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【光る君へ】三種の神器のうち、八咫鏡が燃えた経緯

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
三種の神器。(提供:イメージマート)

 大河ドラマ「光る君へ」では、三種の神器のうち、八咫鏡が燃えた場面が描かれていた。三種の神器は、八咫鏡、天叢雲剣、八尺瓊勾玉の三つから成り、うち八咫鏡は三回も燃えたので、その経緯を確認することにしよう。

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 三種の神器の一つ八咫鏡には、悲惨な歴史があった。八咫鏡は、過去に三回も焼失したのである。次に、八咫鏡が焼失した歴史を取り上げることにしよう。

 一回目に燃えたのは、天徳4年(960)9月のことである。内裏に火災が発生すると、内侍所に納めていた「太刀契(百済伝来の宝器)等」が焼亡した。「等」の中には、八咫鏡が含まれたというのが通説である。ちなみに、宝剣と神璽は、いち早く持ち出されていた(以上、『扶桑略記』)。

 翌日になって探索すると、八咫鏡が発見され、小さな傷があったものの、無事だったという。当時、この事実は不思議な出来事として伝わり、鎌倉中期に成立した説話集『古今著聞集』には、八咫鏡が火を避けるために飛んで、紫宸殿の桜の木に掛かっていたとの記述がある。

 実際には、そのようなことはなかったに違いないが、八咫鏡の神秘性や不滅性を強調したかったのだろうと推測される。

 二回目は、ドラマで描かれた寛弘2年(1005)11月のことである。『古今著聞集』には、八咫鏡にあまりダメージがなかったように伝わっているが、実際はそうではなかった。『日本紀略』や『御堂関白記』によると、焼損の度合いが大きかった様子がうかがえる。

 とりあえずは、破損した八咫鏡を新しい辛櫃へ収め、改鋳を検討した。ところが、小蛇が出現したため神威を恐れ、そのまま奉斎したという。

 三回目は、長久元年(1040)9月のことである。このときは、さすがの八咫鏡も原形を失うほどのダメージを受け、金色の玉が二つほど焼け跡から発見されたという。こうなると、その金色の玉が、もとの八咫鏡であったかさえも疑わしいほどである。

 以上のとおり、八咫鏡については、もはや原形を留めることがなかった。しかし、八咫鏡はそこまで大きく損失していても、その価値を失わなかったのである。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『蔦屋重三郎と江戸メディア史』星海社新書『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房など多数。

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