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北朝鮮・軍事ナンバー2をまさかの「制裁解除」――なのに対象リストに名前が残った不思議な出来事

西岡省二ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長
序列5位で歩く李炳哲氏(黄色は筆者が加工)=労働新聞よりキャプチャー

 北朝鮮の朝鮮労働党中央軍事委員会(軍事関連のすべての事業を指導する機関)で金正恩委員長に次ぐナンバー2、李炳哲・副委員長について、英国が今月10日、「制裁対象リストから除外した」と発表した。北朝鮮の核・ミサイル開発の中心的役割を担う人物を、唐突に「制裁解除」したことで、韓国では「理解しがたい」という疑問の声が上がった。だが、不思議にもリストには李炳哲氏の名前は残っており、一部には「除外されたのは、リストに重複記載されていた一つだけ」との見解も出て、混乱している。

◇「重複記載」?

 英財務省傘下の金融制裁履行局(OFSI)は7月10日、ホームページ上で、李炳哲氏について「制裁リストから除外された」「もはや資産凍結対象ではない」と明示した。OFSIは解除の理由として「欧州連合(EU)の制裁解除の決定に従った」とだけ記している。

英OFSIは7月10日のホームページ上で李炳哲氏について「制裁リストから除外された」「もはや資産凍結対象ではない」と明示した=筆者キャプチャー
英OFSIは7月10日のホームページ上で李炳哲氏について「制裁リストから除外された」「もはや資産凍結対象ではない」と明示した=筆者キャプチャー

 北朝鮮は2017年7月、2度にわたって大陸間弾道ミサイル(ICBM)級「火星14」を試射した。これを受け、OFSIは3カ月後、弾道ミサイル開発を監督していた李炳哲氏を制裁対象に加えた。制裁対象者は英国内の資産が凍結され、英企業・個人との取引も禁止される。

 英側の「リスト除外」発表があった当初、韓国メディアでは「なぜこのタイミングでOFSIは李炳哲氏を制裁対象から除外したのか」という疑問が持ち上がっていた。韓国紙の中央日報が▽北朝鮮が17年11月以降、ICBM試射をしていないことを欧州が独自に評価▽米国が友好国の欧州を通じて北朝鮮をなだめている――などの分析を伝えたりしていた。

 一方で、同紙は専門家の見解として「北朝鮮の核活動が続いている状況で、戦略資産開発を総括する李炳哲氏への制裁を解除したのは理解しがたい」(韓国の朴元坤・韓東大教授)、「金委員長の実妹、金与正・党第1副部長ら、より重要な人物に対する金融制裁が続いている状況で、大きな政治的変化とはみなせない」(尹徳敏・元韓国国立外交院長)なども載せていた。

 だが「李炳哲氏をリストから除外」と発表した際にOFSIが公表した「英国における金融制裁対象者の統合リスト」の改訂版を精査すると、個人137人・団体110の中に依然として李炳哲氏の名前が残されているのが判明した。肩書は「党軍需工業部第1副部長」という古い肩書のままだった。

OFSIの「英国における金融制裁対象者の統合リスト」改訂版には李炳哲氏の名前が残る(オレンジ色の枠は筆者が加工)=筆者キャプチャー
OFSIの「英国における金融制裁対象者の統合リスト」改訂版には李炳哲氏の名前が残る(オレンジ色の枠は筆者が加工)=筆者キャプチャー

 北朝鮮専門のニュースサイト「NKニュース」(7月15日)によると、そもそもリストの中に李炳哲氏に関して「重複記載」があり、今回はそれを解消するためリストから削除した可能性があるようだ。同サイトは今回の措置を「事務的ミスの修正」と分析している。同サイトは英財務省に、李炳哲氏が今なお制裁対象になっているかどうか確認を進めているが、同日の時点では反応はないという。

◇序列5位、金正恩体制で頭角あらわす

 韓国統一省の資料などによると、李炳哲氏は1948年生まれ。万景台革命学院や金日成軍事総合大学を卒業した。金正恩体制になってから頭角をあらわし、2014年12月に核・ミサイル開発を統括する党軍需工業部の第1副部長、19年12月には党政治局員、党副委員長、党軍需工業部長。今年4月には国務委員にも就任している。

 さらに5月の党中央軍事委員会第7期第4回拡大会議で、それまで空席だった副委員長に抜擢され、金正恩氏に次ぐ軍事委のナンバー2になった。

 李炳哲氏は朝鮮人民軍上将であり、次帥の朴正天・軍総参謀長、大将の金秀吉・軍総政治局長や金正官・人民武力相より階級が低い。軍の3大核心ポスト(総政治局長、総参謀長、人民武力相)にもついていない。そんな人物が軍事委ナンバー2に指名されるのは異例のことだった。金委員長は戦略兵器開発に向け「短期間で核抑止力を劇的に強化する」という固い意志を持っているとされ、李炳哲氏の人事にそれが反映されたとみられている。

 金委員長が今月8日、祖父・金日成国家主席の26周忌で錦繍山太陽宮殿を参拝した際、李炳哲氏は、金委員長、崔竜海・最高人民会議常任委員長、朴奉珠・党副委員長、金才竜首相に続く序列5位の場所に立ち、存在感を示していた。

ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長

大阪市出身。毎日新聞入社後、大阪社会部、政治部、中国総局長などを経て、外信部デスクを最後に2020年独立。大阪社会部時代には府警捜査4課担当として暴力団や総会屋を取材。計9年の北京勤務時には北朝鮮関連の独自報道を手掛ける一方、中国政治・社会のトピックを現場で取材した。「音楽」という切り口で北朝鮮の独裁体制に迫った著書「『音楽狂』の国 将軍様とそのミュージシャンたち」は小学館ノンフィクション大賞最終候補作。

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