【その後の鎌倉殿の13人】他人に悪口を言い放った御家人はどのような罰を与えられたのか?
鎌倉幕府の第3代執権・北条泰時(1183〜1242)の時代に制定された法令集「御成敗式目」(1232年制定)。式目の中には「悪口」に関する規定があります。式目は悪口をどのように規定しているのでしょうか。先ず、式目の第12条は「悪口の咎の事」として「闘殺の基」(戦いや殺人のきっかけ)は「悪口」より起こるとしています。では悪口を言い放った者は、どのような罰が与えられるのでしょうか。興味深いのは、一括りで「悪口」として罰せられたのではなく、重い悪口と軽い悪口で罰の内容が分けられていたことです。では、重い悪口を言った者はどうなったのか?「流罪」に処されたのです。軽い悪口を言った者は召し籠めると書かれています。他の御家人に身柄を預けるということです。また、裁判中に相手の悪口を言ったら、その者は直ちに負けることとすると定められているのです。
悪口を言ったら、流罪になったり、身柄を拘束されるのかと思われるかもしれませんが、御家人が本当にそのような厳罰に処されていたかは疑問とされています。悪口は闘殺の基になるということで、厳罰に処すことを掲げただけということです。「厳罰に処される可能性があるから、悪口を言うなよ」と鎌倉幕府が御家人らに圧をかけた条文ということができるでしょう。口論を契機とした喧嘩が絶えないのが、中世の社会でした。そうした風潮を改善して、争い事を少なくしたいというのが、幕府の意図だったのです。