「SNSによるSOS発信からの感動話」に潜む3つの問題
SOSツイート
<立川のバー「30人宴会キャンセル、たすけて」 チーフが語る「SOSツイート」の顛末>という記事が話題になっています。
冒頭のくだりは以下の通り。
概要
東京都立川市にあるバー&ダイニングで起きた事件です。
30人約13万円の貸し切りパーティーが予約されていましたが、店のスタッフが当日確認すると、客は一週間前にキャンセルしていると主張。
客にキャンセル料を支払ってしてもらうこともできず、上記のSOSをTwitterで発信しました。すると、投稿を読んだ人人々が店へ訪れ、パーティーのために用意していた料理全てを提供することができたということです。
それぞれに述べたいこと
今回の事件と記事を通して、飲食店、客、メディアそれぞれに述べたいことがあります。
- 飲食店
予約確認
- 客
食品ロス
- メディア
SOS発信からの感動話
飲食店/予約確認
客が一週間前にキャンセルの連絡をしたと述べているので、客に落ち度がないことになり、飲食店がTwitterでSOSを発信するに至りました。
今回のように、店を貸し切るような大きな宴会が予約されていた場合、もしもノーショーやドタキャンが起きたとしたら、その日の営業機会はほぼ全て奪われることになり、損害金額も大きくなります。
甚大なリスクが内在されているだけに、飲食店はどんなに最低でも、前日には確認の電話をしておくべきでしょう。
その時点でキャンセルが確認できていれば、ウォークインの客を積極的に入れたり、前日から予約を募るなどして、よりよい対応ができたはずです。
また、電話で予約を「キャンセルした」「キャンセルしなかった」は問題になることがあります。
飲食店は、客がキャンセルしなかったと認識しているのであれば、泣き寝入りする前に、着信履歴を調べたり、客に予約キャンセルに対応したスタッフの名前を聞いたりした方がよかったでしょう。
レストランの予約台帳を利用している場合には、予約に応じて手数料が課されますが、キャンセルの認識ずれは低減します。
システム上で予約をキャンセルできる場合には、客が本当にキャンセルしたかどうかを客観的に立証できるからです。
ノーショーやドタキャンは客が絶対的に悪いですが、飲食店も自身のために自衛することを考えなければなりません。
客/食品ロス
客が述べたことを信じるのであれば、今回はノーショーではありませんでしたが、ノーショーやドタキャンが、食品ロスにつながることを認識していただきたいです。
ノーショーやドタキャンは、飲食店から営業機会を奪ったり、金銭的損害や精神的ストレスを与えたりするだけに、起こしてよいものではありません。
これらに加えて、予約用に準備した料理や食材が無駄になり、捨てられてしまいます。
外食業界における食品ロスの内訳では、宴会が最も多いですが、ノーショーやドタキャンでは食べ残すどころか、全く手付かずになる可能性があるため、とても深刻であると言えるでしょう。
ノーショーやドタキャンが増えてしまうと、飲食店はノーショーやドタキャンを織り込んだ値段で提供せざるを得なくなり、巡り巡って客にとっても喜ばしくない事態を招くことも理解しておかなければなりません。
メディア/SOS発信からの感動話
今回の飲食店の話は、冒頭の数文を読んだだけで、多くの人が結末を予想できたのではないでしょうか。
何故ならば、以下のようなお決まりのパターンだったからです。
- ノーショーやドタキャンで困った
- 飲食店スタッフがTwitterでSOSを発信
- 投稿を見た人々が訪問
- 危機を脱することができた
ほとんどの飲食店では、ノーショーやドタキャンが起きた場合に、このように物事がうまく急転しません。ごく一部の飲食店でだけ、たまたま事態が好転しているのです。
あまりないことだからこそ、記事として紹介する価値もあるわけですが、こういったうまくいった例だけが広まっていくと、ノーショーやドタキャンが持つ負の部分が軽く見られるのではないかと危惧しています。
ノーショーやドタキャンは本来、このようにリカバリーすることが非常に難しい事象なので、飲食店を疲弊させているのです。
それなのに、このような「SNSによるSOS発信からの感動話」に慣れてしまうと、客が「まぁ、何とかなるだろう」と思ってしまい、ノーショーやドタキャンに対する罪悪感が薄れてしまうのではないでしょうか。
ノーショーやドタキャンを考える機会に
先に述べてきたようにノーショーやドタキャンは、飲食店にとってはもちろん、客にとってもよくないことです。飲食店も客も、真摯になって考えていかなければならない由々しき問題であると私は考えています。
それだからこそ、こういった事件を伝えるメディアは、上辺だけをすくいとって、大逆転があってよかったという単純な話にするのではなく、もうひとつ掘り下げて、読者にノーショーやドタキャンの不毛さについて、考てもらう機会を提供してもらいたいです。