【オートバイのあれこれ】F3レーサー・YZF400を公道へ!FZR400
全国1,000万人のバイクファンへ送るこのコーナー。
今日は「F3レーサー・YZF400を公道へ!FZR400」をテーマにお話ししようと思います。
’80年代のレーサーレプリカモデルを代表する1台が、ヤマハの『FZR400』です。
ヤマハは1984年(昭和59年)に初の4ストレプリカとなる『FZ400R』をリリース。
FZ400Rはレースシーンにおけるヤマハの活躍もあって、人気モデルとなりました。
しかし、メーカー同士の激しい開発競争のなか、ヤマハは早くも次なるレプリカモデルの開発に着手。
そうして’86年にデビューしたのが、FZR400になります。
FZR400最大のトピックは、当時のヤマハのレーシングマシン『YZF400』と同時進行で開発が進められたということ。
「YZFを参考にしながら作った」というより、「YZFを公道仕様に作り変えた」と表現したほうがより適切なくらいの開発プロセスが踏まれたのです。
フレームにはYZFと同じアルミ製の『デルタボックスフレーム』が採用され、エンジンも当時のヤマハを象徴する『ジェネシス』エンジンが投入されました。
また、FZR400のディテールとして、後輪にラジアルタイヤを標準装備していたことも見逃せません。
’80s半ば頃までの時代は、オートバイの世界ではまだまだバイアスタイヤが主流でした(というより、技術が未発達で二輪用のラジアルタイヤ自体がまだほとんど実用化されていなかった)が、ヤマハは思い切ってFZRのリヤタイヤにラジアルタイヤを投入したのです。
ラジアルタイヤが市販車へ標準装備されたことは、時代の進歩を感じさせる出来事でした。
そしてこのFZR以降、二輪用ラジアルタイヤは一気に広がっていくこととなります。
ちなみに、この頃のレプリカモデルは前輪が16インチにされることが多かったのですが、ヤマハはFZRの前輪へ17インチをチョイス。
16インチホイールは小径ゆえにクイックなハンドリングで、これがコーナリング時に強みになると考えられていましたが、ヤマハは16インチの「取って付けたような」動きを好まず、それよりもバイクの動きに沿ってナチュラルにステアする17インチを選んだのです(これは、2スト250ccの『TZR250』にも同じでした)。
このあたりの設計は、ライダーの感覚を大切にするヤマハらしさがよく表れていた部分だといっていいでしょう。
この後、FZR400は『FZR400R』へと進化していき、やがてヤマハの4ストスポーツの系譜は『YZF-R』シリーズへと移り変わっていくことになります。
画像引用元:ヤマハ発動機/スズキ