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【スピードスケート】笑顔で引退の岡崎朋美 島崎京子さんら同世代からも称賛の声

矢内由美子サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター
2013年12月28日、ソチ五輪選考レースで6位になった岡崎朋美

12月27日~29日まで長野・エムウエーブで行われたソチ五輪代表選考会で6位になり、「ママ五輪」の夢が絶たれた岡崎朋美。39歳での出産を経て、42歳になってもなお五輪舞台を目指し続けたその姿に、かつてリンクでともに戦った同世代、同種目の選手たちから惜しみない賛辞が寄せられた。

かつてのライバル島崎京子さん「戦友だった」

岡崎とは同い年。98年長野五輪では「ライバル関係」がクローズアップされ、何かと比較されることの多かった島崎京子さんは、「世界で戦うには、実力と意識の高さの両方が必要。岡崎さんはずっとそれを持ち続けていた」と称賛した。

11月下旬、北海道帯広市。島崎さんは、ワールドカップのメンバーから漏れ、北海道で調整していた岡崎とリンクで久々に会った。練習を見ながら話し、練習後には宿舎までの帰り道をゆっくり歩きながら、長い時間話した。

「会ったのも久々だったけど、こんなに長く話したのは初めてだった。仲が悪いわけじゃなく、選手同士とはそういうもの」

島崎さんの目に、岡崎は「疲れているよう」に映ったという。ちょうど、ソチ五輪選考レースに向けて激しく体を追い込んでいた時期。だが、目には光があった。

「疲れてはいたが、諦めていない姿があった。選考会は何があるか分からないということは、彼女自身がよく知っていること。ソチ五輪が厳しい状況であるのは本人が一番分かっていたはずだが、途中で投げ出すのは悔しさもあるだろうし、とにかく周りの声に流されることなく、頑張っている様子が伝わってきた」

6位に終わったレースは、テレビのスポーツニュース映像で見た。

「リンクで練習を見た1カ月前の岡崎さんとは全然違っていた。よくここまで滑れたなと感じた。何があっても諦めないという意識は以前と変わっていなかった。さすがだった。意地もあったと思う」

現在、結婚して故郷の帯広に住む島崎さんは、「やはり結婚して家庭を持つと、自分のやりたいことを貫くのは大変だ。必ず何かを犠牲にしなければいけないし、家族に対する責任もある。彼女を理解してくれたご主人もすごいと思う」と言う。

思い出話も楽しんだという。

「11月に会ったとき、岡崎さんは『島ちゃんは戦友だった』と言ってくれた。私もそう思っていた。あのときこうだったね、と語り合うことはないけれど、互いに世界で戦ってきて感じていることはある」。島崎さんは「戦友」という言葉をうれしそうに説明する。

「人生はまだまだ半分。現役を辞めるとカルチャーショックを受けるかもしれないけど、離れたところからスケートを見ることで、今まで以上に自分を誇りに感じると思う。1年、2年、5年、10年たてば一層誇りに思うだろう。人生の糧になる」

古いスケートファンにはよく知られたことだが、高校時代は島崎さんの実績の方が圧倒的に上だった。三協精機(現日本電産サンキョー)に入って1年目のとき、弱冠19歳でワールドカップ女子五百メートル総合優勝を飾るほどだった島崎さんに、時間をかけてゆっくりと追いついていったのが岡崎だった。

社会人9シーズン目で迎えた長野五輪では、2人ともメダルを狙える位置で競っていた。性格の違いから「ライバル関係」が強調されもしたが、当時から、会えば談笑する仲。小柄な日本人選手が大柄な欧米選手を相手に世界のトップを目指して戦うということで、2人の間には通い合う気持があったのだ。

「長野のときは、どっちかが1番だったらいいなと思っていた。もちろん、自分が1番だったらうれしいけど、岡崎さんと私、どちらかが1番だったらそれでいいなと思っていた。それは、日本人として負けたくないというプライドを持って戦っていたからだと思う。あのころのことを思い返すと懐かしい」

エムウエーブに飾られている98年長野五輪銅メダル時の岡崎朋美
エムウエーブに飾られている98年長野五輪銅メダル時の岡崎朋美

富士急の後輩・三宮恵利子さん「精神力は並大抵じゃない」

富士急スケート部で3年下の三宮恵利子さんは現在2児の母。現役時代、98年長野五輪と02年ソルトレークシティー五輪に岡崎と一緒に出場した。

三宮さんが19歳から28歳までの約10年間、いわゆる同じ釜の飯を食べた間柄だ。練習では別グループに分かれている時期が長かったが、選手としては最も長い時間をともにしてきた。今も岡崎のことを「先輩」と呼ぶ。

今回は、テレビ解説者としてエムウエーブでレースを観戦した。

「出産して子育ての大変さも分かっている私からすれば、アスリートであり続ける精神力は並大抵のものではないと思う。今回のソチ五輪の選考レースでは、今までと違って、オリンピックを取りに行くんだという気合が感じられた」

ただ、レース後は表情が一変していた。今までならレース後はいつも険しい表情という印象が強かったというが、今回は違っていた。

「先輩はオリンピックを目指していたので、6位という結果は良いものではなかったと思うが、終わった後は今までにないくらいスッキリしていた。先輩の中では区切りがついたのではないかと思う」

思い出すことは山のようにあるという。

「02年ソルトレークシティー五輪の五百メートルの2レース目で同じ組で滑ったこと。不思議と、国内レースでも同走したことがあまりなかったのに、オリンピックでそうなったので思い出深い。01年の世界スプリント選手権(ドイツ・インツェル)で2位になったとき、表彰式で目の前に来てくれて拍手してくれたこともハッキリ覚えている。挙げればきりがない。19、20歳のころからずっと一緒だった。『お疲れ様』『ありがとうございます』。それしか言葉はない」

宮部保範さん「カーブワークを追求し、最後に成果を発揮した」

宮部保範さんは岡崎より5歳上。岡崎が初めて出場したリレハンメル五輪でともに日の丸をつけて滑った。宮部さんもエムウエーブで試合を見ていた。

「岡崎さんはここまでやってきたのだから、本当に好きなんだろうなと思う。スケートが好きなのか、体を動かすことが好きなのか、勝負が好きなのか、本人に聞いてみないと分からないが、やっている姿を見ていて、本当に好きなんだろうなと感じていた」

理論派で知られる宮部さんだが、岡崎が42歳までやってこられた大きな理由として挙げたのは、指導者である長田照正・富士急スケート部顧問と岡崎の信頼関係の強さだ。

「岡崎さんが続けて来られたのはやはり長田さんの魅力が大きいと思う。長田さんと二人三脚でやるという魅力。長田さんあっての岡崎さんだった」

富士急スケート部で橋本聖子を育て上げた長田氏が、高校時代無名だった岡崎を、釧路のリンクのナイター練習でたまたま見かけ、その太腿に惚れ込んでスカウトしたというのは知る人ぞ知る逸話だ。インターハイの最高成績4位という平凡な選手だった岡崎は、長田氏の猛特訓に泣きながら耐え、世界への階段を上がっていった。

宮部さんは言う。

「正直に言わせてもらうと、岡崎さんのカーブワークは、(長野)五輪でメダルを取った選手とは思えないくらい下手だった。ただ、ソチ五輪選考レースでは、長田さんと二人三脚で長い間追求してきたカーブワークに成長が見られた。最後のレースが今まで一番良いカーブだったと思う。成長を見せてもらった」

清水宏保さん「蓄積してきた財産を各界で生かして欲しい」

岡崎が銅メダルに輝いた長野五輪で、男子五百メートルの金メダルに輝いた清水宏保さんは、やや別の角度から岡崎の功績を称えた。

「岡崎さんが今までずっとやってきたことは財産。いろいろなものが蓄積されていると思うので、今後はそれをスケート界のみならず、スポーツ界、医療界に還元していってもらいたいと思う」

清水さんは自身の体験から、喘息を克服するための活動に力を注いでおり、42歳で五輪を目指した岡崎にも、さまざまな素材提供という形で幅広い分野に寄与して欲しいと力を込める。

「スケートは競技スポーツの中でもかなり特殊でハードなスポーツなので、知識やデータは医療にすごく役立たせると思う。それに、岡崎さんには女性にしかわからない部分の経験や知識がある」

清水さんが特に注目したのは岡崎の年齢だ。39歳で出産、42歳で出る五輪を目指してのカムバックは、極めて異例と言える。

「岡崎さんは今までの(ママさん)アスリートの中でも出産した年齢が高い(39歳)ので、復帰したあとの血液データなども生かされるはず。若い人とは明らかに違うので、未開発の世界、人間の限界を知るためにも、生かしてほしい」

堀井学さん「勇気と力をもらった」

最後に堀井学さん(衆議院議員)のコメントを紹介する。岡崎は同い年の堀井さんの滑りを手本にしたいとよく話していた。パワーと技術の両面を兼ね備えた堀井さんは94年リレハンメル五輪男子五百メートル銅メダル。98年長野五輪、02年ソルトレイクシティー五輪にも出場した。

「岡崎さん、長い長いスケート人生、ご苦労様でした。同世代としてあなたには今まで勇気と力をもらいました。これからも今までと同じように、多くの人たちに感動と勇気を与えてください――。贈る言葉は、もう、これしかありません。レース後に直接岡崎さんにかけた言葉も『お疲れ様』。本当にお疲れ様でした」

サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター

北海道大学卒業後、スポーツ新聞記者を経て、06年からフリーのスポーツライターとして取材活動を始める。サッカー日本代表、Jリーグのほか、体操、スピードスケートなど五輪種目を取材。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。スポーツグラフィックナンバー「Olympic Road」コラム連載中。

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