ラジオ「気象通報」の放送開始で激減した日本近海の海難
ラジオでは最初から天気予報番組
日本でのラジオ放送は、大正14年(1925年)3月1日に東京放送局(JOAK,現在のNHK)で仮放送の電波が出されたのが最初です。
そして、同年6月に大阪、7月に名古屋と次第にラジオ放送が広がっています。
どの局もラジオ放送開始時から、番組にニュースとその地方の天気予報を入れていました。
それまで、天気予報は官報や新聞の一隅や、交番などの黒板といった比較的限られた方面で、しかも発表後、数時間あるいは半日くらいも遅れて知るという程度でしたので、なかなか国民生活には解けこみませんでした。
それが、ラジオの登場により、天気予報は発表後ただちに津々浦々にまで伝わることになり、天気予報が国民生活に密着するようになってゆきました。
天気予報文漢文調から日常の話し言葉に
天気予報がラジオの登場によって国民生活に密着しはじめると、天気予報のほうも変わり始めました。それまでの天気予報が、「進行中ナリ」とか「シツツアリ」といった、いわば漢文調の文章でしたが、「デス・マス」といった現在と同じ日常の話しことばの文体となったのも、その変化の一つです。
気象庁に残されている中央気象台の印刷天気図によると、昭和3年9月13日の概況文には書かれているものが、現在と同じ日常の話ことばの文体で書かれた最初です。
颱風ハ琉球沖縄島ノ西北約四十里程ノ海上ニ在リ、付近ノ海上ハ暴風雨デス…
本格的な気象番組「気象通報」がスタート
本格的な気象番組である「気象通報」がスタートしたのは、ラジオの全国ネットが完成した昭和3年11月5日からです。
この「気象通報」は、それまで各局別に行っていた「地方の天気予報」、「漁業気象」などに「全国天気概況」が加わったものです。
少しずつ形が変わってきているものの、現在まで続いている超長寿番組です。
「気象通報」の効果
気象通報の効果は抜群で、中央気象台の大谷東平氏の昭和9年の調査である「海難による日本船の損傷率」に、如実に現われています(図1)。
船の行動半径が次第に増大するにつれ、海難で損傷する船の割合が増加していましたが、昭和4年から急激に減少しています。
この原因は、古い船が減り新しい船が増えたといった船の質の向上や、乗組員の技術の向上などいろいろな要因に、気象通報の効果が重なったためと考えられています。
現在の「気象通報」
現在,NHKラジオ第2放送によって,気象庁予報部発表の気象通報が1日に1回、16時から放送されています。平成26年3月30日までは、1日3回の放送でしたが、インターネット等の普及により、天気図の入手が容易となったことによりラジオのリスナーが減ったためです(表)。
しかし、手軽に天気図が入手できる手段の一つとして根強い需要があり、廃止には至っていません。気象庁のホームページには、放送を聞き逃したひとのために、過去一週間分の「気象通報」の放送で利用したデータがあります(図2)。
また、登山家にとっては、山の上での究極の情報入手手段としてラジオが重要であり、高校総体の登山競技では、気象通報を聞いての天気図作成は競技の審査項目となっています。
アナウンサーの技術を磨いてきた「気象通報」
現在の「気象通報」は、コンピュータによる音声合成で放送されていますが、私が予報官をしていた20年以上前は、気象通報担当となった予報官が放送原稿を書き、NHKにファックスで送っていました。そして、その原稿をNHKのアナウンサーが読み上げて放送していました。
その頃、NHKの幹部の方から、「気象通報」は、新人アナウンサーの技術を磨くのに最適の番組という話を聞きました。「気象通報」は、放送原稿を正確に読み上げないと人命にかかわります。また、台風などが接近し、情報量が非常に多い時でも、必ず、20分間という決まった時間内に、しかも聞きやすいように読み上げる必要があるからです。
そのような話を聞いてから、注意して放送をモニターしていると、「ベテランアナウンサーは、さすがに早く喋っても聴きやすい」と感じたことがあります。
「気象通報」には最新の台風情報
観測資料が気象庁に集められ、解析され、気象通報の原稿ができるまでに約3時間かかるため、放送では表で示した時刻の観測値を使っています。日本に台風が接近してくると、気象庁では特別体制を敷いて、台風の観測や解析を行っています。そして、「気象通報」の最後にできるだけ最新時刻の台風位置と進行方向を付け加えています。つまり、12時の台風についての位置、進行方向、最大風速、暴風域や強風域などの情報に加え、14時の台風位置と進行方向が放送されています。
図表の出典:饒村曜(2015)、特別警報と自然災害がわかる本、オーム社。