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「どうする家康」、「天下一苗字」と言われた今川氏のルーツ

森岡浩姓氏研究家
愛知県西尾市にある「今川氏発跡地」の碑(筆者撮影)

8日放送の大河ドラマ「どうする家康」第1回では、早くも今川義元が退場した。

松平元康(のちの徳川家康)が人質となって暮らしていた今川氏。桶狭間合戦では織田信長の奇襲の前に敗れたが、当時は東海地方を代表する大大名で、清和源氏で足利将軍家の一族という全国きっての名門であった。

今川氏のルーツ

今川氏のルーツは、本拠としていた駿河ではなく三河国幡豆郡今川荘(現在の愛知県西尾市今川町)である。現在、この場所には「今川氏発跡地」の碑が建てられている。足利氏3代目義氏の庶長子長氏が吉良氏を称し、その二男国氏が今川荘を与えられて今川氏を称したのが祖である。

南北朝時代、範国・範氏父子は足利尊氏に属し、遠江国・駿河国の守護を歴任した。以後も代々北朝に属し、室町幕府では重要な地位を占めた。

また、範国の二男貞世(了俊)は九州探題となると実に25年にわたってつとめ、九州からの南朝勢力の掃討に貢献した。しかし、大内義弘の讒言にあって解任されて駿河半国守護に左遷され、のち遠江国堀越(現在の静岡県袋井市堀越)に隠棲した。子孫は遠江今川氏と呼ばれて、本家である駿河今川氏の家臣となった。

天下一苗字

本家範国の子孫は代々駿河守護を世襲。泰範は明徳2年(1391)の明徳の乱、応永6年(1399)の応永の乱で活躍して遠江国守護を兼ねた。

さらに、永享10年(1438)に起きた6代将軍足利義教が鎌倉公方足利持氏を討伐した永享の乱では、範忠が活躍。義教は功をあげた範忠に対して「天下一苗字」という恩賞を与えた。これは、「今川」という名字は今川氏の惣領家のみが名乗れる特別な名字にする、というものである。

これを機に分家の遠江今川氏は、「今川」という名字を「堀越」や「瀬名」に改称した。「どうする家康」に「瀬名」という名前で登場する家康の正妻は、この瀬名氏の分家関口氏の出である。

今川の意味

本来、「今川」とは「新しい川」という意味である。護岸工事などしていない時代、大きな川は大雨が降ると氾濫し、その流れを変えた。かつて流れていた川筋は「古川」と呼ばれ、新しくできた流れが「今川」である。

従って、「今川」は各地にあり、それに因む「今川」という名字も各地にあったはずだが、このときに駿河今川氏のみが「今川」と名乗れるようになった。

しかし、今川氏は義元の子氏真の代で滅亡し、「天下一苗字」も消滅した。

今川氏の子孫は旗本として残っているが、以後は各地で新しい今川氏が生まれている。

姓氏研究家

1961年高知県生まれ。早稲田大学政経学部在学中から独学で名字の研究をはじめる。長い歴史をもち、不明なことも多い名字の世界を、歴史学や地名学、民俗学などさまざまな分野からの多角的なアプローチで追求し、文献だけにとらわれない研究を続けている。著書は「全国名字大辞典」「日本名門・名家大辞典」「47都道府県・名字百科」など多数。2017年から5年間NHK「日本人のおなまえ」にレギュラー出演。

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