パイプタバコと「ムーミン」のパパ
今年の大学センター入試の地理Bに『ムーミン(Moomin)』(以下、ムーミン)が出題されて話題になっている。今の受験世代は1990年代の後半に生まれた人が大半だろうから、ムーミンがフィンランド人のアーティスト、トーベ・ヤンソン(Tove Jansson、1914〜2001)が創作したキャラクターということを知らなかったとしても不思議ではない。
ムーミンとフィンランド
筆者の世代は1969年ごろからテレビで放映されていた第一ムーミン世代だが、このアニメを著者のヤンソンは快く受け入れず、DVDなど未だにお蔵入りだ。その後、ポーランドなどで人形のストップモーションを使ったテレビ作品が作られたりする。ちなみに、第一世代アニメには、虫プロ時代の宮崎駿が参加していた。
日本ではようやく1990年ごろになって、ヤンソンのお墨付きをもらったアニメ作品『楽しいムーミン一家』ができた。そのころ筆者はすでにテレビをあまり見なくなっていたので、テレビ東京系で放映されたこの作品について詳しくない。第一世代の筆者は、デラシネで反権威主義的なスナフキン(Snufkin)のキャラが好きで「雨に濡れ立つ〜」から始まる井上ひさし作詞の歌を一緒によく口ずさんだものだ。
スナフキンのモデルは、ヤンソンの元恋人で友人のアトス・ヴィルタネン(Atos Virtanen、1906〜1979)とされる。スナフキンの帽子と雨合羽はヴィルタネンがよく使っていたものを拝借したらしい。ヴィルタネンはジャーナリストで左派の平和的な政治家でもあった。
ムーミンとヤンソンを理解するためには、フィンランドという国を少し知らなければならないだろう。
ナポレオン戦争のころまで、フィンランドという国は存在せず、約650年の間、スウェーデンの属領だった。その後、帝政ロシアの属国となり、フィンランド大公国として形ばかりの独立を勝ち取るが、フィンランド大公はロシア皇帝であり、立憲君主制をしいたとはいえ、ロシアの実質的な植民地だった。
帝政ロシアが革命で滅亡すると、フィンランド国内の保守派はフィンランドの赤化を恐れたドイツ帝国とスウェーデン王国の支援を受けて国内の左翼勢力を退け、フィンランド王国として独立した。その後、左右両派を巻き込んだ内戦を経て、第一次世界大戦後の1919年に王政を廃し、フィンランド共和国となって現在まで続いている。
だが、隣接する強大な旧ソ連から圧力をかけられ続け、1939〜1940年には旧ソ連と戦争を行った。そのため第二次世界大戦ではナチス・ドイツ側につき、旧ソ連と戦ったが1944年に休戦して対独戦争を行い、戦後に共産圏へ飲み込まれることを防ぐ。
旧ソ連に隣接する地政学的な位置にあるのにもかかわらず、東西両陣営から一定の距離を置くという絶妙な外交戦略で冷戦時代や旧ソ連崩壊後を乗り切ってきたのがフィンランドというわけだ。左派と右派が内戦をしたという歴史的な経緯もあり、旧ソ連へ対峙する姿勢もあり、フィンランドには社会民主的な穏健左翼主義が一貫して流れているようでもある。
原作者トーベ・ヤンソン
ヤンソンはこうした歴史の流れの中、母国語ではなくスウェーデン語を話す彫刻家の父とイラストレーターの母の間にヘルシンキに生まれた。彼女の兄妹も写真家や芸術家となったように、家計は貧しかったが芸術的な雰囲気があったらしい(※1)。
だが、父親は内戦中は右派について戦ったため、その間、家族はフィンランドからスウェーデンへ逃れた。こうした家庭環境のため、ヤンソンの中には成長するにつれ、父親への反抗心と芸術家同士としての共感、商業イラストレーターや切手などのグラフィックデザイナーとして家計を支え、家事労働と育児をこなした母親への連帯感といった感情が芽生えていった。
彼女の交友関係でいえば、左派のボーイフレンドや友人が多かったわりに政治に対して無関心か揶揄、もしくは保守的なブルジョワ階級へのシンパシーがあったようだ(※2)。フィンランドは北欧の中では保守的で伝統的な価値観を重んじる国だが、ムーミンパパ(moominpappa)をみられるようにヤンソンの中にもそうした傾向があり、芸術の主義主張でも実存主義やシュールレアリスム、社会主義リアリズムなどと距離を置いていた。
また、戦時中のヤンソンの父親は親ナチだったといわれているが、彼女は同性愛者だったため、非ナチとして収容所へ送られる危険もあった。実際、彼女のユダヤ人の女友だちは米国へ亡命している。
もちろん、親ナチの父親への反抗心からか、ヒトラーを揶揄するイラスト(ムーミンの元キャラ)を描いたり、対ロシア独立戦争や内戦、第二次世界大戦など戦争への一貫した拒否感など、ヤンソン自身は平和主義的でありヒューマニストでもあった(※2)。こうしたフィンランドの地政学的な特徴や彼女自身の生い立ちと育った環境のためか、ムーミンに出てくる多くのキャラクターの性格付けも複雑でけっして子ども向けの楽天的なものばかりではない。
フィンランド国内で発表された当初、ムーミンパパのブルジョワ的な姿勢や専業主婦としてのムーミンママ(moominmamma)の態度が、主に社民的左派から批判にさらされたこともあった。
彼女自身、単なるムーミンの原作者として満足することがなく、ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』の挿画を含めた改装版の出版やJ・R・R・トールキンの『ホビットの冒険』の挿画の仕事、絵画表現、小説家などとしても多彩であったため、表現者としてのヤンソンへの評価を一概に下すことはできない(※3)。
フィンランド国内の左派から批判され、その表現芸術は長く正当に評価されなかった。実際、スウェーデン語で書かれたムーミンなどの彼女の文字表現が国内で受け入れられず、また子ども向けではないと批評され、彼女の芸術作品もヘルシンキ美術館への収蔵を断られたりしている。
ムーミン・シリーズの第一作とされてきた『ムーミン谷の彗星』は、広島と長崎へ落とされた原爆と終末物語をイメージしたもののようだが(※2)、その一方、ムーミンに描かれる世界観はどこか非現実的でありミシェル・フーコーが唱えた「ヘテロトピア(現実の中にある異次元的アンチ社会空間)」ではないか、という研究者もいる(※4)。
いずれにせよ、文学論や文化論、最近になってのジェンダー論の立場からヤンソンとムーミンについての研究は多い。それらを紹介し続けていたら前置きが長くなり過ぎるので、あとは東京理科大学の中丸禎子准教授の論考(※5)にまかせるとして、筆者が興味を持っているタバコ問題についてムーミンとの関係を考えてみたい。
パイプタバコという喫煙具
ヤンソン自身は生涯、ヘビースモーカーだった。タバコを吸う自画像も描き、それは前述したユダヤ人の友人を介して米国のタバコ商の手に渡った。タバコ商はその自画像を喫煙広告に使おうと考えていたらしい。
フィンランドでは19世紀からタバコ製造工場が多く建ち、20世紀に入る頃から喫煙率が高くなっていった(※6)。成人男性の喫煙率は1950年代まで70%弱で、これは日本でも同様だ。
一方、女性の喫煙率は1960年代の初めに約13%、その後1978年から2001年までの間に20%近くまで高くなった。左派の知識人に男性の元恋人や友人が多かったヤンソンの場合、軍隊経験も豊富な彼らの多くは喫煙者だったはずだ。
ヤンソンは1914年生まれだが、彼女が何歳から喫煙を始めたのかわかっていない。過去の出生コホートから、彼女と同年代のフィンランド女性の喫煙率を推定すると約15〜25%となる(同年代の男性は約70〜80%)。
フィンランドの男女の出生コホートから各生年代別の喫煙率を示す。1916〜1920年に生まれた男女のデータは55歳(1971年)以降しかないが、そこから推定すると女性で約15〜25%、男性で約70〜80%の喫煙率と考えられる。Via:S Helakorpi, et al., "Did Finland’s Tobacco Control Act of 1976 have an impact on ever smoking? An examination based on male and female cohort trends." Journal of Epidemiology & Community Health, 2004
ポーランドのワルシャワ大学で北欧文学を研究しているフィンランド人研究者の論考(※7)によれば、ムーミンパパはムーミン谷に自分自身のタバコ畑を持ち、パイプタバコ用のタバコ葉を栽培している。
産業革命後の近代化と生活水準の向上が起こった西洋では、フィンランドのブルジョワ階級も消費欲求を貪欲に向上させていた。ジャック・デリダは「タバコは無駄な消費であるがゆえに価値がある」というようなことを述べたが、ムーミンパパの場合は資本主義的な消費行動ではなく、自給自足的な行動を取っている。
さらに、ムーミンパパが吸うのは、紙巻きタバコ(シガレット)ではなくパイプタバコだ。自動紙巻き機により工場で大量生産され、その手軽さから大量消費される工業製品としての紙巻きタバコと違い、パイプタバコは紙や糊など使わずにタバコ葉だけを吸う。筆者も一時期、パイプタバコを吸っていたからわかるが、パイプタバコは長く吸うことができる一方、ボウル(火皿)にタバコ葉を詰めたりマウスピースやボウルを掃除するのが煩雑だ。
パイプタバコはタバコ葉だけを味わえ、作業が面倒なためそれほど頻繁にチェーンスモークできず、肺の奥へ吸い込まずに口中で味わうことが一般的なため、呼吸器への負担も少ない喫煙法といえる。そういう意味では、パイプタバコは加熱式タバコに通じるものがあるかもしれない。
ムーミンパパのパイプタバコへのこだわりがどのあたりにあるのかわからないが、パイプタバコは彼自身のキャラクターと当時のブルジョワ階級や時代を表す記号であり、原作者のヤンソンが自分の父親に対して抱いていたイメージを反映させていたものに違いない。それは、ムーミンママが常に家族のことを第一に考えていたのと対照的に、ムーミンパパは自分の趣味やライフスタイルのほうを優先させていた、というムーミンの中の描写でもわかるかもしれない(※7)。
だが、スナフキンが吸っているパイプタバコは、ムーミンパパのとは少し意味合いが異なる。ムーミンパパにとってのパイプタバコは彼自身の個性やライフスタイルの象徴だったが、スナフキンはタバコ自体を孤独な自分を癒やす友人とみなし、生涯をともにする相棒と考えているようだ。
もちろん、スナフキンがタバコを吸うのは一種のスタイリッシュな行為であり、彼のアナーキーな思想と合致する行為でもある。それはスナフキンの父親ヨクサル(The Joxter)との関係性が影響しているのかもしれない。喫煙行為はスナフキンにとって、父親を含めて彼を束縛するあらゆるものに対する抵抗を意味しているからだ。
時代とともに演出法は変わる
ただ、ヤンソンはムーミンの物語の中で、タバコと喫煙に関して複雑な描写をしている部分もある。例えば、未成年者に対してタバコはまだ早いと言わせたり、タバコを吸うことが自由であることの証と強調させてみたり、といったエピソードだ。
喫煙という行動が、社会的・文化的・政治的・思想的に意味のある時代がかつてあった。フィンランドの喫煙率も1976年から施行されたタバコ規制法により大きく下がっている(※6)。現在、フィンランドのタバコ消費量はEU諸国の中でも最低で喫煙率は16.1%だ。ただ若年層の喫煙率が下げ止まり、女性の喫煙率が高く、路上喫煙が野放し状態というのは日本と違う点だろう。
人間の行動は、時代や環境とともに変化するものだ。アニメのムーミン(1990年版以降)では、さすがに喫煙シーンはパイプをくわえているだけで煙を出さない表現に抑制されている。
原作ができた戦中戦後すぐのころ、パイプタバコや喫煙は登場キャラクターを象徴的に表すためのツールだった。喫煙率が大きく下がっている時代となり、共通のイメージとして認識されていたツールもすでに意味や効果を失いつつある。父親と同じ肺がんで亡くなったヤンソンは、別にどんなツールを考えるのだろうか。
※1:Claire Dickenson, "Sculptor's Daughter: A Childhood Memoir." The Sculpture Journal, Vol.24, No.1, 2015
※2:T Karjalainen, "Tove Jansson: Work and Love." Penguin, Particular Books, 2014
※3:Olga Holownia, "Tove Jansson’s take on Alice’s Adventures in Wonderland, The Hunting of the Snark, and The Hobbit." Journal of Children's Literature Research, Vol.37, 2014
※4:Sire Happen, "Parties as Heterotopias in Tove Jansson's Moon Illustrations and Texts." The Lion and the Unicorn, Vol.38, No.2, 182-199, 2014
※5:中丸禎子、「絵を描くムーミンママ トーベ・ヤンソン『パパと海』における女性の芸術と自己実現」、詩・言語、Vol.81,213-235、2015
※6:S Helakorpi, et al., "Did Finland’s Tobacco Control Act of 1976 have an impact on ever smoking? An examination based on male and female cohort trends." BMJ, Journal of Epidemiology & Community Health, Vol.58, Issue8, 2004
※7:Mika Hallila, "Smoking in Moominvalley- or, Why Moominpappa and Snufkin have pipes." Folia Scandinavia, Vol.22, 2017