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高梨沙羅「五輪で勝つ方法がわからない」屈辱のソチから7年、北京への覚悟

折山淑美スポーツライター
(撮影・矢内耕平)

 高梨沙羅は記録を作り続けるジャンパーだ。15歳でワールドカップ(W杯)の表彰台に初めて立ってから10シーズン。今季は通算勝利数60勝、表彰台回数を109回の歴代最多記録を更新した。

 それでも満たされない思いがある。「記憶に残る記録」はほろ苦いままだから。金メダル確実と言われて挑んだ2014年ソチオリンピック(五輪)ではまさかの失速で4位。17歳の天才少女は涙を流した。4年後の平昌五輪で銅メダルを獲得して笑顔を見せたが、目指した頂点には手が届かなかった。その無念さを晴らすために、自分のジャンプを白紙に戻して一から見つめ直す試みにもトライした。

 4年に一度の五輪で勝つためには何が足りないのか――。3度目となる来年の北京五輪まで1年を切った今、24歳に成長した高梨に聞いた。

世間の注目に戸惑った過去

――今季はそれまで2シーズン苦しんだ迷いからも脱し、男女を通じたW杯最多勝利数を60に伸ばして最多表彰台も109回としましたが、自分の記録を振り返ることはありますか。

「よりいいジャンプをしたいと思い続け、自分がやるべきことをつなげていたら、その結果にたどり着いていた感じです。もちろんその日に飛んだジャンプの反省はするし、自分が進化していく過程で昔の映像を見ることはありますが、過去の結果自体を振り返ることはありません」

――多くの記録を作った高梨選手は女子ジャンプを切り開いてきた自覚はありますか。

「それはないですね。女子ジャンプの黎明期から引っ張ってきてくれた先輩たちもいるので。本当にありがたい環境の中でジャンプをやらせてもらい、たまたまタイミングが良く自分は勢いのある時に国際大会に出させていただいた。60勝という記録も、先輩たちが道を切り開いてくれたからこそだと思います」

(写真:ロイター/アフロ)
(写真:ロイター/アフロ)

――日本で女子ジャンプの知名度を上げた高梨選手は、天才中学生と言われて注目度も一気に上がりました。世間の人に見られる状況に戸惑いはありましたか。

「当時は中学生だったので、街で知らない人に声をかけられる頻度が増えて戸惑うこともありました。女子ジャンプをたくさんの人に知ってもらえる嬉しさがありながらも、内心は複雑でした」

――テレビカメラが一挙手一投足を追いかけている時もありました。

「五輪の前はそうでしたね。常にカメラで撮られている感じがしていて、特に自分はカメラで撮られるのが苦手だったので、レンズを向けられる感じがスナイパーに狙われている感覚と同じように感じていました」

――それでも、ジャンプを知ってもらうためという気持ちで我慢していたのですか。

「私にできることは何だろうと考えた時に、先輩たちがここまで歴史を切り開いてくれたから、もっとたくさんの人に知ってもらえるようにするのが役目でもあると思っていた感じでした」

――義務感みたいなものもあったのですね。

「最終的には、そこを乗り越えることによって見てくださる方も多くなるじゃないですか。メディアで取り上げてもらえることで、地元のおじいちゃんやおばあちゃん、親戚の人たちから『また見たよ、がんばってるね』と声をかけてもらえるので、結果としては自分にもプラスになるという感じです」

(撮影・矢内耕平)
(撮影・矢内耕平)

五輪で勝つ方法が「わからない」

――日本の場合はW杯で勝つよりも、五輪の方が注目されます。特に2014年ソチ五輪は金メダル候補として期待されました。

「日本ではやはり五輪で結果を残すことが一番注目されるので、その期待を裏切ったと思っています。絶対に勝つというか、自分のベストを尽くせば結果もついてくるだろうという気持ちでいたんですけど……、自分に負けたんじゃないのかな」

――ソチ五輪は高梨選手にとって気象条件も良くなかったです。

「やっぱり、そういう運も実力なんでしょうね。世界選手権でもなかなか金メダルを取れないので『縁がないんじゃない?』って言われるんですけど(笑)。勝つための準備をして大会に向かっているし、不安を持って飛んでいるわけではないです。技術的にはみんな互角なくらいまで世界のレベルは上がっているので、そういう大会に運を持っていくのもひとつの実力だと思いました」

――世間の人が記憶する「ジャンプの高梨選手」の印象は、W杯より五輪の方が比重が高くなるというのは覚悟しているのですか。

「それはそうだろうなと思います。私自身も五輪で結果を残すことは、今まで支えてくれた人たちへの恩返しになると思うし、その道を切り開いてきた先輩たちの努力の証だとも思います。だから大きい試合で勝てないのは何だろうなと考え、『運を取る能力が低いのかな』とも考えてしまいます」

(写真:アフロ)
(写真:アフロ)

――五輪とW杯はやっぱり違いますか。

「雰囲気は違いますね。W杯の雰囲気に慣れすぎているので、少し隙があるのかもしれない。次の週にも試合があるW杯と違い、五輪は4年間やってきたことがその日の一瞬、10秒程度の2本で決まってしまうじゃないですか。4年間苦しい思いをしてきたことが、わずか20秒で決まってしまうと考えるとすごい競技だなと思うけど、結果を求められているので、合わせる能力を鍛えなくてはいけない。でもどうしたらいいのかわからなくて……」

――4年間の努力が20秒だけと考えると、本当に切ない競技ですね。

「だからやっぱり、技術だけではなく気持ちを持っていく能力が必要ですね。でもそういう能力って何だろうと考えると難しくて。気持ちをガッと集中させるためにヨガをしたりとかいろんなことを試しているけど、『これだ!』という方法はわからないですね。だから本当に切ない競技だと思います」

「世界で戦えなくなったらやめる」

――そんなジャンプという競技を、見ている人たちにどう感じてほしいですか。

「純粋に楽しんでほしいけど、私の中には驚かせたいという気持ちが一番にあって、それが出来たらひとつクリアした気分になるんです。中学生の時に初めて140mを超えた時、みんなが『ワーッ』と驚いてくれた。その感覚を覚えていて『またああいうジャンプをしたい』とずっと思っています。五輪でも優勝するだけではなくて見ている人たちを驚かせたいけど、なかなか難しいですね(笑)」

(撮影・矢内耕平)
(撮影・矢内耕平)

――これからどういう選手になりたいという目標はありますか。

「人に元気とか勇気を与えられるパフォーマンスを目標にしています。『私のジャンプを見てがんばろうと思いました』という手紙をよくいただきます。だから私ももっとがんばらなければいけないと思うし、そういうところを目指したい。それができなくなったらやめる時かなと思います」

――自分の中で引退というのは、どういう線引きをしているのですか。

「世界のレベルは毎年上がり続けているし、今季も私より若い選手がすごくいいジャンプをするようになっています。そういう中で自分が戦い続けていることに幸福を感じているので、やっぱりそこで戦えなくなったらだと思います。世界の舞台でトップ争いをしていればテレビ中継もあるし、それを見て何かを感じ取ってもらえる。だから、見てもらえる機会が少なくなったらやめ時かなと思います」

――1年を切った北京五輪を迎えるにあたり、どう自分らしく生きようと思っていますか。

「ゆっくり自分と向き合う時間が大切だと思います。嫌われてもいいけど、幸せは自分の中にあると思うし、それは自分自身で探し出さなければいけないもの。それに、他人の意見で自分を変えるのはもったいないことだし、自分にしかない個性は宝物だとも思う。だから自分の好きなような自分でいることを半分は意識しながらも、周りに感謝する気持ちを持って生きていこうと思います」

(写真:AP/アフロ)
(写真:AP/アフロ)

■高梨沙羅(たかなし・さら)

1996年10月8日生まれ。北海道出身。8歳でジャンプを始め、2011年に15歳で出場したコンチネンタルカップに優勝し、国際スキー連盟公認国際ジャンプ大会での女子選手史上最年少優勝を果たした。2012-13シーズンでは16歳4か月でワールドカップ史上最年少での個人総合優勝。2014年ソチ五輪は4位入賞、2018年平昌五輪では銅メダルを獲得。今シーズンは男女を通じてワールドカップ歴代最多の60勝を更新、また男女歴代最多109回の表彰台に立つ新記録を達成した。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】

スポーツライター

1953年長野県生まれ。『週刊プレイボーイ』でライターを始め、徐々にスポーツ中心になり、『Number』『Sportiva』など執筆。陸上競技や水泳、スケート競技、ノルディックスキーなどの五輪競技を中心に取材。著書は、『誰よりも遠くへ―原田雅彦と男達の熱き闘い―』(集英社)『船木和喜をK点まで運んだ3つの風』(学習研究社)『眠らないウサギ―井上康生の柔道一直線!』(創美社)『末続慎吾×高野進--栄光への助走 日本人でも世界と戦える! 』(集英社)『泳げ!北島ッ 金メダルまでの軌跡』(太田出版)など。

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