スプリングスティーンの歌が「パキ」と蔑まれる内気な英少年を救う! 青春映画の珠玉作、ついに公開
『カセットテープ・ダイアリーズ』は、ブルース・スプリングスティーンの歌と「僕」の関係性の物語だ
音楽ファンのうち、少なくない数の人が体験したことがある「あの感じ」を、見事に映像化した青春映画がこれだ。イギリス映画で、80年代が舞台で、主人公はパキスタン系の少年なのだが、しかし「これは自分のことだ」と思える人は、ここ日本にもきっと多いに違いない。そんな青春映画が、コロナ禍による延期を経て、ついに日本でも公開となった。『カセットテープ・ダイアリーズ』というのが、邦題だ。
このタイトルの由来は、主人公の16歳の少年がいつも腰にソニーのウォークマンを吊っているからだ。ヘッドフォンで、カセットテープの音楽を聴き続けるからだ。彼はこれで「ボス」ことブルース・スプリングスティーンの曲を聴き、感化されて、未来に向かって力強く歩き始めることになる――のだが、そこに至るまで、つねにいろいろ「書いている」。日記もつけている。だから「カセットテープ・ダイアリーズ」というわけだ。
本国イギリスおよびアメリカでは、昨年の夏に公開され、好評を得た。僕が一番好きな評は、〈ザ・ニューヨーク・ポスト〉のジョニー・オレクシンスキー記者による「すでに今年一番のフィールグッド・ムーヴィーだ」というもの(19年1月の記事だったから、彼はとてつもなく早く「今年の一番」を決めてしまったことになる)。
と、そんな反応も納得の、ポジティヴで「いい感じ」の映画なのだ。さわやかで明るく、青春映画というよりもジュヴナイルの香りすら漂う「清く正しい」成長譚が本作だ。ゆえにこれは「スプリングスティーン・ファンにお薦め」というよりも、僕としては、もしかしたら「スプリングスティーンをあまり知らない」人のほうがより楽しめるのかも、とすら思う。しかも若い人であればあるほど、主人公たちの年齢に近ければ、近いほど……劇中にてご神託のように響いてくるボスの「歌」が、より染みてくるかもしれない。魂の底の底まで。主人公と同様に。
サッチャー時代の英国の、迷える少年の成長譚
本作はこんなストーリーだ。時代設定は87年。サッチャー政権下で不況は進み、社会保障は削減され、極右とレイシストが大手を振って急増したころ――つまり今日の世界で起きていることの原型が胎動し始めた時代だ。舞台となるのは、イギリスの小さな町ルートン。ロンドンが東京だとしたら、埼玉県の熊谷あたりに位置する町だ。自動車産業の町であり、主人公ジャベドの父はボクスホールの工場で働いている。そして、失職する。
父と母はパキスタンから移民してきた。町にまだパキスタン人のコミュニティもないころから、生活基盤をひとつひとつ積み上げてきた生真面目な労働者だ。だから、ちょっと古くて堅い。とくに父が、家父長制というか、パキスタン風というか……自分の考えで家族を縛ろうとするところがある。ここが、イギリス人としてのアイデンティティのほうがずっと大きいジャベドにはつらいところ。彼の妹も同様だ。
さらにジャベドが「つらい」のは、自らの将来が見えないところ。友人のバンドに歌詞を提供したりもする彼は、「書くこと」を仕事にしたいとぼんやり考えている。高校の新聞にも寄稿したりする。だがもちろん、父はまったく理解してくれない。「ユダヤ人のようにお金を稼げ」なんて言う……さらに、レイシズムの脅威だってある。彼を差別して、追い回し、攻撃してくるスキンヘッズの不良連中だっている。
こうした「あれやこれや」を抱えた、内気なれども芯がまっすぐな少年が、同じ南アジア系の少年からブルース・スプリングスティーンのカセットテープを借りる(なかば押しつけられる)。そして、ある嵐の夜に「開眼」する!――人生の重さ、苦しみを活写するボスの言葉に目を醒まされる。そして「負けずに立ち向かい続ける」歌のなかの登場人物のありように、激しく鼓舞される。僕はもう、昨日までの臆病な少年とは「違う者」なんだ。スプリングスティーンを知ったのだから……。
とにかく徹頭徹尾の「ボスづくし」は、実話ベースだった
こうしたジャベドの「ボス体験」が、数多くのスプリングスティーン・ナンバーとともに表現されていくのが、映画の見どころのひとつだ。詳しくは観てから驚いてほしいのだが、ここまで立体的に「ひとりのアーティストの作品」を、作中で解きほぐした映画というのは、ちょっと僕はほかに思い出せない。あるときはリリック・ヴィデオのように画面中に大きく歌詞が流れ、あるときはミュージカル調に登場人物たちが歌い踊る。そして「歌詞のなかにあるストーリー」をジャベドが咀嚼し、自分のものとする――だから彼は、恋に友情に、「書くこと」に、自らの「かくあるべき」未来へと前向きに進んでいくことになる……と、こういった内容だ。
ユニークなのは、スプリングスティーンの歌とはアメリカの労働者や市井に生きる普通の人々の「現実」を活写したものが基本型なのに、遠く離れたイギリスの、しかも少年の、パキスタン系2世の「心をゆさぶる」という、この構図だ。
これは実話で、原作および脚本のサルフラズ・マンズールが体験したことがベースとなっている。いまは〈ガーディアン〉などで活躍するジャーナリスト、つまり「書く人」となっている彼が、自らの少年時代を振り返った回顧録『Greetings from Bury Park: Race. Religion. and Rock N’ Roll』が原作だ。だから普通だと「?」となるはずの設定、「87年にイギリスのティーンエイジャーがスプリングスティーンに熱中する」という奇異さが、逆にきわめて個性的な「説得力」となって、効いている。まさに事実はフィクションより奇なり、という言葉どおり。
音楽と自分自身との「パーソナルな関係」が人生を変える
また劇中でも盛んに言及されているのだが、この当時のスプリングスティーンは、ある意味完全に「流行遅れ」だった。人気アーティストとしては「ひと山越えた」状態にあった。84年にリリースされ、売れすぎた『ボーン・イン・ザ・USA』のせいで、無反省な愛国主義ロックの権化が彼であるかのような誤解が国際的に広がってしまう。ゆえに、そうした熱狂から意図的に「身を引く」かのような行動をとっていたのが、87年当時のボスだった。10月にアルバム『トンネル・オブ・ラヴ』を出し、翌年のツアー終了後には、なんとEストリート・バンドを解散してしまう(のちに再結成)。
つまり(僕の言葉で言うと)彼は「オッチャン・ロック」となっていたわけだ。元来はジャベドらが聴くアーティストではなく、下手したら「親の世代」のものとなっていた。当時の高校生は、ペット・ショップ・ボーイズやワム!を聴くものだったから。
とはいえ「出会いは出会い」なのだ。遠く離れた国の音楽だって、すこし前の曲だって(ジャベドは初期のスプリングスティーン・ナンバーを結構好んでいる。歌詞中心で選んでいるからか)、それが「自分にフィット」したならば、心のドアの鍵穴にはまったなら――それは自分のもの、なのだから。
ここらへんの感覚は「洋楽の古い曲」を愛する日本の人には、たやすく理解できることだろう。だから僕は冒頭で「これは自分のことだ」と思える人は、日本にも多いはず、と書いた。たかがポップ音楽と「自分自身」の関係が、人生を左右してしまう。そんな経験を描いた映画が本作だと言えるからだ。そして劇中のジャベド少年は「ボスの音楽と出会う」ことによって、自分自身が変化するだけではなく、自分の周囲にいる友人やガールフレンドとも、ポジティヴな人の輪を作り上げていくことになる。
監督もスプリングスティーン・ファンだった
監督は、日本でも人気が高かった『ベッカムに恋して』(02年)のグリンダ・チャーダ。彼女もスプリングスティーン・ファンで、「その線で」そもそも原作者のマンズールとは友人だったというから筋金入りだ。主人公ジャベドを演じるヴィヴェイク・カルラのみずみずしさと、父親マリクを演じるクルヴィンダー・ギールの頑固っぷりとのすれ違いも、とてもいい。またMCUでのエージェント・カーター役でお馴染みのヘイリー・アトウェルが、ジャベドの才能を見抜き、導いていく教師の人物像を印象深いものにしている。
もちろんサントラ盤も、なかなかいい。全18トラック、もちろん「ボス大盛り」なのだが、たんなるヒット曲集にはとどまらず、レア・トラックや未発表曲(!)まで入っているという熱きファン魂は好感だ。ちなみに映画原題の『Blinded by the Light』もスプリングスティーンの曲名で、彼のデビュー・アルバムのオープニングに収録されていたもの。つまりあのボスの「一丁目一番地」と言っていい1曲だ。タイトルは「光に目をくらまされて」という意味なのだが、劇中、これがとても重要な意味を持つ。
あの侮蔑語の出どころ、イングランド階級意識の哀しみとは
ここでふたつほど、小ネタを少々。劇中でジャベドたちがたびたび投げつけられる「パキ」という蔑称。これはイングランドでおもに使われるもので、黒人に対するNワードにも匹敵する、ひどい言葉だ。パキスタン人だけでなく、南アジアに出自を持つ(か、持っていそうな人)に対しての侮蔑の言葉で、映画『ボヘミアン・ラプソディ』の冒頭で、フレディ・マーキュリーが「パキ」呼ばわりされていたことをご記憶の人もいるだろう(フレディはペルシャ系なのだが)。
ではなぜ、この悪罵を口にする者は、相手を「ひとからげに」パキなどと呼ぶのか――というところに、イングランド特有の根深い差別感情があると僕は考える。人種や民族差別だけじゃない。かの地において、最も深い「差別の根」は、階級意識にこそある。そこに歪みの源泉がある。だから「パキ」となる。「そうとしか言えない」から。
たとえば労働者階級にとっては、中流以上は全部「自分より上」だ。外国人であってもこれは同じで、イングランドの貴族階級にも等しい存在が、古来よりインドにも多くいることは、だれでも知っている。だから南アジア系の人を侮蔑したいときに「インド人」(や、その変形)の言葉を使っても通りが悪くなる。差別者側が労働者階級だったと仮定して、相手の「インド人(らしき人)」が中流以上だったとしたら、「上下関係」が逆になるからだ。差別者側が、階級意識という「最も大きな軸」にて見下されてしまう、かもしれない。だから「階級がない」インド系の国名にちなんだ差別語にすればいい……と、およそこんなメカニズムで開発された侮蔑語が「パキ」なのだと、僕はとらえている。
イスラムフォビアも影響しているのだろう。インドから分離した「マハラジャはいないはず」の国だから、侮蔑語に使えるに違いない――そんな計算が背後に見え隠れする。これは、とてつもなく哀しいことだ。イングランドの階級意識という宿痾から生まれた、口にする者をも同時に傷つけるような哀しき差別語がこれなのだ。
だから僕は提言したい。ときに日本の人で、蔑称とは知らずに(あるいは、知っていてもなお)この言葉を気軽に使う人がいるのだが、決してやってはいけないことだ、と僕は考える。なので、今後は厳重に注意してほしい。
パキスタン系だって「もの書き」で大成功できる
もうひとつ、民族にからむ話を。たぶんイギリスでは笑いのポイントとなったところを、指摘しておきたい(日本ではあまり気づかれないと思うので)。ジャベドとお父さんが、言い合いをするシーンのセリフに、そのポイントがある。「僕はもの書きになりたいんだ」と言うジャベドに対して「そんなのは食えない」と父が諫めようとするシーン。そこで父マリクの口から、こんなひとことが出る。
「パキスタン系の作家の名前を、ひとりでいいから挙げてみなさい。ひとりでいいから!」
ここでドッカン、爆笑してもいい。監督も脚本のマンズールも狙ってやっているのだから。「この87年の時点で」すでに成功の道を歩み始めていたパキスタン系イギリス人の作家はいたからだ。だれあろう、あのハニフ・クレイシだ! 脚本家としてスタートしたクレイシは、すでに85年に名作『マイ・ビューティフル・ランドレット』が公開され、アカデミー賞オリジナル脚本賞にまでノミネートされていた。
90年には長篇小説『郊外のブッダ』が高い評価を得た。映画監督もやり、08年には勲章(CBE)までもらっている――のに、ジャベドも、彼の父ちゃんも、クレイシの活躍を知らなかったんですね、このときは(まあ、ロンドンからルートンはちょっと遠いから……)。
しかし我々観客は「華々しい」と言うべきクレイシの大成功が、このあともずっと続いていくことを知っているから、ここで「がんばれジャベド、父ちゃんの言うことなんかに負けるな!」なんて気持ちになるわけだ。ここは気が利いた作劇だと思った。
7月3日より、TOHOシネマズ シャンテほか、全国でロードショー公開中。