勝率8割5分5厘! 中原誠五段(当時)が1967年度に達成した将棋史上不滅の年間勝率最高記録
将棋界には空前にして、おそらくは絶後かもしれない、偉大な記録がいくつか存在します。
その一つが1967年度、当時20歳の中原誠五段(現16世名人)が記録した年間勝率0.855(47勝8敗)です。
当時の中原五段がどれほどの勢いで勝っていたのか。それにはまず、敗れた8局の内訳を見てみるのがわかりやすいかもしれません。
4敗 山田道美棋聖(王座戦1回戦、棋聖戦五番勝負3、4、5局)
2敗 木村義徳五段(東西対抗勝継戦、C級1組)
1敗 二上達也八段(王将戦二次予選決勝)
1敗 山口英夫五段(十段戦一次予選決勝)
あとの47局は、すべて勝利を収めたというわけです。
中原五段は、順位戦ではC級1組に所属。前年度、C級2組で12戦全勝し、C級1組に上がったあとも6連勝しました。
デビュー以来の順位戦18連勝は、藤井聡太現八冠に並ばれましたが、現在でも史上1位タイ記録として残っています。
7回戦では木村義徳五段(のちに九段)に敗れ、連勝記録は止まりました。しかしそのあともまた負けず、最終的には11勝1敗。堂々のトップ昇級を決めています。
当時、新人王戦はまだ存在しませんでした。代わりに年齢は関係なくC級1組、C級2組、奨励会A組(三段リーグ)所属者が参加する「古豪新鋭棋戦」が新鋭の登竜門の場となっていました。
中原五段はこの古豪新鋭棋戦で優勝を果たしています。
この当時の将棋界は名人、十段、王将、王位、棋聖(半年1期)の五大タイトル制でした。1967年度開始の段階で、そのすべてを保持していたのが当時の絶対王者、大山康晴五冠でした。
その大山五冠に前期棋聖戦で挑み、初タイトルを獲得したのが山田道美新棋聖です。山田棋聖はこの年度、トーナメント棋戦の王座戦(のちにタイトル戦に昇格)、最強者決定戦でも優勝と、充実のときを迎えていました。
後期棋聖戦では、中原五段が破竹の快進撃を見せます。準決勝では前棋聖の大山名人(四冠)と対戦しました。
実に50回という長きにわたった大山名人のタイトル戦番勝負の連続出場記録は、ここで止まりました。
中原五段は挑戦者決定戦で板谷進六段(のちに九段、藤井聡太現八冠の大師匠)と対戦。そこも勝って、初のタイトル戦出場を決めました。
中原五段の20歳での棋聖挑戦は、加藤一二三八段(現九段)の20歳での名人挑戦に並ぶ異例の年少記録でした。
中原五段は五番勝負で1、2局と連勝。しかしそこから山田棋聖が底力を発揮し、3、4、5局で連敗。2勝3敗で初タイトル獲得はなりませんでした。
この年度における中原五段の実績は輝かしいものです。棋聖挑戦や順位戦での快進撃などは当時においても重要なトピックとなりました。一方で、0.855という勝率記録は、当時の文献を見返してみても、それほど触れられていません。
この勝率記録は、長きにわたって破られることなく残り続けます。そして時を経るにつれ、その偉大さが語られるようになってきました。
歴代2位の勝率記録は、中村太地五段(現八段)が2011年度にマークした0.851(40勝7敗)です。
中村五段はのちに王座のタイトルを獲得し、順位戦ではA級に昇級しました。そうした若手が下位クラスの頃、周囲との間で実力のギャップが生じ、高勝率を挙げる例はよく見られます。
当然ながらクラスも上位に進むと、誰でも自然と勝率は落ち着いてきます。しかしその常識をくつがえし、タイトルを争うほどの棋士がおそるべき勝率をあげるまれなケースもあります。
羽生善治現九段は七冠を達成した1995年度、勝率0.836(46勝9敗)をマーク。最高勝率記録更新まであと少しと迫りました。
そして近年では藤井現八冠がこの記録を更新できるかどうかが注目され続けています。デビュー以来6年連続で勝率8割以上というのは、異次元の成績というよりありません。
2023年10月。藤井八冠が誕生したあと、中原16世名人は自身の最高勝率記録について、次のように語っていました。
果たして中原16世名人の記録は、この先も残り続けるのでしょうか。