大衆的な話となるが、12〜4月の時期は「意識高い系」ウォッチャーとしてたまらない時期である。年末年始、成人式、就活解禁、卒業式、入学式、入社式などがあり、意識高い系が「お気持ち」をSNS上で表明するのだ。これが地に足がついていなくて香ばしく、味わい深い。しかし、一定の共感を得るし、拡散してしまう。

個人的なオススメは新聞で報じられる、大手企業各社の入社式での社長スピーチだ。自分を始めとする経営陣のことは棚にあげ、新入社員に「すごい人になれ」と説教するのは、新聞の成人式社説にも通じる見事な老害芸である。なんせ、社畜の権化のようなサラリーマン社長が「会社人間になるな」と言い切るのだ。あっぱれである。

このような、時代、季節においては、人々を扇動する人々の言葉に対して「本当か」「信じていいのか」と疑う姿勢が必要だ。やや極端なようで、独裁者の話法を知ることは、自分の身を、そして社会を守る手段となり得る。

いま、読むべき本がある。『ヒトラー演説 熱狂の真実』(高田博行 中央公論新社)だ。3月7日に如水会館にて開催された高田先生の講演に参加する機会があり、その内容にうちのめされ、いてもたってもいられず本書を手にとり、夢中になって読んだ。腐った魂を蹴り上げられたような、固い頭に釘を打ち込まれたような衝撃だった。

本書はヒトラーの政界登場からドイツ敗戦までの25年間、150万語に及ぶ演説データを分析した労作である。レトリックや表現などの面から扇動政治家の実像を明らかにしている。

「ヒトラーの演説」と聞いて、皆さんは何を想像するだろうか。声を張り上げ、大きな身振りで聴衆を煽り立てる姿を想像することだろう。

しかし、少しだけ冷静になって欲しい。その光景というものは、どの時期のヒトラーだろうか。実はヒトラーは、最初から演説が上手かったわけではない。しかも、末期の演説は聴衆の心を捉えたわけでもない。

ヒトラーの演説をする光景を一部始終を見たものは少ないことだろう。テレビで紹介されるのは、本の数秒だ。歴史に残る独裁者であるが故に、専門的に研究対象としていた人でない限りは、彼がいつ、何を喋っていたのかは知らないのである。

本書では、ヒトラーの演説の変遷を追っている。彼が演説が上手くなった転機の一つが1932年である。この年、彼は4月から11月にかけてオペラ歌手から発声法とジェスチャーの指導を受けている。言葉とジェスチャーを合わせる手法もこの時期に確立されていった。指導者になる前と後では、使うキーワードも変わっている。

ヒトラー話法のポイントは、心理学を踏まえた話し方だという。ル・ボンの『群集心理』に影響を受けている。大衆集会という共同体に対して彼は話しかける。理性ではなく、感情にアピールする。断言、繰り返し、誇大表現を多用する。あえて曖昧な言葉を使う。意味の極めて曖昧な言葉は、往々極めて大きな影響力を持つのだ。

ラウドスピーカーの導入など、演説の手法も進化している。今に例えると、プレゼンツールに力を入れるようなものである。

個人的に、最も参考になったのは、そして、ポピュリストや意識高い系の話し方にも通じると感じたのは、レトリックの手法である。この本で紹介されているヒトラーのレトリックの手法は、まさにポピュリストや意識高い系が使っているものではないか。

本書や、高田先生の講演で紹介されたヒトラー流レトリックの手法は例えば次の7点である。

1.対比法で選択を誘導する

→2つのみ示し、その2つを対比関係におきコンストラストを際立たせながら、片方の選択を誘導する。「◯◯することで救済されるか、△△でバラバラになって破滅するかのいずれかである」というように。

2.断定法で反論を封じる

→「どの時代も、その時代を支配する理念と対決せねばならない」という風に。

3.繰り返しで耳に流し込む

→「ひとつに」「相並んで」「ひとつになった」「集結」「ひとつの」「共生」などの言い回しを繰り返す。構造の繰り返し=平行法。平行法と対比法の組み合わせ技で強く深く記憶に刻まれる。

4.誇大語法で叩き込む

→「最良の」「最重要の」「最初の」「唯一の」などの最上級表現や「すべての」「どの〜も」などの全称表現。

5.仮定法で強引に方向づける

→自分に都合のよい仮定を行った上で、自分に都合のよい帰結に方向づける。「◯◯なら、おのずと◯◯となり、◯◯となるだろう」

6.メタファーで五感に訴える

→ある事柄を既知の事実に見立てて、その既知の事柄を通じて理解、認識させようとする。よく出てくるのは戦争メタファー(攻撃など)、建物メタファー(崩壊など)、容器メタファー(穴がある)、光メタファー(光り輝くなど)、植物メタファー(開花など)、旅メタファー(原点に戻るなど)。

7.婉曲話法で言いくるめる

→美化語法。不快さの少ない表現、ポジティブな表現で置き換える。抽象語を多用する。「和解」「信頼」「確信」「理念」「意志」「決断」「平和」等。

これらを巧みに利用したのが、ヒトラーだ。

気づけば、「平和の維持」という美名のもと「戦争の準備」をしていたのである。

この話し方、ポピュリスト、意識高い系も同じではないか。

もっとも、これらの「魔法の言葉」が影響力を持ったのは、2つの前提があったからだと本書は指摘する。「ことがらの支え(恐慌による人心の絶望など社会的状況と、そこで成果を出したこと)」と「聞き手の自由意志」である。戦況が芳しくないものになり、さらには演説を聴くことを強要したが故に魔法の言葉の力は失われていった。皮肉なことに、政権を握った1932年頃の演説が最も力を持っていたという結果となった。

私が本書を紹介したのは、今の日本や世界の状況を考えるとこのヒトラー話法の研究は非常に有益だと思ったからだ。ここまで読んで、皆さんは著名な政治家や経営者、さらにはそのカウンター、あるいは身の回りにいる人に対して疑心暗鬼になってしまうかもしれない。

そう、「魔法の言葉」が成立する条件が整っていないか。さらには、こういう話し方をする人が周りにいないだろうか。

森友学園問題、豊洲問題の裏でしれっと共謀罪の閣議決定が行われたりする今日このごろだ。我々は賢くならなくてはならない。一市民として、人類が過ちを繰り返すことに少しでも抗うために、我々は独裁者の話法とそれになぜ市民は熱狂したのかを振り返るべきなのだ。

千葉商科大学国際教養学部准教授/働き方評論家/社会格闘家

1974年生まれ。身長175センチ、体重85キロ。札幌市出身。一橋大学商学部卒。同大学大学院社会学研究科修士課程修了。 リクルート、バンダイ、コンサルティング会社、フリーランス活動を経て2015年4月より千葉商科大学国際教養学部専任講師。2020年4月より准教授。長時間の残業、休日出勤、接待、宴会芸、異動、出向、転勤、過労・メンヘルなど真性「社畜」経験の持ち主。「働き方」をテーマに執筆、研究に没頭中。著書に『なぜ、残業はなくならないのか』(祥伝社)『僕たちはガンダムのジムである』(日本経済新聞出版社)『「就活」と日本社会』(NHK出版)『「意識高い系」という病』(ベストセラーズ)など。

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