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温暖化によりコメの品質が低下しているが、日本人は楽観視してよい理由

遠藤司皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー
(写真:イメージマート)

 12月14日、GIGAZINEに「日本や中国の米は気候温暖化により品質が低下しているという研究」と題する記事が掲載された。

 中国の陝西師範大学の Xianfeng Liu らの研究によれば、精米後に元の長さの4分の3以上を保持している米粒の割合を表す指標である高品質米率(HRR)を調べると、日本では平均が約66%となり、とくに1996年から2010年の期間では、10年あたり7.6%の低下が見られたという。

 研究によれば、品質低下の主な要因は夜間の気温上昇である。精米後の白米には7-8割のデンプンが含まれるが、多くのデンプンを保持するには昼夜の寒暖差が重要となる。イネは日中の光合成によりデンプンを合成する一方、夜間の気温が低い方が代謝を抑制し、デンプンを消費しにくくなる。温暖化傾向により、ますます品質が低下していくことが予想されるため、新たな品種の開発が望まれるという。

 ところで日本では、国に登録されているコメは1000品種を超え、うち主食用として多く作られているのは300品種を超える。つまり日本では、ながらく品種開発が行われてきたのであり、それは日本の風土の特徴を反映している。日本のコメづくりの歴史を、少しだけ振り返っておきたい。

もともとイネは暖かい地域の植物

 ご存じのように地球は長い間、気候変動を繰り返してきた。

 イネには畑で栽培する陸稲と水田で栽培する水稲があるが、水稲よりもずっと前から、陸稲は日本でも栽培されていたようだ。後者の水田による稲作は3000年前ほど前、縄文時代後・晩期に九州北部に伝わったものが起源といわれる。それから300年ほどかけて近畿地方にまで広がり、さらに300年後には本州の北端まで伝わった。日本は今年、皇紀2684年である。

 およそ4000年前より地球は寒冷傾向にあり、とくに紀元前750年前後は気温の低下が著しかったという。その頃、日本でもクリやドングリなどの木の実を主食とするばかりでは生活が困難となったため、縄文時代前期からのアズキやダイズなどに加え、アワやキビも栽培するようになる。そして比較的温暖な時期になると、イネの水田栽培も広がりをみせた。

 イネはもともと熱帯である東南アジア原産の多年草植物であり、のちに日本のような温帯を含む東アジアの広い地域で栽培されるに至った。東南アジアでは、イネは深い水の中に自生することが可能であり、水上に出た穂先を刈り取ることで実を採取できた。対して日本では山間が多く、川は急流である。加えて、インディカ米に比べれば寒さに強いジャポニカ米とて、日本の冬の寒さには耐えられなかった。

 そこで日本人は、川から水を引き、斜面を削り畦を作って水田を耕すことで、イネの栽培に適した環境を整えた。春には適切な気温を見極めて田に苗を移植し、栄養を取られないようにと雑草を取り除いた。農具を改良して効率を上げ、安全に保管する方法を確立した。田を維持するために集団を形成し、規範を整えた。文化 culture はラテン語の耕すこと colore を語源とするが、まさしく日本人は稲作と共に独自の文化、文明をつくり上げたのである。

 稲作が広がるさなか、日本の気候は様々に変化した。その過程において、寒さに強い品種や寒くなる前に収穫可能な品種が生き残り、より寒冷な北の地域にも徐々に伝播された。近代以降には交配など、人工的な品種改良も実施されるようになる。人のなす技術の発展と蓄積に伴い、現在のような多品種のコメが日本に生まれたのである。

革新の源泉は生きる姿勢

 このように日本人は、文化の起こりから現在に至るまで、自然や風土といった生活環境の様々な変化に対応し、工夫を重ねて食という生きる糧を生み出し続け、明日を切り拓いてきた。いま稲作にも温暖化という環境変化が問題とされるに至り、想定される原因には諸説あるようだが、われわれの知恵を振り絞れば解決可能であろう。

 東南アジアと日本との間で、同じ稲作でも発展形態が異なるのは、その時々において対応する必要のある問題が異なったからである。技術は具体的な問題の解決に向けて革新を遂げ、文化や文明は革新の連続により形成される。温暖化は、稲作文化を先に進めるための機会であり、新たな価値創出の契機とみなされうる。

 哲学者のアランは『幸福論』の中で「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである」と述べた。厳しい現実から目を逸らさず、正しく状況を把握することで、人生に希望を見出すことができる。幸福は、意志と克服によって獲得されるのであり、技術はわれわれの幸福に寄与することができる。



 沖縄の方言に「なんくるないさ」という言葉があるが、どうやら全体としては「まくとぅそーけー、なんくるないさ」という定型句のようだ。「まことの行いをしていれば、なんとかなるさ」という、人事を尽くして天命を待つと似た意味である。困難にも挫けず、正しい道を歩むべく努めていれば、自ずと報われる日が来る。このような精神性を、旧来の日本人一般はもち得ていたように思う。

 かくして楽観的というのは、何の準備もせずに能天気に振る舞うことではない。変えられぬ運命に委ねるのではなく、自然の大きな流れの中でも人としてもがき、何とかすることだ。漫画『僕のヒーローアカデミア』のNo.1ヒーロー、オールマイトは、緑谷出久に能力を引き継ぎ、弱体化した後も武装して戦い抜いた。かれの「凄惨な死を迎える」運命さえも、変えることができよう。技術こそは、自ら助くるものを助く。

 まことの道を歩む過程で、大きな苦しみを得ることもあろう。だが人として、目の前の困難を乗り越えるべく試行錯誤を繰り返せば、解決の糸口は見出せる。たとえ金がなくなり、コメが食えなくなろうとも、魚を獲れば生きられるのだ。文明が発展し、生活様式もまた大きく異なったいまでも、何かを変えるには根本に楽観的な姿勢が必要であると、改めて主張しておきたい。

皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー

1981年、山梨県生まれ。MITテクノロジーレビューのアンバサダー歴任。富士ゼロックス、ガートナー、皇學館大学准教授、経営コンサル会社の執行役員を経て、現在。複数の団体の理事や役員等を務めつつ、実践的な経営手法の開発に勤しむ。また、複数回に渡り政府機関等に政策提言を実施。主な専門は事業創造、経営思想。著書に『正統のドラッカー イノベーションと保守主義』『正統のドラッカー 古来の自由とマネジメント』『創造力はこうやって鍛える』『ビビリ改善ハンドブック』『「日本的経営」の誤解』など。同志社大学大学院法学研究科博士前期課程修了。

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