大いなる無駄「バレンタインデー」日本はいつまで続けるのか
毎年恒例のバレンタインデー。フランスでしか買うことのできない高級チョコレートがこの時期だけ輸入され、年間のチョコレート売上高の2割以上をバレンタインデーが占めるなど、その経済効果はあなどれない。とはいえ、販売できる時期が限られていることで、「食品の無駄」が出ていることは否めない。職場などでは「義理チョコ」を渡す女性だけではなく、ホワイトデーで「倍返し」を強要される男性側も『心理的負担』を感じる人は少なくない。そもそも業界側が仕掛けたイベントを、消費者が「鵜呑み」にして続ける時代なのだろうか。
薄っぺらく感じた日本のクリスマス
昨年、農林水産省の、日・ASEAN食産業人材育成官民共同プロジェクトの一環で、タイのカセサート大学で8ヵ国の学生たちに講義をしてきた。自由時間にバレンタインデーの話になり、日本から来ていた方が「タイではバレンタインやるんですか?」と大学の先生に聞いたところ、「ティーンエージャーだけよ、わたしたちは(そんなの)やらないわよ」と答えた。それを聞いて、青年海外協力隊時代に滞在していたフィリピンでのクリスマスを思い浮かべた。
フィリピンでは「ber month」(月の英語名の末尾にberが付く月)はすべてクリスマスとも言われる。すなわちSeptember, October, November, December。9月から12月はすべてクリスマス。実際、滞在していたときも、9月ごろから街ではクリスマスの飾り付けが始まり、クリスマスソングが流れていた。
当時、隊員だった筆者は、赴任先の大学の、何人もの先生から「うちにおいで」とパーティに誘われた。カトリックとプロテスタントの違いはあるものの、国民のほとんどがキリスト教徒であるフィリピンの人たちにとって、クリスマスはイエス・キリストの降誕を祝う大切な日。「丸いものは縁起がいい」と言って、りんごや、丸い形のチーズが食卓を飾り、学生だけでなく大人たちもその日を心待ちにしている様子に、心の底から祝う気持ちが伝わってきていた。
フィリピンに渡航して以来、日本のクリスマスが薄っぺらく見えるようになった。そこに込められている思いが伝わってこないからだ。数年前、米国人の方と一緒に働いていたときには「日本のクリスマスでチキンを食べるのだけは許せない」という言葉も聞いた。「クリスマスに食べるのはターキー(七面鳥)だ」と。
これと同じようなことを、林修さんがご著書『いつやるか?今でしょ!今すぐできる45の自分改造術』(宝島社)のコラム「イベントに踊らされるな、日本人!」に書いておられた。
林さんは、バブル時代に学生時代を過ごし、クリスマスは大切なイベントだったそうだ。が、日本に留学していた外国籍の男性が、日本のクリスマスについて「日本人って本当に幸せな民族なんだな、とつくづく思いますよ。でも、日本人が楽しんでいるなら、僕らがとやかく言うことじゃありませんよね」と語ったのを聞いて以来、クリスマスなどの既存のイベントとは距離をとるようになったとのこと。
キリスト教徒は国民全体のわずかに過ぎない日本人が、クリスマスの意味もわからず、騒ぎ、消費に走っている。留学生の言った“幸せな”という言葉は“能天気”という意味でもあったのだろう。
大量に安売りされていた輸入ハート型チョコレート
筆者は普段、食品ロス問題についての啓発活動を行っている。ある食品小売業主催の講演に呼ばれたとき、主催者の方が挨拶で次のような趣旨のことを語った。
「クリスマス前になると卵が普段よりも売れる。正月前になると三つ葉が売れる。でも、その時期だけ、普段の10倍も20倍も卵や三つ葉が採れるわけではない」
「願わくば、消費は年間通して、均して(ならして)ほしい」
都内のあるスーパーマーケットでは、賞味期限の迫ったものが安価で販売されている。1月にそのコーナーへ行ったとき、来年の1月賞味期限の輸入ハート型チョコレートがケースごと大量に安売りに出されていた。
「え?まだ1年以上も賞味期限残っているじゃない?」と思ったが、結局、それを残しておいても、その年のバレンタインデーに売り切れなければ、翌年の2月14日にはもう売れないから、一年も早めに安売りに出してしまうということなのだろう。
チョコレートの原材料、カカオ。カカオの生産国では、児童労働の問題がいまだ解決していないという現状がある。2001年10月、米国議員とチョコレート製造者業者協会が、児童労働をなくすことを目的とした「ハーキン・エンゲル議定書」を締結した。児童労働がないフェアトレード商品なども増えてはいるが、まだまだ充分ではないようだ(出典:「チョコレートと児童労働」特定非営利活動法人ACE)
他人が作ったイベントに踊らされ、とりあえずやる日本人
アイブリッジ社のリサーチプラスによれば、バレンタインデー前の女性の心境について、
1位「昔ほどテンション上がらないな。」(21.5%)
2位「面倒くさい季節が来た。煩わしい季節が来た。」(11.6%)
が上位に来ている。(2014年1月20〜21日調査、全国の20〜39歳の未婚の女性1000名)
そもそも「贈り物」というのは、受け取る相手が喜んでくれるのが本来の目的だ。受け取る相手が全員、チョコレートが好きとは限らない。職場での義理チョコを受け取れば、男性としては、ホワイトデーに、受け取った金額相当もしくは何倍もの「“お返し”を強要された」といえなくもない。
海外と比較しても違和感があり、カカオという自然の作物から作るため、一気に生産量を増やすのにも無理が生じる。児童労働などの倫理的な問題もあり、相手が第一という「おもてなし」や「サービス」の面から考えても、ベストとは言いづらいのが実態だ。一歩間違えば女性から男性へのセクシャルハラスメントにもなりかねない?
そんなバレンタインデーが、なぜ日本では毎年続いているのだろうか。日本での始まりには諸説あるが、昭和11年2月12日、神戸にある製菓会社が外国人向け英字新聞に広告を打ったのが始まりとも言われている。
日本人のイベントは、「意味がわからないけどとりあえずやる」というものが多いと感じる。そして、それは「よくわからないけど、とりあえず暗記しておけば点がとれる」という教育も一因ではないだろうか。悪くいえば「思考停止」。なんでも鵜呑みにする。「とりあえず」入った会社で「とりあえず」給料がもらえるから「とりあえず」惰性で働く。
「母の日」に大騒ぎしなくていい日々を送ることこそ真の「イベント」
前述の林修さんの著書には「今の日本は、売り上げを重視するコマーシャリズムがあまりにも主導権を握り過ぎている」「他人の作ったイベントに踊らされること以上にもっと大切なことがあるはず」とある。
林さんは「『母の日』だから電話するのではなく、毎日親孝行しているから、『母の日』には大騒ぎしなくていいような日々を送ることこそ、真の『イベント』だと僕は考えています」と語っている。
世間の物差しではなく、自分の価値観で考えるべき
好きな人に気持ちを伝えるのは2月14日じゃなくてもいいし、贈るのはチョコレートでなくても構わないはず。バレンタインだけではなく、節分に食べる恵方巻、クリスマスに食べるケーキやフライドチキンなど、すべてのイベントでそれは言えるのではないだろうか。
業界側が仕掛けた同じ食べ物を、日本中で一斉に食べる――。
それが自然の摂理に沿った、環境に負担のない食べ物や、日本古来の伝統行事ならまだしも、単なる食品・流通業界の商業的キャンペーンによる消費、自然の法則や伝統に反して大量に作る必要のある食べ物ならば、環境や社会、働く人にも大きな負担をかけてしまう。
「自分にとってのベストは何なのか」「相手にとって本当にうれしいことは何なのか」――。「世間の物差し」ではなく、「自分の価値観」で考えていくべきではないだろうか。
2017.2.14 ダイヤモンド・オンライン大いなる無駄「バレンタインデー」日本はいつまで続けるのかより一部改編の上、転載