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スマホ依存「やめたいと思う」が77.6%だが、まだまだ依存してよい理由

遠藤司皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー
(写真:アフロ)

 12月2日、パーソナルキャリアが運営するJob総研は「2024年 スマホ依存の実態調査」の結果を公開した。

 インターネット上でスマホに依存しているかどうかを質問したところ、「とても依存していると思う」が16.7%、「依存していると思う」が28.1%、「どちらかといえば依存していると思う」が29.5%と、計74.3%が依存傾向のある結果となった。

 また、彼らに日常生活への支障有無を質問すると「とても支障がある」が13.8%、「支障がある」が19.6%、「どちらかといえば支障がある」が42.0%という結果であった。計75.4%が支障があると感じており、具体的には「睡眠不足・睡眠の質の低下」が71.7%で最多、「視力の低下・目の疲れ」が59.0%、「集中力の低下」が48.4%との回答である。

 よってスマホ依存の傾向のある人に、スマホの使いすぎをやめたいと思うかと質問すると、77.6%が多かれ少なかれやめたいと回答している。つまり彼らは、やめたいけどやめられない状況なのだが、その理由はまちまちである。われわれは、よし悪しはさておき日常のほぼ全てにおいて、スマホと関わりをもっている。

 ところで、市中にはスマホ依存に関する様々な調査や研究がみられるが、実際にスマホは便利であるがゆえ、これほど普及している。それなのに、今回のような調査においてはスマホのネガティブな面にばかり注目して質問を重ね、あたかもスマホは悪であるかのような印象を広めていることが多いと筆者は感じている。

 文明はたえず進歩しているが、その一方で人間の本性や許容量には必ずしも合致しておらず、様々な問題が生じるのが世の常である。改めて、スマホ依存と呼ばれるものの実態について考え、人びとの豊かな生活を再考しておきたい。

人はスマホに依存しているのか

 まず、スマホ依存という言葉について考えてみたい。スマホあるいはスマートフォンとは、手のひらサイズの四角いモノ、液晶のついた端末である。それに依存するというとき、スマホの形や黒い液晶画面に接触していたいという、物体への依存を意味するのではない。

 人が依存しているのは、液晶画面に表示されるコンテンツであり、それらが提供する個々人にとっての価値である。その価値はPCやタブレットでも同様に得られ、人によっては利便性において、スマホより得やすいと感じている。その意味で、スマホという端末への依存と表現するのはおかしい。筆者のような仕事人間は、価値を得るための手段として、むしろPC端末を頼りにしている。むろんプライベートでは、スマホも頻繁に使っている。

 情報社会の進展により、かつてより様々な価値が、いつでもどこでも誰にでも、容易に得られるようになった。各人の事情にかかわらず、誰もが求めれば満足を得ることが可能となったのだ。そして世界は、そのような公平性を実現すべく、かねてユビキタスやIoTといった概念のなかで切磋琢磨してきた。誰しもが、人びとの新たな幸せのかたちを追い求めてきた。

 かくしてスマホであれPCであれ、情報端末は満足を得るための普遍的な手段となった。離れていても連絡できる電話やLINE、調べれば即座に回答が得られる検索サイト、リアルタイムに情報が提供されるニュースサイト、欲しいものが直ぐに手に入る各種のEC。いずれも旧来より簡単に、様々な人の様々な目的に到達できるものとなったが、それは対面で行っていた行為が、情報端末で行えるよう移行したに過ぎない。移行したのは、そのほうが便利だからである。

 そうであれば、スマホを利用する時間が増えること、依存すること自体に問題はないはずだ。依存とは、それなしでは何らかの目的が達成されない状態のことであり、まさしく人びとの生活に溶け込んだスマホなどの情報端末は、満足を得るのに必須である。そして便利とは、目的を果たすのに都合がよいことを意味する。目的への到達手段として便利なスマホを、多くの人が使っているのは当然である。

 ここで調査に戻れば、スマホに依存傾向のある人のうち「無意識に時間が経っている」と回答した人は78.2%にものぼる。つまりスマホを頻繁に使う人の大多数が、目的への到達手段として使うのではなく、無駄に時間を費やしているのだ。これがスマホ依存の根本問題と思われるが、それはもはや依存というより、中毒と言ったほうがよい。

 そして事実、スマホに表示されるコンテンツのなかには、人を虜にし、中毒にさせるための様々な仕掛けが見受けられる。こうして仕事など、本来自身が達成すべきことにまで支障をきたすほど、時間を奪われるようになるのである。もしスマホを生活上のパートナーとみなすならば、人を振りまわして不利益を与え続けるようなヤバイ奴とは付き合うなという、旧来の処世術と同じことがいえる。自分によい影響を与えるような「中身のある」相手を選び、関係を保つほうがよい。

 結論として、スマホは目的に到達するための便利な手段であり、今後も毛嫌いすることなく自身が便利と思うかぎり、思う存分使うとよいであろう。そのほうが多くの満足が得られるのならば、さらに依存したほうがよいとさえ言えるのである。

情報過多が本当の問題

 ともあれ先に取り上げたとおり、調査ではスマホ依存の問題として「睡眠不足・睡眠の質の低下」「視力の低下・目の疲れ」「集中力の低下」が挙げられた。これらの問題とスマホ依存が直結するかは不明だが、彼らの困りごとなのは事実である。ひとまず、それらの問題を生み出している原因としては、膨大な情報の感受が挙げられそうである。

 例えば脳は新しい情報を手に入れると、快楽物質であるドーパミンを分泌する。人の本性には情報探索行動があり、情報を見つけた結果よりも、探索時にドーパミンが出やすい傾向がある。常時得られるようになると、その渇望に耐えられなくなる。これがスマホ依存ならぬ情報依存を招くのである。中毒を引き起こし、生活に支障をきたす。不眠の原因にもなる。

 また情報過多、つまり脳への刺激過多が続くと、脳疲労に陥る。高度な情報処理は、主に脳の前頭葉という部分が行うが、脳や肉体の他の部分と同様、その持続力には限りがある。脳疲労によって情報処理能力が低下し、集中力や判断力、意志決定力が衰えるようになる。

 脳には情報を仕入れる機能ばかりでなく、それらを整理する機能や、思考の結果を発する機能がある。情報過多の状態が続くと、整理し、発する機能が働かなくなり、仕事などの生産性が低下する。つまり脳は、情報を仕入れていない状態、例えばぼんやりする状態や、掃除や散歩など情報処理の少ない状態のときに情報を整理し、価値を発すべく機能するのである。

 社会価値の創出には、得られた情報を様々な文脈で解釈する働きが必要になる。スマホにより情報を得るばかりでなく、現実の営みの中で様々に悩み思考し、表に出すことで価値を発揮する。その観点からいえば、スマホなどの情報端末に関わる時間が、日常の多くを占めることは有益ではない。現実に生じた問題に対し、得られた情報を手段として用いることで、解決することにも時間を費やしたい。

 有難いことに、スマホは情報収集ばかりでなく、仕事や日常生活の様々な場面を便利なものとし、時間や労力を短縮してくれる。そうであれば、新たに生まれた時間は、情報のインプットでなく、アウトプットに使うよう意識してはどうだろう。その目的において、スマホを使い、依存するのは悪いことではない。デジタルであれアナログであれ、いずれの手段も目的に応じて用いられるのだから。

皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー

1981年、山梨県生まれ。MITテクノロジーレビューのアンバサダー歴任。富士ゼロックス、ガートナー、皇學館大学准教授、経営コンサル会社の執行役員を経て、現在。複数の団体の理事や役員等を務めつつ、実践的な経営手法の開発に勤しむ。また、複数回に渡り政府機関等に政策提言を実施。主な専門は事業創造、経営思想。著書に『正統のドラッカー イノベーションと保守主義』『正統のドラッカー 古来の自由とマネジメント』『創造力はこうやって鍛える』『ビビリ改善ハンドブック』『「日本的経営」の誤解』など。同志社大学大学院法学研究科博士前期課程修了。

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