台風により天気予報がハズレても、ない時代よりはまし
台風11号が発生
令和元年(2019年)8月21日15時にフィリピンの東海上で、台風11号が発生しました。8月の台風としては、若干低緯度での発生です。
台風11号の発生海域は、太平洋高気圧の南側に位置しているため、北上することなく、西進して台湾に向かう予報となっています(図1)。
日本付近には秋雨前線が停滞していますので、台風11号からの暖かくて湿った空気が流入することで、大雨の懸念があります(図2)。
「台風と前線」は危険な組み合わせですので、最新の天気予報や台風情報の入手に努め、警戒してください。
台風の進路予報の精度
秋雨前線による大雨の予報は、まだまだ難しいものがありますが、台風進路予報の精度向上は著しいものがあります。
戦後の日本は、大きな台風災害が相次ぎ、死者が4桁(1,000名以上)の大惨事となるのが珍しくありませんでした。
それを何とか減らせないかと、台風の24時間先予報において、台風の進行方向だけでも予報しようと、約30年間、誤差幅をつけた「扇形表示(進行速度は難しいので一本の線上に表示)」が使われていました(図3)。
しかし、最初から、進行方向の誤差が表示できないという欠点がありました。
そこで考えられたのが、「予報円」を用いた表示方法です。
台風の予報誤差には、進行方向と進行速度の2種類がありますが、多くの例で調査すると,両方の誤差がほぼ等しい分布となっていることから、表示の簡明さ、情報伝達のわかりやすさ等を考え合わせての採用です。
台風の進路予報の表示方法として、現在用いられている予報円表示が採用されたのは、昭和57年(1982年)6月の台風5号からですが、この頃の進路予報誤差は、24時間先の予報で200キロを超えていました(図4)。
当時、気象庁予報課で台風予報などの防災業務を担当し、予報円を作りましたが、統計的手法を用いた台風進路予報の精度向上が図られ、近い将来、数値予報を用いた台風進路予報も実用すると考えられていた時期でした。
台風の進路予報精度が、24時間予報で200キロ程度に改善する見込みがたったこともあって、スタートした予報円表示でしたが、最初は、24時間予報の誤差が200キロを切れませんでした。
しかし、徐々に精度が向上し、平成30年(2018年)の24時間予報誤差は68キロです。誤差が約3分の1になっています。
進路予報の精度向上を背景に、平成元年(1989年)から48時間予報、平成9年(1997年)から72時間予報、平成21年(2009年)から96時間予報と120時間予報が始まっていますが、いずれの予報も年々精度が向上しています。
ただ、終戦直後の台風予報は、今から見ると、予報とはいえないほどお粗末なものでした。
天気予報が復活した日
太平洋戦争が始まり、国防上の理由から、天気予報が国民に知らされなくなってから約3年8ヶ月後、終戦からは一週間後の8月22日に天気予報が復活しています。
昭和20年(1945年)8月21日昼すぎ、陸海軍大臣並びに運輸大臣から気象報道管制解除の文書が中央気象台(現在の気象庁)に届きます。
これを受け、藤原咲平台長は、日本放送協会(NHK)の大橋八郎会長を訪ね、明日からの番組編成を変更して天気予報を放送してくれという無茶な要請をしています。
準備不足であろうとなかろうと、一刻も早く戦争が終わったという実感を持ちたかった、あるいは、多くの人に実感を持たせたかったのかもしれません。
NHKでも、この無茶な要請を受け入れ、22日12時のニュースに続いて、6時の天気図をもとにした天気予報を放送しています。
「東京地方、きょうは天気が変わりやすく、午後から夜にかけて時々雨が降る見込み」
久しぶりにラジオから流れる天気予報のアナウンスは、いかにも戦争が終わったという安心感を国民に与えたといいます。
しかし、東京地方は天気予報と違い、房総半島に上陸した小さな台風(豆台風)によって暴風雨となり、天気予報復活の日は黒星となっています。
天気予報復活の日の黒星の原因は、観測資料が乏しい中での予報ということにつきます。太平洋戦争により、多くの気象官署が被害を受けていましたが、8月15日の終戦の日までは、100ヶ所以上の気象官署での観測が集められて天気図が作られ、軍事目的のために天気予報が行われていました。
しかし、終戦後の大混乱のために通信事情が極端に悪くなり、観測が行われていても10ヶ所程度しか天気図には観測が記入されなくなっています。
このため、房総半島の南東海上にあった台風には全く気がついていなかったのです。
図5の天気図は、天気予報が復活した日のものですが、後日入手した観測資料も含めて解析したものです。
天気予報を発表した時に用いた天気図は、観測資料の記入がまばらで、とても天気予報をするのに足りうる天気図ではありませんでした。
戦後初の天気予報を発表した日の様子について、その時に中央気象台(現在の気象庁)予報部長であった和達清夫氏は「この時ほど天を恨んだことはない」と述べています。
また、和達清夫部長のもとで予報課長をしていた高橋浩一郎氏からは、「その日は台風のことは全く考えておらず、あとになって、八丈島の観測に、その兆候があったのではないかと思っただけだった」というお手紙をいただいたことがあります。
いまは、天気予報、台風予報がほとんどハズレない時代になり、それらの正確な情報が各種メディアを通して提供されたり、気象庁のホームページなどにアクセスすると、より詳しい情報が簡単に入手できる時代となっています。
しかし、「台風により天気予報がハズレても、ない時代よりはまし」と言われた時代があったことは忘れてはならないと思います。
異常気象が増えてきたと言われますが、最新の天気予報や台風情報などの情報入手に努め、自分の身は自分で守って欲しいと思います。
図1、図2、図4の出典:気象庁ホームページ。
図3、図5の出典:饒村曜(平成5年(1993年))、続・台風物語、日本気象協会。