暴行・熱中症死 部活動顧問の民事責任問われず 国家賠償法の強固な壁
■「教育の一環」という大義名分
法廷での長く苦しい闘いが、遺族に怒りと悔しさを残したまま、終わりを迎えた。
2009年8月のこと、大分県立の高校の剣道部で、顧問が主将の工藤剣太さん(当時2年生)に暴行をくわえるなか、剣太さんは熱中症により帰らぬ人となった。私が知る限り、部活動顧問から生徒への暴行事案のなかでは、もっとも凄惨な部類に入るものである。
その民事裁判において、最高裁が28日付にて遺族である両親の上告を退けていたことが明らかになった(大分合同新聞7/31、朝日新聞7/31)
最高裁の答えは、顧問の行為がどれほど凄惨であったとしても、「教育の一環」である限りは、教員個人の民事責任は生じない、というものである。「教育」活動中という大義名分が、重大事案の問題性を覆い隠してしまう。まさに私が訴え続けている「教育という病」の典型例である。
■2009年8月、工藤剣太さんの身に起きたこと
この裁判、じつはすでに遺族は地裁で勝訴している。県などに約4600万円の支払いが命じられているのだ。では、高裁さらには最高裁まで、遺族は何を争い続けたのか。それが、公立校における教員個人の民事責任(賠償責任)だったのである。
遺族はなぜ、教員個人の民事責任にこだわったのか。それは、事案の具体的な経過を見るに十分である。
2009年8月に、いったい何が起きたのか。第三者委員会ならびに判決文(民事裁判)等の中立的な資料から、事故の経緯をごく簡単に振り返る。
1) 8月22日、朝の9時から練習が始められた。
2) 正午頃のこと、全員で打ち込みの練習を続けていたものの、剣太さんは顧問から合格をもらえずに、打ち込み練習を続けることになった。この時点ですでに剣太さんはフラフラの状態に陥っている。
3) 剣太さんは顧問に対して「もう無理です」と訴える。
4) 剣太さんは練習相手に竹刀を払われて、竹刀を落としてしまった。だが、そのまま竹刀を持って構える様子を見せた。その通常では起こりえない剣太さんの様子を受けて、顧問は「演技じゃろが」と言い、剣太さんの胴の横を前蹴りした。
5) 練習を続けるなかで、剣太さんは何度か倒れ込み、「このままでは気絶する」と感じた他の生徒が、剣太さんの面の上から顔に水をかけた。そこで剣太さんは意識を取り戻したように見えたものの、フラフラと壁に向かって歩き、壁に額を打ち付けて倒れてしまった。
6)顧問は、倒れた剣太さんの上にまたがって、再び「これは演技じゃけん、心配せんでいい」と発し、剣太さんの頬を10回程度平手打ちした。
7) 朦朧とした様子の剣太さんに水分が補給されたもののそれをすべて吐いてしまったため、そこで救急車が呼ばれ、病院に搬送された。
8) 午後4時過ぎに昏睡状態に陥り、午後7時前、死亡が確認された。
剣太さんはフラフラになりながら、練習を続けさせられた。さらには、倒れ込んだ後にも平手打ちをされ、最終的に「熱中症」ということで命を落とした。
「もう無理です」と顧問に訴えながらも、聞く耳をもってもらえず、剣太さんは死んでいった。死因こそ「熱中症」かもしれないが、この事案は、暴力のもとでの命がけの練習がもたらした死亡である。
■国家賠償法の壁
ほとんど知られていないことなのだが、民事訴訟においては「国家賠償法」という法律が適用されるために、公立校の教員個人は、公務に従事している場合には、個人としては賠償責任を負わないことになっている。いわゆる「国家賠償法の壁」だ。これまで多くの遺族や被害者が、この壁に苦しめられてきた(壁はまだ一度も打ち破られていない)。
国家賠償法の第一条には「国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を加えたときは国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる」との規定がある。死亡事故が起きても、それが教育活動であれば、国や自治体が賠償を肩代わりしてくれるのである。
■私立校では個人責任が問われる
ここで2つのことに留意したい。
第一に、剣太さんの両親は国家賠償法の規定に全面的に抵抗しているわけではない。教員は、子どもが学校にいる間、長時間にわたって子どものさまざまな活動の面倒をみなければならない。失敗も多く生じる。国家賠償法は、不確定な仕事内容から教員を守る役目をはたしている。だが、教育という名のもと、虐待とでも言うべきな凄惨な行為が続けられるようなケースに限っては、国家賠償法の適用外とすべきとの見解である。
第二に、私立校の教員であれば、民事上の個人責任が問われる。同じような重大事態であったとしても、その学校が私立なのか公立なのかによって教員の個人責任の問われ方が異なってくる。前者は個人責任が認められるものの、後者ではそれが公務中の出来事として、賠償責任の適用をまぬがれる。
■次の被害者を生み出さないために
剣太さんの両親が訴えていることは、けっして無理難題なことではない。残酷さが際立つようなケースにおいては、公立校の教員だからといって、その賠償責任を税金で肩代わりするのは、やめるべきだということだ。個人としてちゃんとその行為の責任をとるべきなのである。
審議の期間中、最高裁には、遺族から18000人分の署名が届けられた。遺族が運営する「剣太の会」の草の根の啓発活動は、いまや全国に知れ渡り、各地から声がかけられている。
遺族はこれからも「剣太の会」をとおして、国家賠償法の問題、教員による暴力の問題を訴えていくという。裁判は、終わった。それでも、次に同じような苦しみをもつ家族や当事者を生み出さないために、遺族はこれからも啓発活動を続けていくという。