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スポニチ大会はHondaがV。今年の社会人野球、ホンダ3兄弟がおもしろい

楊順行スポーツライター
優勝旗を前に喜ぶHondaナイン 撮影/筆者

 8回裏、2死三塁。代打として今大会初登場したHonda・山本兼三が、Honda熊本・島袋圭亮の直球を強振すると、低い放物線を描いた打球が左翼席で大きくはねた。2ランホームラン。2年目の山本兼にとって、公式戦初アーチは、チームに優勝をもたらす逆転弾となった。「越えてくれ、と心のなかで叫びながら走りました」と山本兼はいう。

 してやったりは、Honda・岡野勝俊監督だ。

「左の島袋君が出てきた時点で、山本兼の代打は決めていました。ムードメーカー的な選手で、なにか持っている」

 今季が就任2季目の岡野監督。2009年都市対抗制覇時のメンバーで、「あのチームは、一発で試合の流れを変える力がありました」。就任時に感じたのは、破壊力の低さ。そこで昨年は、やはり09年のVメンバーで、都市対抗通算14本塁打の個人記録を持つ西郷泰之がコーチに就任するなど、長打力のあるチームを目ざした。すると17年は、公式戦30試合で14本塁打。一定の成果は出ていた。

 だが、岡野監督はいう。「その分、やや打率が物足りなかった。今年は、長打力にさらに確実性もプラスしようと、各自が一日500〜1000スイングをノルマにしていました」。今大会5試合でチーム6ホーマーはその成果だろう。

 もともと、この大会に照準を絞っていた。直前の沖縄遠征ではトヨタ自動車、日本生命と、昨年の日本選手権優勝・準優勝チームとのオープン戦を連勝。「沖縄での調整が順調で、体ができあがったまま大会へ」という岡野監督の目論見がそのまま当たり、順調に勝ち進んだ。一方相手の熊本も、エース・荒西祐大が初戦で日立製作所、中1日で日本製紙石巻を1失点完投するなど、スキのない戦いで決勝進出。というわけで、大会史上初のHonda対決である。

おえら方の前で、先輩との対戦

 熊本を率いるのは、岡野武志監督だ。もともとHondaの選手として、04年の都市対抗準優勝などを経験している。引退後は社業に就いていたが、14年に熊本に異動し、16年から監督に就任していた。さらに、決勝が行われた神宮があるのは、本田技研工業本社の所在地と目と鼻の先である。

「先輩として尊敬する武志監督との対戦であり、またえらい方々も応援に来てくださり……Honda対決は、相当なプレッシャーでした」

 と岡野勝監督はホッとした表情だ。なにしろ、荒西を打ちあぐんだ。右サイドからの真っ直ぐが切れて、6回まで5安打1得点。7回に相手エラーをきっかけにもらった1点で首の皮が1枚つながり、8回山本兼の劇的弾につながった。

 Hondaが09年に都市対抗を制したとき、岡野勝監督は主将。「あのチームは、負ける気がしませんでした」と振り返るが、そのチームでもスポニチ大会は4強にとどまっている。となると、優勝した今年は……。いや、ちょっと待てよ。

 埼玉、さらに熊本、鈴鹿と、3事業所にチームがあるHonda。昨年8月、初めて3チームの対抗戦を熊本で行った。岡野勝監督によると、

「ガチンコでした。ウチは鈴鹿と熊本に負け。熊本と鈴鹿の対戦は雨で中止になり、なんでも熊本は、この大会の帰りに鈴鹿に寄って試合をし、決着をつけるそうです(笑)」

 さらに熊本の実力は、この大会準優勝で証明済みだし、鈴鹿も平尾奎太、瀧中瞭太という投手、野手でも松本桃太郎や柘植世那ら、プロ注目がずらりいて、「目ざすは、常勝チーム」(甲元訓監督)という力がある。また3チームとも、移動用バスのナンバーはいずれも「・・・1」と「1番」を意識しているのがおもしろい。おりしも今年は、1958年の本田技研工業設立から70周年。チームとしては鈴鹿の創部が71年、熊本が81年と、60年創部のHondaが兄貴分だ。今季の社会人野球、この3兄弟の戦いぶりに注目するのもおもしろい。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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