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水に抗するのではなくゆだねる 〜オランダに学ぶ気候変動適応1〜

橋本淳司水ジャーナリスト。アクアスフィア・水教育研究所代表
アムステルダム市内の水上の家(提供:Water Studio)

なぜ住宅が水に浮くのか

 日本は気候変動による豪雨災害に苦しみ、治水方法の転換を迫られている。

 COP25(国連気候変動枠組み条約第25回締約国会議)では、気候変動の「緩和策」である温暖化ガスの排出量削減の話し合いが不調に終わり、グテレス国連事務総長は12月15日、成果に「がっかりしている」と表明した。

 国連のグテレス事務総長は12月2日のCOP開幕時に、石炭火力発電への依存をやめるよう訴えていたが、梶山弘志経済産業相が石炭火力を継続する考えを表明したことについて、「気候変動の危機に立ち向かおうとする人々の努力に水を差す」と批判した。

 そうしたなかで、気候変動の「適応策」の先進地・オランダの取り組みを紹介する。

 オランダの低地では、高潮や洪水に悩まされてきた。古くから水車や堤防が水害から国土を守ってきたが、もっとも低い場所が海抜マイナス6.76メートル、国土の4分の1が海抜以下の低地であるため、数々の水害に見舞われてきた。

 文献には西暦900年から1900年の間に124回もの水害の記録が残っている。17世紀になるとその数は多くなり、その後18世紀は比較的穏やかだったものの、19世紀にはまたその数は増加した。

 1995年の洪水では、25万人が1週間以上の避難生活を余儀なくされた。その後も地盤沈下が進む一方で、地球温暖化で集中豪雨や冬の雨が増え、短時間で洪水が発生してしまう。従来の方法では解決できないという思いが人々に広がっていった。

 1回目に紹介するのが「フローティング・ストラクチャー」。水に抗するのではなく、水にゆだねる解決方法だ。ロッテルダムから車で20分、レイスウェイクという街で建築家のコーエン・オルトゥイス氏に会った。

アムステルダムにあるフローティング・ヴィラ(提供:WaterStudio)
アムステルダムにあるフローティング・ヴィラ(提供:WaterStudio)

 オルトゥイス氏は「水は脅威ではない。チャンスだ」と言い切る。

 彼の解決方法は「フローティング・ストラクチャー」。すでにアムステルダムには、運河の上に、フローティング・ハウス、フローティング・ヴィラが多数浮いている。

「耐久性、断熱性に優れ、高い質の居住空間になっている。いつでも家のすべての部屋から水の景色を楽しむことができる。そして、水面が上昇すれば、それに合わせて家も上昇する。だから洪水や海面上昇も関係ない」(オルトゥイス氏)

 なぜ巨大な住宅が水に浮かぶのか。

 たとえば多くの木は水に浮く。この性質を利用して丸木船や筏を水に浮かべ、人間は水の上を自由に移動できるようになった。

 その後、船はめざましい発展をとげた。筏はボートになり、やがて大型帆船が世界の海を駆けめぐる大航海時代を経て、船の素材は鉄に変わり、近年では巨大タンカーも現われた。

浮力がはたらくしくみ(拙著『水の科学』(ベレ出版)より)
浮力がはたらくしくみ(拙著『水の科学』(ベレ出版)より)

 船が水に浮いているということは、船の重量が水に支えられているということ。つまり、「船の重さによって下に働く力」=「水が船をもち上げる力」ということだ。「水が船をもち上げる力」を「浮力」という。水の中で物体が受ける浮力は、その物体と同じ体積の水の重さ。物体の重さよりも浮力が大きければ浮かび、小さければ沈む。

 同じ材質であれば浮力は物体の体積に比例する。水に浮かんだ木片を沈めようとしたとき、小さい木片は比較的簡単に沈められるが、大きい木片は浮力が大きいため、なかなか沈めることができない。

 軽量化をはかり、体積を大きくすることができれば、巨大な家でも水に浮くというわけだ。

沿岸都市が抱える深刻な課題

 オルトゥイス氏の計画は、家だけに止まらない。最終的には、河川、運河、湖、内海などにフローティング・シティを構築しようとしている。

 この構想は、世界が抱える2つの問題を解決する。1つは土地不足、2つは気候変動適応だ。

 世界の大都市の9割近くが水辺に位置する。川は四大文明の例をあげるまでもなく、生きものが生命を維持し、生産に必要な水をもたらし、人と都市を支える。水域は、自動車や飛行機の登場以前、船による交易をもたらし、港湾は、遠くの都市や海外とつながる拠点だった。

 現在、人口は沿岸都市に集中し、地価や賃料の高騰、住宅不足は深刻だ。日本でも東京、大阪に人口が集中するが、それは世界のどの沿岸都市も同様で、その数は世界の人口の半分以上になる。

 沿岸都市は今後もますます人々を引き寄せるとされる。世界では毎週約300万人が田舎から都市に移動し、大部分が沿岸都市に向かっている。国連ハビタット(都市化と居住の問題に取り組む国連機関)は、2035年までに、すべてのメガシティ(人口1000万人以上のメトロポリス)の9割が海岸に存在すると予測しており、居住地の問題はさらに深刻になるだろう。

 過去数十年間、アジア各地の沿岸都市は、埋め立てにより土地の需要に応えてきた。たとえば中国は、2006年から2010年までに、毎年700平方キロメートルの新しい土地を埋め立てにより増やしてきた。

 それは海岸線の自然が破壊されることでもある。砂が流出し、水質が悪化する。水が濁り、十分な光がないため植物プランクトンが減少し、そのプランクトンをエサとする小魚が減っていき、さらにその小魚をエサとする魚が減少するなど、生態系が変化した。同時に砂が枯渇する。開発による砂の奪い合いは世界各地で起きており、「砂マフィア」と呼ばれる闇の世界との関連も指摘されている。

 また、沿岸都市は気候変動とその結果としての海面上昇の影響を受けやすい。東京、大阪にもゼロメートル地帯が広がり、今後の対応に課題を残している。実際、2018年9月、台風21号に伴い大阪湾で既往最高の潮位を記録する高潮によって浸水被害が発生している。

「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」による第5次評価報告書では、「気候システムの温暖化には疑う余地がなく、海面水位は上昇している」こと、「21世紀の間、世界全体で大気・海洋は昇温し続け、世界平均海面水位は上昇を続ける可能性が高い」ことが報告されており、対策が急務だ。

 だが、水の上にまちをつくるという構想は、この2つの問題をクリアしている。

多様なフローティング技術

 フローティング技術は多種多様だ。ロッテルダムにはオフィスタワーが計画されている。新しいタワーは主にCLTを使用して構築される。CLTとはCross Laminated Timberの略称で、ひき板を並べた後、繊維方向が直交するように積層接着した厚みのある大きな板であり、建築の構造材の他、土木用材、家具などにも使用されている。

フローテイング・オフィス(提供:Water Studio)
フローテイング・オフィス(提供:Water Studio)

 これによって、高さ40メートルの建物が軽くなることを意味するだけでなく、再生可能な資源で作られることも意味する。木製タワーは主にオフィススペースとして機能するが、レストランや中庭など、一部のエリアは一般に開放される。

 生物多様性を促進するフローティング技術も考えられている。現在の都市には公園のスペースを追加する余裕がない。そこでオルトゥイス氏が考案したのが水に浮遊する「海の木」だ。「海の木」のアイディアは、既に海洋石油・ガス開発プロジェクトで利用されている浮体式のプラットフォームにヒントを得ているという。

海の木(提供:Water Studio)
海の木(提供:Water Studio)
「海の木」の構造と機能(提供:Water Studio)
「海の木」の構造と機能(提供:Water Studio)

「海の木」の高さと深さは、設置する場所に応じて調整できる。 ケーブルで水底につなぎとめられ、水上部分は陸上生物や鳥のための、水中部分は水生生物の生息地となる。 デザインコストは100万ユーロほどだが、 水深、係留施設、建設現場から設置場所までの輸送に応じて変わる。

 さらに2017年11月、欧州の17のパートナーで構成されるコンソーシアムが、モジュール式の島を開発するプロジェクトをスタートさせた。

 フローティング・クルーズターミナルも考案されている。世界最大のクルーズ船3隻の同時係留を可能にする大きさだ。 三角形の持ち上げられたポイントは、本土への小型船と水上タクシーのための内港への入り口を形成する。ターミナル内には、小売、会議、映画、ホテルなどのための16万5000平方メートルのスペースがある。

長所は建築のスピードと柔軟性

 これらのフローティング建築物の特長は、建設のスピードと柔軟性にあるといっていい。

 埋め立ての開発の場合、砂を埋設後、堆積物が落ち着くまでに数年の待機期間が必要だ。そこから地盤を整える作業があり、次いで建設がはじまる。

 だが、フローティング建築物の場合、水域を確保し、プラットフォームが固定された日に構築を開始できる。上物の建築物は別の場所にある工場でつくられた後、パーツごとに船で現地まで運ばれ、組み立てることができる。

 建築物の移動や組み替えも陸上のものに比べて簡易にできる。陸上の都市の場合、中心に老朽化した施設、空き家の多い地域があっても、それを取り除いて再開発するのは容易いことではない。この結果、どうしてもまちが「まだら状」になる。しかし、水上であれば、不要になった建物や地域をプラットフォームごと移動させ、再構築することができる。

「現在の都市計画はさまざまな不確定要素がある、人口の増減、政治の不安定さ、気候変動への適応がその代表だ。先が見通せない時代だからこそ、柔軟性のあるまちづくりが必要だ。フローティング技術ならそれが可能だ」(オルトゥイス氏)

「オリンピック会場をすべてフローティング競技場で行うことも可能だ。そうすれば、沿岸の都市であれば、建設費のまかなえない小国でも開催できる。毎回、競技場などオリンピック関連施設を船で運んでいくので、本当の意味で無駄がなく、持続可能だ」(オルトゥイス氏)

課題は水の上を利用する権利をどうフェアに設定するか

 このようにいいこと尽くしに思えるフローティング戦略だが、大きな課題が残っている。

 それは水の上を誰が、どのように使用するか、明確な決め事がないことだ。

 オランダでは水上の建築物は「船舶」という扱いになっている。フローティング・ハウスは、アムステルダム市が所有する河川に浮かぶ私有の船舶だ。陸上の建築物と同様の扱いではないため、法律、税金、保険など、さまざまな面が異なる。

 水上に建築物をつくった場合、建築物のある水域は私有物なのか、水域は公共物だが上物だけが私有物なのかなど、定義付けなくてはならないことも多い。

 オルトゥイス氏は「国が国際的なコンセンサスをとりながら、法律を整備してほしい」と望んでいる。

 だが、すでに水上に暮らす人々もいる。その人たちが生活する権利は保障されるのだろうか。

 たとえば、カンボジアのトンレサップ湖とその周りの氾濫原には約120万人が暮らすが、そのうちの4分の1に当たる34万人が湖上に浮かぶ家に住んでいる。

トンレサップ湖の水上生活者(撮影:Sokna Keo)
トンレサップ湖の水上生活者(撮影:Sokna Keo)

 ベトナムからの難民も多く、地上に住む場所がないために、ボートで暮らすという事情がある。湖上には商店や学校、病院などの公共施設もある。水上養豚場で豚を育てている家もある。電気はバッテリーを使い、このバッテリーを充電する商売もある。

 集落は水上にあるため、住人は何をするにも基本ボートで移動する。学校に行くにも商店で買い物するにも、カラオケに行くにもボートに乗る。大きめの桶をボート代わりに巧みに湖上を移動する子どももいる。

 彼らは湖の水位の変動に合わせて、年に3〜4回住居を移動させる。水位が1メートルほどになる乾期には湖の中心部に家があるが、雨期に水位が上昇すると湖岸近くに家を移す。水上集落の構成メンバーは変わらないが、好きな所に住んでよいので、お隣さんはいつも別人となる。

 フローティング戦略は沿岸都市の新たな生活空間、気候変動適応策として非常に有効だ。これが水上不動産業というビジネスとして加速する可能性がある。このときトンレサップ湖のような既存の水上生活者と水上の権利をめぐって対立することがあるのではないか。

 気候変動が進み、世界各地の低地が高潮や洪水被害に直面するようになると、水上の暮らしが一気に加速する可能性がある。国際的なルール、国レベルでの法律を早めに考える必要があるだろう。

 第2回では、「水のための空間をつくる」、そして、第3回では「水との戦いの歴史は金になる」と進めていく。

水ジャーナリスト。アクアスフィア・水教育研究所代表

水問題やその解決方法を調査し、情報発信を行う。また、学校、自治体、企業などと連携し、水をテーマにした探究的な学びを行う。社会課題の解決に貢献した書き手として「Yahoo!ニュース個人オーサーアワード2019」受賞。現在、武蔵野大学客員教授、東京財団政策研究所「未来の水ビジョン」プログラム研究主幹、NPO法人地域水道支援センター理事。著書に『水辺のワンダー〜世界を歩いて未来を考えた』(文研出版)、『水道民営化で水はどうなる』(岩波書店)、『67億人の水』(日本経済新聞出版社)、『日本の地下水が危ない』(幻冬舎新書)、『100年後の水を守る〜水ジャーナリストの20年』(文研出版)などがある。

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