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「批判されて当たり前」浦和レッズ・杉本健勇が苦悩の中で思い出した言葉と片足のサッカー少年との約束

金明昱スポーツライター
「もっと点を取りたいし、試合にも勝ちたい」と意欲を燃やす杉本健勇(筆者撮影)

 クラブハウスに現れた浦和レッズのFW杉本健勇の表情は明るかった。それに、妙に落ち着いて見えた。

 その理由について、個人的にはここ浦和レッズで、ストライカーとしての本来の力を徐々に取り戻しつつあるからだろう――そう思っていた。

 ただ、返ってきた言葉は少し違っていた。

「自分自身の力をまだ100%出せてないところはあります。悔しい気持ちもあれば、いろんな葛藤もあります。まだまだこんなもんじゃないっていう気持ちがあるんです」

 そう語る杉本はいま何を思うのか。本心を聞いてみたくなった。

「自分にプレッシャーをかけていた」

「シュート0」――。ゴールを期待されるストライカーにとって、最も屈辱的な結果かもしれない。

 今季、セレッソ大阪から浦和レッズに移籍した杉本は、Jリーグ2019年シーズンの開幕からACLを含めて4試合、シュートを1本も打てず、スポーツ紙にはそうした見出しが躍った。

 去年まで在籍したセレッソ大阪では2017年シーズン、自身のキャリアハイとなる22ゴールを決め、得点ランキングも2位。そうした実績が認められて日本代表にも選出された経歴を持つ杉本にとって、2019年シーズンは想定外のスタートだったに違いない。

 実力と個性の強い選手が集まる浦和レッズに移籍し、貴重な戦力、得点源として周囲からの期待の声が大きかったことは、杉本自身がよく分かっていた。

「最初の頃は自分にプレッシャーをかけていた部分はありました。期待をしてくれている方もたくさんいたので、なんとか自分で結果を残さないといけないと自分で自分を追い込んでしまっていました」

当初は思うようなプレーができずにいたが、徐々にチームにもフィットしてきた(写真提供・URAWA REDS)
当初は思うようなプレーができずにいたが、徐々にチームにもフィットしてきた(写真提供・URAWA REDS)

 チームを勝利に導くにはゴールが必要だ。セレッソではエースとしてゴールを量産してきたプライドもある。そう思えば思うほど、プレーは空回りした。

 応援メッセージや心配の声はもちろん、一方で批判の声もあることも重々承知だった。

「この間、調子の上がらない自分に心配のメッセージをくれる人がたくさんいました。それで、自分の心境を表に発信していこうと思ったんです。ゴールを決められず、批判する人もいるのも知っています。FWである以上、ゴールを決められなければ批判は避けられない。ただ、自分が今どういう気持ちで、どういう思いで戦っているのかを知りたい人はいると思ったので、SNSのツイッターを発信しはじめたんです」

「とにかく仲間の為に走れ」という言葉

 杉本が自分の思いを公にしたのは、今年1月から約6カ月ぶりに更新された自身の公式ツイッターだった。そこにはこんな文面があった。

「レッズに移籍したての頃『とにかく結果を出さなアカン』って考えすぎてて、空回りして、中々チャンスを掴めずにしんどい事も一杯あった。今は出来ることに集中するしかない。と思いながら日々を過ごしてる時、ふとユンさん(セレッソ時代の監督)の言葉を思い出した。『とにかく仲間の為に走れ』」(6月29日のツイッター)

 杉本は6月19日のACL決勝トーナメント第1戦(蔚山現代戦)で3カ月ぶりに先発起用され、ヘディングゴールを決めた。試合は1-2で逆転負けしたが、6月26日のアウェー戦は途中出場で3-0の勝利に貢献し、準々決勝へ進出を果たした。

 ここでゴールを決めたことが、大きな転機となった。

「なかなか試合に出れない中での久しぶりの先発で、内心では『ここで結果を残さないと後がない』と危機感を持ってやっていました。ここ数年はずっと試合に出られていたので、出られないときの準備をどのようにするのかには今も苦労しています。でも、この試合は冷静にゲームの流れに入れました。1点決めることができて、少しホッとしましたね」

ツイッターで自分の思いを発信しはじめた杉本。セレッソ時代の監督を思い出し、ACLでのゴールが生まれた(筆者撮影)
ツイッターで自分の思いを発信しはじめた杉本。セレッソ時代の監督を思い出し、ACLでのゴールが生まれた(筆者撮影)

 そのときを境に杉本は、かつて指導を受けた指揮官の言葉を思い出していた。

「なんで結果が出ないんだろうと悩んでいるときに、目の前のことに対して、集中できていなかったんだなと思うようになったんです。もう少しシンプルに考えてプレーしようと。その時に思い出したのが、セレッソ大阪時代のユン・ジョンファン監督の『とにかく仲間の為に走れ』という言葉でした。自分の中のテーマでもありましたから」

 杉本がもっとも成長を遂げた時期は、不動のエースに成長したセレッソ大阪時代なのは明らかだ。その陰に「ユン・ジョンファン監督がいたから」と正直に吐露した。

「自分が J 1であれだけ点の取ったのも初めてですし、ユンさんは自分を成長させてくれた監督でした。『みんなのために走れ』と口を酸っぱくして言われていたのを思い出したんです。正直、FWなのでゴールを取ればいいだけなのに、最初は『この人は何を言ってるんだろ。分かった分かった』と聞いていたんです。そんな中で少しずつ点を取れるようになっても、ユンさんからは『仲間のために走れば、必ず自分にチャンスが来る』からと言われ続けましたね。ああ、これを忘れていたんだと思うようになったんです」

 自分よりもチームのために、仲間のために走る。いたってシンプルに自分のプレーを見直した。その結果、待望のゴールが生まれた。

「いいプレーをしようというよりも、仲間のために走る。あれこれ悩んでいるよりも、それで頭の中がクリアになりました。それに気づいたということです」

「浦和がリーグ優勝できるように貢献したい」と語る杉本(写真提供・URAWA REDS)
「浦和がリーグ優勝できるように貢献したい」と語る杉本(写真提供・URAWA REDS)

「ピッチを走り続けることで信頼を得られる」

 こうして、自分のパフォーマンスをよい方向へ導きだす一つの方法をようやく見つけたわけだが、杉本は「確信があったわけではない」という。

「『絶対に良くなる』という自信があったわけではないんです。でも、ピッチを走り続けることでチームメイトからも信頼を得られるだろうし、それに加えてゴールという結果でさらに認めてもらうことができる。今は良い方向に向かっていると思うのでこれを続けていきたいです」

 そして、途中出場が多い今季の杉本は「毎試合、模索しながら楽しんでいることがあります」と自身に課す課題を口にした。

「先発からの試合の入り方については、自分では大体のイメージがあります。ただ、途中交代で入るというのは難しい。チームの戦況を変える役目、責任を与えられて投入されているわけですから。一つ間違えればチームに迷惑をかけることにもなりますし、点を決めればヒーローになれる。今は試合にどのように入ることがベストなのか、それを常に模索しています。そこに正解はないと思うので、楽しみつつやっています」

 ぼやけていた視界が少しずつクリアになっていく。完全に目の前が“視界良好”となるには、ゴールを重ねるしかないことを杉本は知っている。

「FWはゴールを取らないと批判されます。それは当然のことですし、間違いありません。僕が選手として評価され、ここに来たのも、全ては点を取ってきたからです。理由はそれしかないんです。点を取り続けてきたから代表にも入れた。今は思うような結果が残せていませんが、もっと点を取りたいし、試合にも勝ちたい。もちろん試合中にFWがやらなければならない仕事は、ゴールだけでなく守備もハードワークも重要です。でもストライカーなら、点を取ることが全てだと思っています」

 ゴールに対する強い渇望と強い執着心。その負けん気がなければストライカーは務まらない。

2018年6月に杉本はアンプティサッカー日本代表の近藤碧くん(高1)と出会った。片足がなくてもサッカーに情熱を傾ける姿を見て「とにかくハートの強さに驚いた」と語る(写真提供・FCルイ・ラモス・ヴェジット 金尚益監督)
2018年6月に杉本はアンプティサッカー日本代表の近藤碧くん(高1)と出会った。片足がなくてもサッカーに情熱を傾ける姿を見て「とにかくハートの強さに驚いた」と語る(写真提供・FCルイ・ラモス・ヴェジット 金尚益監督)

近藤碧くんの前で決めた移籍後初ゴール

 インタビューを終わりかけたころ、杉本は少し何かを考えていた。おもむろに「実はあるサッカー少年と約束したことがあるんです」と言った。

 その少年とは、アンプティサッカー日本代表、15歳の近藤碧くん(高1)。

 アンプティサッカーとは障がい者スポーツの一つで、主に上肢、下肢の切断障がいのある選手がクラッチ(杖)を軸にして、片足でボールをコントロールするサッカーのこと。

 近藤くんは大阪の地元クラブでサッカーを始めたが、小学6年のときに試合に向かう途中、自動車との交通事故で左足に重傷を負い、左ひざから下を切断する手術をした。

 そんな彼が中2の時に勧められたのが、アンプティサッカーだった。

参照:片足でサッカー!?プロリーグがある国も…パラリンピック種目を目指すアンプティサッカーの魅力

 筆者も今年4月に近藤くんを取材しているが、「実際に見て、やってみたら普通のサッカーと変わりなかったのでかなりの衝撃でした。本当にもっとうまくなりたいって思いました」と語っており、アンプティサッカーの魅力に取りつかれた。

 現在は浪速高校サッカー部で他の選手と混じって練習し、「関西セッチエストレーラス」でもボールを蹴る日々を過ごしている。

 そんな近藤くんは杉本のファンでもあった。杉本が小学生のときに通ったクラブの監督から、その話を聞きつけ、初めて対面したのが去年の6月だった。

 当時のことを杉本は鮮明に記憶している。

「そのとき『アンプティサッカー』というのがあるのも初めて知りましたし、碧くんと出会って感じたこと、得たことが本当にたくさんありました。まずはハートが強い。彼と話をして感じたのは、当たり前に出来てることを当たり前に思うなということでした。それを自分に言い聞かせるようになったんです。僕はプロサッカー選手ですが、もし足がなくなってしまったら、もう仕事ができません。怪我しただけでも不自由な事ってたくさんあるじゃないですか。当たり前に今こうして、自分がサッカーができていることだけでも、すごく幸せだなと……。碧くんはすごく前向きで、本当にすごい子だなと思いましたね」

 ちなみに杉本が浦和移籍後初ゴールを決めたのは、3月17日の第4節・古巣のセレッソ大阪戦でのPKだが、近藤くんはこの試合を観戦していた。

 案の定、大好きな杉本が決めたゴールに大興奮だった。杉本も「この試合は一生忘れられない」と語る。

「この試合はずっと変な感覚というか、こんなに90分が終わるのが早いのかと初めて感じた試合でした。人生で初めて忘れられない試合になりましたね。碧くんも見に来ているのを知っていたので、いい姿を見せたいという気持ちもありましたから」

近藤碧くんのユニフォームに書かれた杉本のサイン「お互い世界に羽ばたこう」(写真提供・FCルイ・ラモス・ヴェジット 金尚益監督)
近藤碧くんのユニフォームに書かれた杉本のサイン「お互い世界に羽ばたこう」(写真提供・FCルイ・ラモス・ヴェジット 金尚益監督)

「日本代表としてお互い世界に羽ばたこう」

 近藤くんは、去年、メキシコで開催されたアンプティサッカーW杯の日本代表に14歳で選出されている。だが、現地に行くと年齢制限(15歳から出場が可能)で、大会に出場できなかったのだ。

「それを聞いたときは僕もすごくショックでした。でもW杯は次もあるので、そこに向けてがんばるとハッキリ言ってましたね」

 ここで杉本は、碧くんと約束を交わす。

「お互い、日本代表になってお互い世界に羽ばたこう」

 杉本も日本代表としてW杯に出場するという思いは捨てていない。その約束を果たすためにも、今は目の前のことにベストを尽くすつもりだ。

「また日本代表に選ばれたいという思いはあります。ただ、そこを目標にするよりも、今は浦和のリーグ優勝のために貢献したい。それが第一です」

 かつてセレッソ大阪時代がそうであったように、浦和レッズでも結果を残せば、おのずと代表への道も開けてくるに違いない。

 そのためにも日々のリーグでの結果がもっとも大事だということは、杉本自身が一番よく分かっている。

「“サッカー人生”という大きな枠で見れば、成長するためにも、今は自分には必要な時間です」

 最後にそう言って笑顔を見せてくれた杉本。新たなゴールで、自らの道を切り開いていく戦いはこれからだ。

スポーツライター

1977年7月27日生。大阪府出身の在日コリアン3世。朝鮮新報記者時代に社会、スポーツ、平壌での取材など幅広い分野で執筆。その後、編プロなどを経てフリーに。サッカー北朝鮮代表が2010年南アフリカW杯出場を決めたあと、代表チームと関係者を日本のメディアとして初めて平壌で取材することに成功し『Number』に寄稿。11年からは女子プロゴルフトーナメントの取材も開始し、日韓の女子プロと親交を深める。現在はJリーグ、ACL、代表戦と女子ゴルフを中心に週刊誌、専門誌、スポーツ専門サイトなど多媒体に執筆中。

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