話題を独占した「ホリエモン球団」。発足への期待とその課題【九州アジアリーグ】
先週、独立野球界の話題を独占した「ホリエモン球団」こと福岡北九州フェニックス。なにかと世間を騒がせる実業家、堀江貴文氏が事実上のオーナーを務める新球団の登場に、九州アジアリーグの知名度は一気に上がったと言っていいだろう。スポンサー収入が運営費の柱となっている独立リーグにとっては、まさに「救世主」現わるという感がある。
自身のオンラインサロンで出た話からの球団立ち上げ、経営陣はすべてそのメンバー。おまけにフロントを取り仕切る球団社長には、球団運営経験のない31歳の若者を起用と、いかにも「ホリエモンらしさ」全開の新球団だが、先週26日のオンライン記者会見を見る限り、既存の秩序をひっくり返す野球界に対する「破壊者」というより、野球界のしきたりなどを踏まえた上で、新しいものを取り入れようという慎重な姿勢がうかがえた。17年前の「球界再編騒動」である意味主役を演じるつもりが狂言回しに終わってしまった経験を踏まえてのことだろう。
堀江氏本人も、「ホリエモン」的な球団運営を期待した記者の質問にも、「そんなにめちゃくちゃに新しいことを考えているということでもない」と地に足をつけた返答をしている。バスケットボール球団や先行の独立リーグ、ルートインBCリーグ・埼玉武蔵ヒートベアーズの球団経営に携わった経験から、何ができて何ができないのかは十分に理解した上で独立リーグ界に参入したように見受けられた。ありきたりかもしれないが、球場を家族全員が来場して、くつろげ、楽しめる場所にしていこうというのが、実業家堀江貴文の球団経営の目標のように感じた。
壮大な「アジアスーパーリーグ」構想
一方で、「ホリエモン」らしい大風呂敷も広げられた。「アジアスーパーリーグ」構想がそれだ。17年前、NPB(プロ野球)買収、新球団の立ち上げの目論見が挫折したことを踏まえて、今回の独立プロ球団立ち上げと将来的なNPB球団保有とを結びつける質問が飛んだが、堀江氏はそれには真正面から答えることなく、NPBと独立リーグを自分の中では区別していないとし、「そんなに深く考えているわけでもない。(独立リーグに)チームを持つというのは、なかなか面白いかな。『これからの生き方』を考えて実践していくのがオンラインサロンの位置付けで、その中でプロスポーツというのが、非常に重要なパーツだったんですよね。人生が1つのパズルとしたら、その中の重要なピースをスポーツというのは占めているんだろうなというふうに思っていたんで」とはぐらかした。
しかし、それに続いて独立リーグの存在意義である上位リーグとの人的交流は、NPBとだけに留まるものではなく、リーグの名にもあるように、アジア全体に広がっていくべきだとした。その上で、アジア球界の未来予想図として、太平洋の向こうのメジャーリーグに対抗しうる「アジアスーパーリーグ」があってもいいのではないかという構想もぶちあげ、自身がそれを先導するとまではいわないものの、独立球団運営によってそのワンピースとなる意志を示した。
これには、「ホリエモン球団」参入に対して賛否両論があることは承知の上で、いまだ加盟承認をしたわけではないと冷静に状況を見つめながら、「革新には創造的破壊も必要」だと、「ホリエモンの盾にもなる」と宣言しているリーグ代表の田中敏弘氏も、「ホリエモンワールド全開で、リーグ構想まで語られると我々も対応に困る」と苦笑するしかなかった。しかし、この苦笑にも、新球団が独立リーグ界の現状を打破してくれるという期待が混ざっていることは間違いないだろう。
ただ、設立の記者会見はしたものの、それは球団運営会社が「設立」されただけで、まだチームじたいは影も形もない。これから行われる審査を経て正式に球団が発足する。それまでに越さねばならないハードルは決して低くはない。
チームの陣容や方向性についての質問に球団社長の槇原淳展氏は終始慎重な姿勢を崩さなかったのはその現れである。
運営費の問題
「ホリエモン球団」とは言われるが、堀江氏が私財を投げうって運営するわけではない。生き馬の目を抜くビジネスの世界を生きてきた堀江氏にとって野球もまたビジネスであり、「勝算」があるからこそ、独立リーグの世界に参入してきたはずだ。
会見で堀江氏は、「予算規模とか、運営体制とかそういったものが、1年やそこらで終わるようなのだとまずい」とし、継続の重要性を説いた。それでいて、ビジネスにおいて必要なスピード感も重視し、来年春からのリーグ参入を決めたと言う。資金の調達にそれだけ自信があるのだろう。その自信の裏付けが、自身の知名度であることは言うまでもない。実際、球団設立のニュースが駆け巡るやいなや、リーグ当局・関係者には問い合わせが殺到している。かと言って、その自身の知名度をもってしても、初年度からチケットが売りに売れるというような幻想を抱くような堀江氏ではない。スポンサー収入に主軸を置く独立リーグの現状を踏まえて、まずは年1億と言われている運営費を集めるべくスポンサーを募ることに専心するようであるが、これについては、問題なくクリアできるだろう。
「経営面は不安視していない」という堀江氏は、球団運営に関しては「裏方」にまわり、チーム編成、スタッフ集めは槇原社長に任せ、資金集めや広報、マーケティングの方に注力していくと言う。
フランチャイズと球場確保の問題
記者からは、フランチャイズについての質問も飛んだ。福岡ソフトバンクホークスというNPBの全国区球団と商圏が重なることに不安はないのかと。
かつて福岡には、四国九州アイランドリーグ(現四国アイランドリーグplus)に所属する福岡レッドワーブラーズというチームがあった。福岡県全体をフランチャイズとみなし2008年にリーグ戦に参入したこの球団だったが、1試合当たりの観客動員数は500人を上回ることはなく、2年で撤退ということになってしまった。
また、2009年には日本第3の独立リーグとして関西独立リーグが「初の都市型独立リーグ」としてスタートしたが、所属4球団中3球団の本拠がNPBの2球団が保護地域とする大阪府、兵庫県にあるという現実の前に、観客が20人を切る試合もあるという有様で、初年度シーズンの早々に経営破綻を起こしている。
堀江氏は、NPBと独立リーグではファン層が違うとするが、歴史を見る限り、NPBと商圏の重なる独立球団の興行的成功は難しいと言わざるを得ない。しかし、ならば地方の独立球団は集客に成功しているかと言われると、それも「否」としか言いようがない。結局のところ、現在の独立リーグ・球団は、「興行」ではなく、球団挙げての「地域貢献」により地方の自治体、企業の支援を得るというモデルでその命脈を保っていると言えるのだが、興行面に関しては、球場にエンタメ要素を大胆に取り入れるという新たな集客プランが堀江氏の発言から垣間見ることができても、「地域密着」に関しては、その言葉じたいは出てきても、具体策は見えてこなかった。
また、府県名・旧国名を冠することによって、特定の都市より広域なフランチャイズを設定することが多かった従来の独立球団に対し、この「ホリエモン球団」は、「福岡北九州」とフランチャイズを都市に絞ったネーミングをしている。福岡市=博多の球団としてのホークスとの差別化を図る意図があるのかもしれないが、九州全域に及ぶ圧倒的なホークス人気の前に果たして「市民球団」化ができるのかは不透明と言わざるを得ない。
新球団は、4月に運営会社を発足させると、北九州市とソフトバンク球団には真っ先に挨拶し「仁義」を通し、好意的に迎えられている。当面の課題は、球場の確保だが、記者会見では、使用球場について、ホークスも公式戦を行う北九州市民球場を「専用球場」とするのかしないのかについてあやふやな説明がなされ、後で「北九州市民球場を本拠地に想定しながらも諸団体とも折衝の上、周辺の球場も使用させていただく」という説明に切り替えられた。
社会人実業団野球発祥の地とも言われる野球処北九州周辺には大小多くの野球場があり、スタンドを備えた興行用に使用できるものがざっと数えただけでも、10前後存在する。むろん最高の施設は、現在もNPBの公式戦が行われる北九州市民球場だが、先行の独立球団の事例を見ると、NPB公式戦誘致を想定した万単位(北九州市民球場は2万人)の収容人数を備える球場は独立リーグの使用には大きすぎ、また賃貸料も高額なことからシンボル的に「フランチャイズ球場」と広報しながらも、実際は年数試合の使用にとどめ、キャパシティ数千人規模の球場を転戦することが多い。これは、フランチャイズ地域への顔見世の効果が期待できるためでもあるのだが、その主要因は、野球団体としては後発の独立リーグ球団は、「先輩」である学生野球や少年野球、それに草野球の顔色を見ながらスケジュール調整せねばならないことにある。現在のところ、アメリカのマイナーリーグのように、特定の地方都市をフランチャイズとし、身の丈にあった規模の球場に腰を据えて公式戦を消化するのが理想ではあるものの、日本の独立球団が置かれた現状においては、域内を転戦するというのが現実的であろう。賃貸料を大幅に割り引いてもらう、あるいは開催地自治体に試合興行を買い取ってもらうという方法で、経費削減、増収を図っている球団もあるが、そこまで話を進めるには、かなりの時間をかけての地域貢献が必須となる。
フランチャイズとしての北九州の可能性について、堀江、槇原氏とも、90万人を数える人口とその経済力の魅力を語っていたが、その大都市のもつポテンシャルを本来的に地域密着型の小規模プロスポーツである独立リーグにどう結び付けていくのかが今後の課題となる。
当然そのあたりのことは新球団経営陣も織り込み済みだろう。そのことは、球団社長に就任した若き経営者、槇原氏の言葉にも表れている。
「このプロジェクトのために、私は今年の2月から北九州市に移り住みました。まだまだ球団スタッフも少ない中で、こうやって記者会見を開かせていただいていることを、非常にありがたいと思っています。これから北九州市を盛り上げていきたいと思っていますので、よろしくお願いします」
今後も福岡北九州フェニックスから目が離せない。
(文中の写真はすべて筆者撮影)