富裕層向けリゾート開発と戦う“サバンナの勇者”マサイ――“環境保全”のもとの文化的ジェノサイド
- 東アフリカのタンザニアでは、これまで自然保護区での伝統的放牧を認められていたマサイが、“環境保全”を理由にした強制移住に直面している。
- その一方で、タンザニア政府は自然保護区に超高級リゾート施設を建設し、一部の海外富裕層にトロフィー・ハンティング(娯楽の狩猟)を許可している。
- リゾート開発には海外から資金が流入し、この利権が“環境保全”を名目にマサイの伝統的生活を根こそぎ破壊しかねない強制移住を加速させている。
“勇者”への迫害
東アフリカのケニアからタンザニアにかけて暮らすマサイは、アフリカでも特に知名度の高い民族の一つだ。
かつては名誉をかけ、ヤリ一本でライオンと戦った(現在ライオン狩りは行われていない)。勇猛な戦士として、19世紀にアフリカを支配したヨーロッパ人にも一目置かれる存在だった。
そのマサイは現在、国家権力を相手の戦いを強いられている。
国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)が7月に発表したレポートによると、タンザニア北部ンゴロンゴロ周辺では2022年からマサイに対する警官の暴行、レイプ、放火、投獄などが相次いでいる。
これに対して、現代のマサイはヤリではなく、法廷闘争、抗議デモ、さらに国際世論への働きかけによって対抗している。
8月にはマサイのデモ隊がンゴロンゴロ周辺で道路を封鎖し、警察によって15人が逮捕された。現場は多くの観光客が通る場所で、タンザニア政府の不当性を国際的にアピールするのが目的だった。
きっかけは“環境保全”
対立の発端は、タンザニア政府がンゴロンゴロの周辺に暮らす約8万人のマサイに対して、“環境保全”を理由に600km離れたムソメラへの移住を求めたことだった(タンザニア全体のマサイ人口は約43万人)。
ンゴロンゴロは広大な自然保護区で、その面積は80万ヘクタール(東京都と千葉県の合計より広い)にのぼる。ライオンやゾウなど野生動物も多く、タンザニア屈指のサファリスポットとして多くの観光客を集めている。
ここでマサイが生活することをタンザニア政府は認めてきた。都会に出たり、観光客相手の商売に転じたりする人もあるが、伝統的な放牧を生業にしているマサイも多い。
多様な生態系と伝統的な生活の調和が高く評価され、ンゴロンゴロ保全地域はUNESCOの世界遺産にも指定されている。
しかし、UNESCOは2019年、「人口と家畜の増加が生態系を損なう懸念がある」として、タンザニア政府に対して、住民に自発的移住を奨励することを提案した。
これと前後してタンザニア政府は“環境保全”優先に転換したが、多くのマサイが移住を拒んだことで対立がエスカレートし、治安当局による組織的な人権侵害にまで発展したのだ。
タンザニアは地球温暖化防止の取り組みを定めたパリ協定も批准している。
“差別的な環境保全”
襲撃などはもちろんだが、それ以外にもタンザニア政府の対応には問題が目立つ。
現在ではマサイの伝統的放牧がサバンナの生態系の保全に役立っているという研究もある。だから“生態系への懸念”への判断は慎重であるべきだろう。
さらに、生態系への懸念があるにせよ、マサイ迫害を調査したHRWが指摘するように、それを理由に人権侵害は正当化できない。
UNESCOはマサイが自発的に移住できるスキームを作るよう、タンザニア政府に提案したに過ぎない。
ところが、タンザニア政府のやり方は自発性や透明性とはほど遠いものだ。HRWがマサイに行った聞き取り調査の報告書の主な部分だけ抜粋すると、
- タンザニア政府「移住は任意」…移住を拒否すると、病院縮小など地元に露骨な圧力が加えられた
- タンザニア政府「事前に住民と協議した」…政府担当者が来て決定内容を発表しただけで、情報共有も交渉機会もない
- タンザニア政府「金銭補償として一世帯1000万シリング(約3700米ドル)を支給」…補償額に関して事前協議がなかったうえ、移住したのに支給額ゼロの世帯もある
- タンザニア政府「移住先に住居だけでなく学校や病院も作った」…マサイは大家族で暮らすのに、用意された住居は核家族用で狭すぎる。
- タンザニア政府「放牧民マサイの財産である家畜もすべて移住先に運べる」…周囲に十分な水場がなく、移住先で家畜の多くが死亡した。
こうした経緯から、マサイの代理人であるデニス・オリシャンゲイ弁護士は「環境保全には反対しない…我々は力ずくの、差別的な環境保全に反対している」と主張する。
そのうえで、マサイの伝統文化が根絶やしにされかねないとして「文化的ジェノサイド」と形容する。
“環境保全”の闇
実はこうした事態はンゴロンゴロ周辺だけではなく、タンザニア政府は各地でマサイを組織的に追い立てている。
もともと地球温暖化によって砂漠化の進むアフリカでは、土地や水をめぐる争いも増えていて、マサイもこれまで農耕民とのトラブルを抱えてきた。
しかし、タンザニア政府は人口の多い農耕民に肩入れしてマサイを追い立てているというより、“環境保全”を名目に多額の資金を調達しようとしているとみられる。
タンザニア政府はマサイ排除を進める一方、自然保護区を国土の半分近くにまで拡大して、各地で富裕層向けのリゾート開発を計画しているからだ。
つまり、エコツーリズムを産業の一つの柱にしようというのだ。
しかし、そもそも“生態系への懸念”を理由にマサイを排除しながら、水を大量に消費し、多くの人が行き交う巨大施設を建設することには疑問の余地が大きい。
そればかりかタンザニア政府は“環境保全”を掲げながら、自然保護区におけるトロフィー・ハンティング(娯楽としての狩猟)を海外の一部富裕層に認めている。
マサイ迫害のスポンサー
報道によると、中東のアラブ首長国連邦(UAE)の王族は2022年頃からンゴロンゴロのロリオンド地区で狩猟を行っている。
念のために補足すると、いわゆる“間引き”の効果を重視して、トロフィー・ハンティングが生態系の保全にむしろ役立つという主張もある。
しかし、ここでのポイントは生態系への影響ではなく、富裕層向けの狩猟場が現地社会をむしろ圧迫する側面だ。
ンゴロンゴロの土地利用の権利は従来マサイに認められていた。ところがタンザニア政府はマサイの同意なしにUAEの王族に狩猟を認め、さらにマサイの反対運動も力ずくで取り締まってきた。
オークランド研究所の調査では、アメリカの観光会社トムソン・サファリもロリオンドにおける富裕層向け狩猟ツアーに出資していることが明らかになった。
UAEはタンザニアの“環境保全”に70億ドル を出資しているとみられ、ンゴロンゴロには自家用ジェットも離発着できる宿泊施設や狩猟拠点が建設されていると報じられる。
そして中国も、ンゴロンゴロの高級リゾート開発に900万ドルを投資している。現場はマサイが生活を認められていた土地だが、現在マサイの立ち入りは禁じられている。
それにもかかわらず、中国共産党系英字メディアGlobal Timesは今年5月、「ンゴロンゴロに関して「現地の伝統文化と触れることで中国の観光客はタンザニアをより深く理解できる」というタンザニア政府高官の発言をそのまま掲載している。
そこには現地の伝統文化を破壊しかねないンゴロンゴロ開発やマサイ迫害に関して一言もない。
国際的圧力は高まるか
国家権力と巨大資本の攻勢に対して、マサイは国連に介入を求めているほか、欧米各国に代表団を派遣するといった働きかけを続けている。
それに比例して国際的関心も徐々に高まっている。
例えば途上国向けの資金協力を業務にする世界銀行は4月、マサイ迫害を重くみて、タンザニア向け融資の一部停止に踏み切った。
また、欧州委員会も6月、タンザニア向け1000万ユーロの出資をキャンセルした。
こうした圧力は徐々に強まっているが、強権化しつつあるタンザニア政府はそれでもマサイ迫害を止める気配はない。国家権力と巨大資本を相手にしたマサイの戦いの道のりは遠い。
20世紀以降の世界では“近代化”の大義名分のもと、中国や中央アジアなどで遊牧民は定住を半ば強制され、結果的にむしろ貧困に転落するケースが目立った。現代のアフリカではその大義が“エコ”や“脱炭素”に変わっただけというパターンも少なくない。
マサイ迫害はその一つの典型なのである。