平安京さんぽシリーズ① 伝説に彩られた一条通を歩く(前編)
歩き始めは東から、烏丸通と一条通の交差点からスタート。ここにシンボル的存在として店舗を構えているのが和菓子の老舗「とらや」だ。朝廷に菓子を納めてきた老舗で、明治天皇について本社は東京へと移転、東京ですっかり定着したが、発祥の地京都にも店舗を構えている。
続いて室町通の角に店舗を出しているのが「本田味噌」だ。「西京味噌」と呼ばれた京都の味噌を代表する老舗だが、観光的には紹介されることは少なく、地元にしっかり支えられている。
小川通から西へと進むと急に道幅が広がる。まもなく右手のマンション前に背丈の低い石碑が立っており、この北側に延びる道が「小町通」であることを示している。小野小町が大友黒主と歌の優劣を競った際に生まれた「草子洗」の逸話により、通り名となった。
ここまで来ると目の前には堀川が現れ、架かっている橋が伝説の「一条戻橋」だ。平安中期に文章博士であった三善清行(みよしきよつら)が亡くなった際、ここをその葬列が通ったが、紀州熊野から戻ってきた子の浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)が祈祷を行って父の命を蘇らせたと伝わる。その話から「命が戻った」ということで「一条戻橋」と名がついた。
他にも源頼光の家来であった渡辺綱が鬼女と遭遇して戦った鬼女伝説も残っている。またすぐ北にある晴明神社の祭神でもある安倍晴明が、式神をこの橋の下に隠していたという話も伝わる。
その晴明神社は、堀川通を横切ると北に徒歩すぐだ。安倍晴明が使ったとされる晴明井からは今も水が湧き、京都屈指のパワースポットとして人気を誇る。社務所には著名人の納めた絵馬もずらりと並び、床几もお手洗いもあるのでくつろげる。
門前には、そこが千利休の屋敷であったことを示す石碑があることにも注目したい。
一条通に戻ると、千利休と同時代に豊臣秀吉に仕えた黒田官兵衛、上杉景勝の屋敷が当時並んでいたとされ、如水町、弾正町と二人ゆかりの町名が今も確認できる。
一条通と大宮通の交差点から南西は、豊臣秀吉が造営した聚楽第があったと推定され、そのため、秀吉に仕えた有力な人物が周辺に住んだと考えられる。
一条通はここから西へ行くほど寂れたと考えられており、歩くとそれが実感できるスポットも登場する。次回をお楽しみに。