明の時代に起きた奇妙な出来事、天啓の大爆発とは?
世界の歴史では様々な事件が起こっていますが、中には不思議なものも多くあります。
その中でも天啓の大爆発は、非常に不可解な事件として知られています。
今回は明の時代に起きた不可解な事件、天啓の大爆発について紹介していきます。
1.死傷者2万人の大爆発
明の時代、1626年5月30日、北京の王恭広場で原因不明の大爆発が発生しました。
この爆発は、縦15キロ、横100キロにわたって灰色の粉塵を巻き上げ、数万軒の家屋を倒壊させ、2万人もの住民が死亡または重傷を負ったのです。
死者の遺体は衣服を剥がされ、赤裸のまま散乱していました。
当時の記録『天変邸抄』には「月夜の晩、突然大音響が起こり、周囲は灰色に覆われ、真っ暗になった」とあり、現象の壮絶さが伺えます。
この知らせを受けた皇帝明喜宗は大赦を宣言し、天下の安眠を祈り黄金を振りまきました。
2.説は大きく分けて4つ、しかし原因はいまだ不明
この事件は天啓の大爆発として知られており、その原因については何世紀にもわたって様々な仮説が提唱されています。
代表的な説として地震説、竜巻説、隕石説、火薬爆発説があり、それぞれの説が異なる観点からこの大災害の原因を説明しようとしています。
しかし、いずれの説もすべての奇妙な現象を完全に説明するには至っていません。
地震説は、北京周辺で頻発していた地震が原因とするもので、歴史的な記録に見られる「震撼天地」や「震後」といった表現が根拠とされています。
しかし、地震が原因とする場合、地震によって発生した衝撃波やキノコ雲、そして爆発後に男女ともに衣服を剥がされていたという現象を説明することが難しく、さらに世界的に見ても狭い範囲でこれほど大きな揺れを起こす地震の前例はありません。
竜巻説は、突発的かつ破壊的な竜巻が原因とするもので、災害の範囲や「瓦礫が空に舞い上がる」といった光景が竜巻の特徴と一致するというものです。
しかし、災害前に「雷のような音」や「振動の音」があったという記録は、竜巻だけでは説明しにくく、この説も完全な説明にはなりません。
隕石説は、「吼えるような爆音」、「巨大な振動音と急な落雷」、「深さ数丈の大穴」といった記録が隕石落下の現象と一致するとするものです。
さらに、人工衛星の画像解析により北京の一部地域に隕石クレーターと考えられる円形のくぼみが発見されました。
しかし、この説も「木材が燃えていなかった」という記述との整合性がありつつも、すべての現象を説明するには至りません。
火薬爆発説は、当時の火薬庫が爆発したというもので、『明史』でもこの説が採用されています。
王恭廠の火薬庫が爆発の中心であったことから、多くの死傷者が出たとされているのです。
しかし、火薬庫の爆発が千斤の獅子像を街の外に飛ばし、深さ数丈の巨大な穴を開け、衣服を剥ぎ取るほどの威力を持つかについては疑問が残ります。
さらに、火薬庫の管理に関する安全規制が確立されていたにもかかわらず、このような大爆発が発生した点も説明が困難です。
これらの説の他にも、天然ガス爆発説や宇宙人の侵略説などが提唱されていますが、いずれも大爆発のすべての側面を完全に説明するには至っていません。
多くの奇妙な現象が記録されているため、単一の要因だけで引き起こされたとは考えにくく、複合要因説も有力視されています。
現在でも天啓の大爆発の原因は解明されておらず、歴史家や科学者の間で議論が続いています。
この未解決の謎は、歴史の中で語り継がれ、現代でも興味深い研究対象となっているのです。