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トランプ政権が米朝首脳会談の開催を焦った理由ー北朝鮮の「粘り勝ち」

六辻彰二国際政治学者
北朝鮮の金英哲氏をホワイトハウスに迎えたトランプ大統領(2018.6.1)(写真:ロイター/アフロ)
  • 米朝首脳会談が開催されなかった場合、北朝鮮だけでなく、米国も大きなダメージを受けていた
  • トランプ大統領は、米朝首脳会談の開催をこれ以上引き延ばせないなかで、「最大限の圧力」や「短期間での非核化」を放棄した
  • 米朝首脳会談が短期間のうちに成果を出すと想定することはできないが、それでもトランプ政権にとっては大きなトロフィーが残る

 米国トランプ大統領は6月1日、米朝首脳会談を6月12日にシンガポールで開催すると明言したうえで、「最大限の圧力という言葉をもう使いたくない」と発言。さらに同日、朝鮮労働党の金英哲副委員長とホワイトハウスで会談した際には「時間をかけて構わない」とも述べています。

 これらの発言からは、少なくとも現段階において、圧力より協議を優先させるトランプ氏の姿勢をうかがえます。さらに、これまで強調してきた「完全かつ検証可能、不可逆的な非核化(CVID)」の一本やりではなく、北朝鮮の求める「段階的な非核化」を考慮に入れても構わない、というメッセージも読み取れます。

 5月末から米朝首脳会談の会談そのものが二転三転した先に出てきた今回の方針転換には、いかにも唐突な印象があるかもしれません。しかし、「予定されていた6月に米朝首脳会談が行われない場合、被るダメージは北朝鮮よりむしろ米国の方が大きい」ことに鑑みれば、この方針転換は不思議ではありません

問題の構造は1ミリも動いていない

 米朝首脳会談をめぐっては、双方の駆け引きの一つ一つに目を奪われがちです。しかし、問題の構造そのものは2月に韓国政府が平昌五輪の機会をつかまえて南北会談をスタートさせた頃から、あるいはそれ以前から、何も変わっていません

 米国にとって最大の懸案は、北朝鮮が米国を射程に収める大陸間弾道ミサイル(ICBM)をもつことです。言い換えると、体制の保証や、短・中距離ミサイルの開発・保有、拉致問題を含む人権問題などは、トランプ政権にとって「自分の問題」ではなく、優先順位の低い、譲歩して構わない問題です。

 逆に、北朝鮮にとって最大の関心事は体制の保証にあります。ただし、米国を信用できない以上、その言いなりになって核・ミサイルを一度に放棄することは、北朝鮮にとって自殺行為になりかねません。だからこそ、圧力を受ければ受けるほど、北朝鮮にとって核・ミサイルの重要性は増してきました。

 このように米朝の担当者にとっての最大のテーマは、「短期間での非核化」か「段階的な非核化」か、という相いれない衝突にあり、どちらかが譲るしかない構図が定着してきました。

デッドロックで困るのは

 デッドロック(行き詰まり)を打開しようとするなら、「立場の弱い側」が譲るしかありません。それは一見、北朝鮮のように映ります。実際、米朝首脳会談が開かれず、緊張や対立がエスカレートし続ければ経済制裁が継続されるため、北朝鮮にとって影響がゼロでなかったことは確かです。

 しかし、米朝首脳会談が予定通り開催されない場合、トランプ大統領が被るダメージやリスクは、金正恩体制と比べても決して小さくありません。そこには大きく二つの理由があげられます。

 第一に、中間選挙のスケジュールです。今年11月6日には米国の下院全議席と上院の3分の1(33議席)が改選され、さらに各州での知事選挙も行われます。中間選挙は政権に対する信任投票の意味合いが強く、それまで半年を切った6月は、「目に見える成果」をアピールしたいトランプ氏にとってギリギリのタイミングです。

 逆に、金正恩体制からすれば、ここまで追い込まれた以上、米朝首脳会談があと1~2ヵ月ずれ込んだところで、被るダメージに大きな差はなかったはずです。つまり、米朝首脳会談の開催がこれ以上ずれこんだ場合、より困った立場に立っていたのはトランプ政権なのです。そのため、これ以上引き延ばせば北朝鮮ペースになりかねないタイミングで、トランプ政権は圧力から協議に舵を切ったといえます。

核ミサイルをかついだ窮鼠

 第二に、北朝鮮を追い込みすぎるリスクです。日本政府は「最大限の圧力」を強調しますが、そこには「追い込むことで相手がネをあげるはず」という考え方があります。

 ただし、追い込まれすぎた相手が「これ以上追い込まれて自滅するくらいなら、いっそ打って出る」という選択をすることも珍しくありません

 満州事変(1931)後、国際的に批判され、米国などの経済制裁の対象となった日本が、「全ての海外権益の放棄」を求める米国の通牒(ハル・ノート)を受けて、むしろ日米開戦に向けて加速していったことは、その象徴です。この場合、米国が極めて高いハードルを設け、一切妥協しなかったことが、むしろ日本を逆噴射させました。この日本の立場を北朝鮮に置き換えれば、米国政府が「追い込みすぎるリスク」を懸念したとしても、不思議ではありません。

 これに加えて注意すべきは、実際の軍事的な勝敗や優劣と、政治的なリスクが別物ということです。

 追い込まれた北朝鮮との間で実際に軍事衝突に至れば、最終的には戦力において米国が圧倒することは目に見えています。ただし、犠牲者が出た場合の国内の政治的なダメージでいえば、民主的な選挙を経ているトランプ政権は、もともと国民からの支持を当てにしていない金正恩体制より脆いといえます。1万人の北朝鮮人が死んでも金正恩体制はそれを覆い隠すでしょうが、100人の米国人が死亡すればトランプ政権は国内でつるし上げられます。

 この構造を考えれば、6月初旬の段階でトランプ大統領が米朝首脳会談という北朝鮮にとって「生き残りのための最後の道」を閉ざさず、さらに「短期間のうちに全ての核戦力を無力化すること」という非現実的なまでに高いハードルを取り下げたのは必然だったといえます。これは北朝鮮の「粘り勝ち」だったといえるかもしれません。

トランプ政権にとっての「成功」とは

 トランプ大統領は1日の金英哲氏との会談後の記者会見で、6月12日の会談を「(金正恩氏と)知り合いになるための機会」のようなものだと述べました。一度の協議で全て解決するわけではなく、何度も会合を重ねるなかで最終合意にたどり着くという方針は、いわば現実的なものです。

 ただし、その現実感覚は、「米国を射程に収める核ミサイルの放棄」を優先させるために、短・中距離ミサイルや人権問題など、それ以外の問題を切り捨てる可能性を大きくするとみられます。

 これに加えて、「何度も会合を重ねる」という名目のもと、協議が長期にわたることも想定されます。問題の根本的な解決が難しい以上、協議がとんとん拍子で進むことは見込めません。それでもトランプ政権には初の米朝首脳会談という「歴史的な偉業」を達成したトロフィーは残り、11月の中間選挙では「北朝鮮との協議が進行中で米国は安全になりつつある」というアリバイを主張できます。

 一方、協議が長期にわたることは、北朝鮮にとって経済制裁の継続を意味するものの、中国などでの違法な北朝鮮企業の操業が継続していることもあり、すぐに立ち行かなくなるわけでもありません。むしろ、協議が続いている間は少なくとも事実上、体制を安堵でき、ほぼ唯一の外交手段であるICBMを保持できます。逆に、短期的な利益を求めて、北朝鮮が米国内でのトランプ政権の立場をなくす振る舞いをしたが最後、本当に「怒りと炎」に直面することになりかねません。

 そのため、少なくとも中間選挙が行われる11月までは、北朝鮮も米国との「対話ムード」を決定的に悪化させる行動をとらないとみられます。言い換えると、協議の実際の進展はともかく、それを継続し、いわば「対話ムード」を演出すること自体に利益を見出す点で、トランプ政権と金正恩体制は共通するといえるのです。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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