「100日後に死ぬワニ」最終回100日め:私たちの命は桜の木のように
■「100日後に死ぬワニ」ついに100日め、最終回
ネットやテレビでも話題だった4コマ漫画「100日後に死ぬワニ」。ついに100日め、最終回をむかえました。どんな結末だったでしょうか。
友達と花見の約束をしていたワニくん。ところが、約束の時間になっても、ワニくんはなかなか来ません。友達が迎えに行こうとしています。
今回は、今までの99回の4コマ漫画の形式を作者はあえて崩しました。100日めは、3つの4コマ漫画と、最後は一つの大きな絵で表されています(画面の大きさを自由に変えることができるのは、他のメディアにはない漫画メディアの特徴です)。
絵としてははっきり描かれてはいないのですが、どうやらワニくんは、ヒヨコを助けようとして事故にあったようです。
97日前の3日めの4コマ漫画では、ヒヨコを助ける様子が描かれていますが、100日めの今日は、上手くいかなかったようです。でも、ヒヨコは無事に助かりました。
最後に描かれる大きな絵は、満開の桜と青空と、見事な桜吹雪です。
■桜の花と潔い死。でもワニくんは必死に生きた
桜は、しばしば日本人の死生観の象徴として描かれます。見事に咲き、見事に散る桜は、日本人の美意識にぴったりです。
桜は散るからこそ、美しいのでしょう。
ただ私は、潔く死ぬことが良いことだとは思いません。潔さは美しいものですが、たとえば自殺は決して潔い死ではありません。治療をあきらめて、死期を早めるようなことも、良しとはしません。その意味で、潔く死ぬことが良いことだとは思えないのです。
最後に大きく桜を描いた「100日後に死ぬワニ」の作者きくちゆうきさんも、そういう悪い意味の潔さを表したかったのではないと思います。
100日めのワニくんは、ヒヨコを助けます。部分的にしか絵には描かれないので想像ですが、車にひかれたワニくんは、傷つきよろよろしながらも、最期の力を振り絞り、ヒヨコを安全な場所に置きます。
きっと痛くて苦しかったの思いますが、命が失われるその直前まで、ワニくんはワニくんらしく必死に生きました。
私も、最後の最期まで、私らしく、生きたいと思います。
■最期の最期まで:じたばたと、かっこ悪くても
以前見たある年のNHKのロボットコンクール。ロボコンは、大学や高専の学生たちが、ルールの範囲内でロボットを作り競い合います。その年は、ロボットの障害物競走のような内容でした。
学生たちが制限内で作ったロボットです。多くのロボットが、なかなか上手く動きません。
あるロボットは、対戦相手のロボットをリードしていたのですが、途中で故障します。もう障害物を乗り越えることはできません。ロボットは(ロボットを操る学生は)、その体をぴったりと1ミリの隙間もなく障害物に接触させます。
少しでも、ほんの少しでも前にいるためです。あとは、対戦チームのロボットがどこまで近づいてくるか。追い越されたら負けです。
もう十分に動くことはできなくなったのに、じりじりと這うように動きながら、一生懸命、少しでも障害物に近づこうとするそのロボットの姿に、なぜか心を打たれました。
自分も、こうして生きていこうと思いました。いつか、退職し、歳をとり、仕事やお金や健康も失うかもしれないけれど、その時に自分ができる範囲で、1ミリでも前に進もうと思いました。
「100日後に死ぬワニ」のワニくんも、決して優秀でイケメンのワニではありません。見ようによっては、最期までドジなやつだったのかもしれません。
でもワニくんは、最期ま一瞬まで、ワニくんらしく、命の炎を燃やし続けました。
■私たちの人生は1本の桜の木
私たち一人ひとりは、大きな木の一枚の葉っぱなのかもしれません。桜の木の一つの花びらかもしれません。
死と命と人生を考えさせてくれる名作絵本に、「葉っぱのフレディ:いのちの旅」があります。
春、葉っぱとして生まれたフレディーは、葉っぱの仕事を全部やり、そして秋になって紅葉し、冬になり枯れて散ります。
フレディーは、特別優秀な葉っぱというわけではない、平凡な葉っぱでしたが、その人生は、楽しく、やりがいもあり、他の葉っぱの仲間もいました。
それは、「100日後に死ぬワニ」のワニくんと一緒です。
ただワニくんと違っていたのは、自分がもうすぐ死ぬことを知っていたことです。フレディは、不安を感じ、人生の意味を問います。
でも、フレディは静かな最期を迎えます。散る時になって、フレディは初めて、木の全体の姿を見ることになります。
そしてフレディーは知らなかったのですが、枯れた葉っぱは地面で栄養となり、「命」は受け継がれていきます。
ワニくんの最後は、痛くて苦しかったかもしれません。でも、ワニくんの顔は描かれてはいませんが、きっとヒヨコが助かったことを喜び、満足そうな笑顔だったのではないかと思います。
そしてワニくんの思い出は、みんなの心に残り、ワニくんの思い、ワニくんの「命」は、きっとみんなに受け継がれていくのでしょう。
現代人にとての死は身近なものではなく、今は死に対するリアリティが希薄な時代とも言えるでしょう。そんな時代に、「100日後に死ぬワニ」は、私たちに死と命のメッセージを届けてくれました(生きること、死ぬこと:100日後に死ぬワニと新型コロナウイルス、そして一人の少女の死:Y!ニュース個人有料)。
私も、あなたも、100日後に死ぬワニの一人として、その100日後がいつ来るかは分かりませんが、その時まで精一杯生きていきたいと思います。
ワニくん、ありがとう。