木村花さんの悲劇から、私たちが本当に学ばなければいけないこと
女子プロレスラーの木村花さんが23日に亡くなってから、もう一週間がたってしまいました。
女子プロレス界の次世代スターと期待されていた人物が、22歳という若さで亡くなったという衝撃に加え、人気番組「テラスハウス」に出演していたこともあり、この一週間毎日のように様々な角度でのニュースが話題になっています。
私自身は、今年に入ってからテラスハウスを見始めて、今更ながら最近すっかりテラスハウスの世界にハマっていた人間だったので、リアルタイムに番組で見ていた木村花さんの訃報を、自分の中で理解するのにしばらく時間がかかったほどでした。
木村花さんがプロレス界で将来を期待されていたにもかかわらず、22歳という若さで亡くなってしまったのはなぜだったのか。
私も含め、多くの人が当然抱くであろう疑問の答えをもとめ、様々なメディアが様々な角度で今回の件を報道。
様々な情報や関係者のコメントが錯綜し、本来静かに故人の死をいたむべき7日間、毎日のように激しい議論がメディア上、ネット上で交わされていました。
ただ、そうした議論を一通り見て個人的に感じているのは、そうした特定の「犯人」を捜すこと自体が間違っているのではないかという漠然とした感情です。
毎日のように続いていた誹謗中傷
木村花さんの訃報において死因は公表されていないものの、一部のメディアでは警視庁が自殺とみて調べていると報道されています。
そのため、まず最大の「犯人」として注目されたのがSNS上での誹謗中傷でした。
実際に、木村花さん自身が誹謗中傷を受けていたことを示唆する内容を投稿していたようですし、誹謗中傷が最近まで1日100件ペースで続いていたという報道もあります。
参考:木村花さん「テラハ」“コスチューム事件”以降アンチ急増、誹謗中傷1日100件…母にも矛先
誹謗中傷投稿をしていた人々の中には、慌てて投稿を削除した人も少なくないようで、普段からそうした誹謗中傷を受けている著名人を中心に、ネット上の匿名が問題だという持論を展開する方や、誹謗中傷の温床になっているSNSやプラットフォーマーの対応不足を指摘する声も増加。
激しい議論が各所で交わされています。
そうした批判の声に応えるかのように5月26日には、国内外のソーシャルメディア企業が会員として名を連ねる「ソーシャルメディア利用環境整備機構」がソーシャルメディア上の名誉毀損や侮辱等を意図したコンテンツの投稿行為に対する緊急声明を発表。
さらには、高市総務大臣が、ネット上の匿名の発信者の特定を容易にするため制度改正を検討すると発言。
あまりに早い反応に、政治批判の封殺に木村花さんを利用しているのではないかと議論をよぶ展開になっていました。
参考:木村花さん事件に強まるソーシャルメディアへの批判と政治の圧力 業界の異例の緊急声明の背景と具体策は
番組制作側の演出方針にも疑問の声
さらに5月27日には女性セブンが、テラスハウスの現役スタッフの告白として、テラスハウスには台本はないがストーリーは作っていたという裏話を報道。
これをきっかけに番組制作側の過剰な演出が、最大の問題だったのではないかという議論が沸騰する結果に。
参考:テラハの暴走、現役スタッフが告白 泥臭い人間模様を狙う
フジテレビと制作会社のイースト・エンタテインメントが、同日に今シーズンのテラスハウスの打ち切りとコメントを発表したものの、批判がおさまらず。
29日には、フジテレビの遠藤社長が「もっと細かく、継続的に、彼女の気持ちに寄り添うことができなかったのかとざんきの念に堪えません」と、今後十分な検証を行っていく旨のコメントを出す展開となっています。
一方で、スタッフによる告白によって浮上したテラスハウスのやらせ疑惑に対しては、出演者の何名かが反論。
2012年の出演者も、アエラの取材に応えてやらせを否定するなど、スタッフの告発報道自体にも疑義が抱かれており、議論が分かれているようです。
参考:木村花さん出演の「テラスハウス」 元出演者が“やらせ疑惑”について実名告白
芸能事務所との契約解消の情報も錯綜
さらには29日になって、木村花さんの芸能活動のマネジメントをしていた芸能事務所が、木村花さんとの契約を3月末日に解消をしていたと発表していたのが、実は事実と違っていたと東スポが報道。
木村花さんはテラスハウスをやめたいと漏らしていたのに、事務所が話し合いに応じなかったという逸話まで飛び出してきました。
参考:木村花さん所属していた芸能事務所“契約解消”発表で「責任逃れ」の声
こうしたあまりの情報の錯綜ぶりに、メディア側の取材や報道も過熱気味になり、本来は、最愛の娘や友人をなくし、悲しみに浸る時間が必要なはずの家族や関係者への節度を超えた取材も行われてしまっているようです。
こうした報道が1つずつされるたびに、読者や視聴者の怒りは、報道で「犯人」として取り上げられた対象に対して向けられ、SNS上での批判やクレーム行為が展開されています。
しかし、こうした情報をすべて並べてみると、今回の悲劇は、こうした複数の要因が重なってしまった結果ではないかと思えてくるのです。
新型コロナウイルスの非常事態宣言下での悲劇
テラスハウスと同じくNetflixで配信されている番組に「13の理由」という自殺をテーマにしたドラマがあります。
このドラマでは、女子高生のハンナが謎の自殺を遂げ、なぜ自ら命を絶ったのかという理由がカセットテープを通じて語られていきます。
そして、彼女を取り巻く友人や関係者の一人一人の小さな発言や行動の一つ一つが、彼女を自殺に追い込んでいく過程が明らかになっていくのです。
テープで糾弾された登場人物の一人一人は、自分の行動が思いがけなく彼女を深く傷つけていたことを知らされ、苦悩することになります。
木村花さんの死因は自殺と断定されていませんが、仮に自殺だった場合、同じように複数の理由が重なり合った結果とは考えられないでしょうか。
今年の3月から5月という期間は、木村花さんだけでなく、日本中の人々が、外出自粛要請や緊急事態宣言で、様々なストレスを溜め込んでしまったタイミングでした。
ウイルスの影響でプロレスの大会も中止になってしまったようですし、おそらく自粛要請で練習も自由にできなくなっていたでしょう。
テラスハウスの共同生活も中止になって、一人で自宅に閉じこもることになっていたはずです。
さらに所属事務所との契約解消交渉も、うまく進まず困っていたタイミングだったという報道もあります。
そんな渦中に放映された番組の影響で、コロナで鬱憤を抱えた人たちによる100件を超える批判が、自分のSNSに毎日のように殺到したとしたら。
しかも報道にあるように番組側からのケアもあまりされておらず、テラスハウスの収録自体が中断していて、名誉挽回の可能性も薄いと感じてしまっていたとしたら。
しかも、そんなタイミングに緊急事態宣言で外出自粛を求められ、友達や先輩に食事をしながら悩みにのってもらうようなことも難しくなっていたとしたら。
そうした様々な要因が、不幸にも新型コロナウイルスによる社会の空気と積み重なって、20代の女性の心を押しつぶしてしまう可能性は高いように感じます。
そう考えると、今回の木村花さんの悲劇は、言葉では言い表せないほどに本当に不幸なできごとだったように思われるのです。
当然、SNSの匿名の誹謗中傷や、番組の過剰な演出に責任がないという話ではありません。
少なくとも自責の念を感じて女性セブンに告白をしたと思われる番組関係者のように、すべての関係者が責任を感じるであろう話であり、その自責の念や後悔は木村花さんが亡くなってしまった以上、永遠に消せないものであるという話です。
もしコロナがなくプロレスが続けられていたら。
もしテラスハウスの共同生活が続いていたら。
もし番組側がSNSの反応を意識できていたら。
もし事務所がSNSの批判をケアできていたら。
もしSNSに誹謗中傷を減らす仕組みがあったら。
もしコロナが人々の心を過激にしてなかったら。
どれか一つでも運命の針が逆側に振れていれば、木村花さんの悲劇は避けられたのかもしれない、と考えてしまうと。
後悔してもしきれない気持ちになる方は少なくないはずです。
いま「犯人」探しよりもすべきこと
もちろん、木村花さんが22歳という若さで亡くなってしまった本当の理由は、我々には永遠に分かりません。
私が、こうやって勝手に想像して語ることも、亡くなられた木村花さんに失礼な行為だとも感じています。
ただ、今、私たちが木村花さんの悲劇を目の当たりにしてするべきことは、誰か一人を「犯人」にしたてあげ、その人を糾弾することではないはずです。
誰かをスケープゴートにしてその人に批判の声を浴びせることは、実は木村花さんに対して批判の声を向けていた無数の人たちの行為と同じです。
そんなことをして木村花さんの仇を取ろうとしても、木村花さんが浮かばれるとはとても思えません。
さらに、批判を恐れずにあえて書くとしたら、実は私たち一人一人も木村花さんの死に責任を感じるべき存在なのかもしれないのです。
起業家としても有名なけんすうさんが自身のnoteで、誹謗中傷かどうかよりも、ネットでは簡単に批判が大量に来てしまう方が問題ではないかという問題提起をされていましたが、私も同意見です。
参考:誹謗中傷かどうかよりも、批判の量のほうが問題じゃないかなという話
仮に極端な誹謗中傷を、法律によって規制することができたとしても、SNSのプラットフォームが何かしらのコメント規制をしたとしても、言論の自由の範疇の大量の批判コメントの殺到を防ぐことは現実的には難しいでしょう。
テラスハウスのような人気番組においては、視聴者が多数存在する関係で、仮に一部の人間が批判のコメントを書き込んでも、受け止める側からすると膨大な批判に感じる結果となります。
リアルの日常社会であればありえないような多数の罵倒が、ネット上では簡単に自分に向かってくる結果となるのです。
私たちは、面と向かってだったら絶対に相手に言わないような言葉を、ネット上の掲示板や著名人のSNSに、ついつい書いてしまいがちです。
私自身も、テレビを見ていて腹が立ったときに画面に向かって悪態をつくことは良くあります。
ただ、テレビに向かって悪態をついても、その悪態が相手に届くことはありません。
しかし、相手のSNSに誹謗中傷や批判を書くという行為は、書かれた相手からすると面と向かって誹謗中傷や批判をされているのと同じです。
書いている側はテレビの前の独り言と同じつもりでも、受け取る側にはそうは見えない構造だからこそ、ネットではいわゆる「スルー力」が重要だと言われるわけです。
ただ、無名な人であろうが著名人であろうが面と向かって批判されれば傷つきますし、木村花さんのように若い世代が突然大量の批判に直面して、日本中の視聴者が自分を嫌ってしまったと感じてしまうのは当然です。
にもかかわらず、私たちはこの20年以上、面と向かって言わないことをネット上であえて書く行為を、放置し続けてきてしまいました。
現実世界で同様の行為を友達がしたら、手を取って止めるかもしれないような行為を、長く放置してきてしまったのです。
私たちは、いじめを傍観している子どもと同じことをしてしまっていたかもしれない、といったら言い過ぎでしょうか。
楽しく元気な花さんを心に置いて
少なくとも、木村花さんの悲劇を目の当たりにした私たちがすべきことは、犯人捜しを名目にしながら相手を罵倒したり、お互いを過激な言葉で批判しあったりすることではないはずです。
面と向かっては言わない相手を傷つける言葉を、平気でネットに書き込んでしまう空気をどう変えていくかを、今こそ真剣に考え、議論し、行動するべきではないかと感じます。
最低限の規制は必要かもしれません、SNSやプラットフォーム側の対応も必要でしょう。
視聴者を煽らない番組作りも必要かもしれませんし、事務所や会社、そして学校が、一人一人にSNSの使い方やリスク、そしてスルー力の基本を教える必要もあるかもしれません。
おおげさな話に聞こえるかもしれませんが、これは決してヤフーやLINE、ツイッターやインスタグラムなど一部の大手ネット企業だけが取り組んで解決できることではありません。
インターネットを形作っているのは、私たち一人一人の言葉であり行動です。
私たち一人一人が、
ちょっとネット上での発言を優しくしたり。
わざわざ批判を相手に向かって書くのを止めたり。
過激な友人の発言をいさめることができていたなら。
木村花さんの悲劇を避けられたかもしれない、と考えてみたらどうでしょうか。
現実の街が私たちの努力によって、良い雰囲気の街になることも、治安の悪い街になることもあるように。
インターネットも私たちの努力によって、少し今より良い雰囲気にできるはず、と考えるのは楽観的すぎるでしょうか。
木村花さんの母親である木村響子さんは、自身が最も辛いであろう最中に、ツイッターに「あなたが辛いと花も辛いからどうか楽しく元気な花を心に置いてあげてください」と投稿されていました。
木村花さんのような悲劇を二度と繰り返さないためにも、私たち一人一人ができることがきっとあるはずです。