新聞奨学生って知っていますか?
ずいぶん昔の話になる。今から16年前の1998年の5月24日の読売新聞の「編集手帳」。そこに書かれていた内容である。
掛け替えのない懐かしい思い出が蘇る。恐縮ながら記事に登場する人物は当時まだ大学生だった私自身である。今回は内容に書かれている新聞配達、「新聞奨学生」という制度について注目したい。私はこの制度を活用して大学に通い、4年間、嵐山で新聞奨学生をしていた。
日本で「新聞奨学生制度」は新聞古株の読売新聞によって始められ、後に他社においても導入された。調べた範囲で日本にしか存在しない文化である。
「新聞奨学生」とは簡単に言えば、住み込みをしながら、朝晩のご飯を食べさせてもらい、新聞の業務を担う代わりにアルバイト代+奨学金をもらうという制度である。仕事内容は、朝刊、夕刊の配達と折り込み作業で、希望すれば集金作業も出来る。18歳以上が対象で、衣食住を心配せず大学生なら4年間、短大や専門学生なら2年間、安定して学生生活を送れる。苦学生にとってこれは有難い制度である。
読売新聞社でこの制度が出来てから、2015年4月に入会された者で51期となる。つまり、日本で、世界で「新聞奨学金制度」が出来て今年で50周年の誕生日を迎える。そして第1期生の入会から50年の歴史の中で、これまでに読売育英奨学生制度を利用して会社に羽ばたいた卒業生だけでも約8万人にも上る。
毎年11月に東京と大阪にかつて読売新聞奨学金を受けていた卒業生が集う。大勢の老若の中には家族連れも多い。同じ直売所の「同じ釜の飯を食った仲間」ではないが、でも若い時に同じ経験を共有しているからか、ここには変な緊張感は全くなく、まるで大家族が一堂に集まったような印象を覚える。終始にわたり笑顔が絶えない賑やかな空間である。
なぜここまで詳しいのか。それは今年のOB会の会場に私がいたためである。光栄にも「新聞奨学生誕生50周年」の祝う今回の記念講演を担当した。最近になって一つ解ったことがある。それは留学生としての新聞奨学生第1号が私自身であること。少なくとも、関西広域においては留学生の新聞奨学生は、その後まだ現れていないという。大勢の前での講演を終わると、その後の交流会でたくさんの元新聞奨学生の先輩や後輩と話をした。「ジャイアンツが勝つと明くる日、朝寝坊しても所長の機嫌が良いから、いつの間にか巨人ファンになっていた」など思い出話に花が咲く。
懐かしく楽しい時間があっという間に終わり、帰りの車の中。同乗している関係者に最近の新聞奨学生制度について話を聞いてみた。多い時は800人ほどのあった応募だったが、最近では昔のように人が集まらないと言う。新聞離れが進み、新聞配達という文化に馴染みがない人が増えた。学校に行って、奨学金制度の説明をしようとしても「学生は仕事がきついと嫌がる」と学生に判断を委ねることなく教員の段階で結論を急ぐことも中にはあると言う。個人的な経験を思い出した時、金銭的にも、気持ち的にも居心地の良い4年間を過ごした者として理解に苦しむ。おそらく新聞奨学生の卒業生全員も同感であろう。
日本の社会に貧富の格差が確実に広がっている。教育現場にいる者として、経済的な事情で進学を断念したり、大学に入ったものの中退する学生を多く目の当たりにする。そのような苦学生にも新聞奨学制度は良いのではないか。もちろん自己責任でいろいろ調べて決める必要はあるが、一つの選択肢として考えることをここで薦めたい。
参考までに主な新聞奨学金制度を下記に紹介する。