不条理に奪われた生命、刻まれる時の音が教えてくれること
「生命(いのち)のメッセージ展」について知ったのは、ある少年院の院長からだった。少年院の少年が東京都日野市にある展示室に行くことはできないが、その少年院でも展示会が開催されるので、その様子を見に来ませんかというお誘いをいただいた。
「生命のメッセージ」とは
しかし、どうしても都合がつかず、いつかは行ってみたいと思っていたところ、偶然にも生命のメッセージ展の常設展示室「いのちのミュージアム」に伺うことができた。
日野市の小高い丘の上に並ぶ団地群を抜けると、小学校の跡地を利用して設立された日野市立百草台コミュニティセンターがある。下駄箱でスリッパをいただき、階段を昇った3階に展示室があった。
そこには不条理に生命を奪われた個人と同じ身長に模られた白い人型のボードに、亡くなられた故人の写真と、ご家族などからのメッセージが張られている。そして、足元には故人の靴がそっと置かれている。
※こちらに写真があります
部屋には数えきれないほどのボードが設置され、各ボードにはそれぞれ小さな時計がかけられている。静寂の教室に刻まれる無数の時の音、ボードに貼られた個人の写真と足元にそっと置かれた遺品としての靴。
飲酒運転の車に奪われた生命、同級生に奪われた命、メッセージには愛する家族が突然奪われた理由、悲しみや怒りの言葉が綴られる。夢をかなえることも、幸せな生活を続けることもかなわなかった故人の生命を無駄にせず、同じ事故や事件が起こらないように祈る言葉の数々に、呼吸が苦しくなっていく。
一つひとつはとても小さな時計の針が刻む音が重なり、教室中を埋め尽くすほどの大音量となって、そこにいる生命ある人間の心を突き刺してくる。
整然と並べられたボード(生命)を眺め歩くと、少しずつ自分の目線の上にあったものが、徐々に下がってくる。故人の身長に合わせたボードの高さが自分より小さくなり、最後には私自身の子どもたちよりもずっと小さな高さになっていく。
教室の外には、保育園でうつぶせのまま息を引き取った、小さな小さなものもあった。まさにこれから「生きる」ことを始めていく幼児の写真に、ひとりの親として胸が強く痛んだ。
いま、事件や事故のみならず、病気や生きづらさと生命の関係を考えさせられる報道が続いている。生きたいと願うひとたち、明日も生きられるはずなのに奪われてしまった生命の傍にいるひとたちを、もし身近に感じる機会がないということであれば、ぜひ、「いのちのミュージアム」に足を運ばれてみたらどうだろうか。
刻まれ続ける時の音に耳を傾け、生命の重さを感じることで、ひとの尊厳や、他者とかかわることの大切さを改めて考えるきっかけを持ちえる空間がここにはある。
ご自身も交通遺児であり、犯罪被害者等支援に取り組む菅原直志東京都都議会議員に、本機会をいただいたこと、感謝いたします。