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改めて考えたい「学校」とは?94歳で小学生になったケニアのおばあちゃんが教えてくれること

水上賢治映画ライター
「GOGO(ゴゴ) 94歳の小学生」より

コロナ禍で学校の存在の大きさに気づいた1年 

 今だ終わりが見えないコロナ禍で、日本ではまずはじめに学校が一斉休校となった。急な対応を迫られた親はもとより、我慢を強いられ学習機会を奪われた子どもたちも改めて「学校」の存在の大きさと学ぶことの大切さに気づいたのではないだろうか?

 フランスのパスカル・プリッソン監督が手掛けた新作ドキュメンタリー映画「GOGO(ゴゴ) 94歳の小学生」もまた学校という学びの場の大切さを実感させてくれる1本。遠く離れたアフリカのケニアのエピソードではあるが、日本にも多くの気づきを与えてくれるといっていい。

「世界の果ての通学路」は教育ツールになってくれたことが一番うれしかった

 パスカル・プリッソン監督は全世界で大反響を呼んだ「世界の果ての通学路」に続いて、再び学校というテーマと向き合った。まずは僻地から数時間かけて学校へと通う子どもたちに密着した「世界の果ての通学路」の反響をこう振り返る。

「正直なことを言うと、これほど反響を呼ぶとは思いませんでした。フランスで2013年のドキュメンタリー映画の興行成績1位になるのですが、実は、公開初日はほとんど人が集まりませんでした。それが2日目から一転して。100人単位で劇場に人々が押し寄せることになりました。そして最終的には世界40カ国で公開され、うれしいことにいろいろな学校でも上映されるまでにもなりました。ほんとうにここまで広がることをは想像していませんでした。

 『世界の果ての通学路』に出演した4人の子どもたちですが、実はいまも私はつながりを持っています。その後も私は教育のサポートを続け、今では大学に行くまでに成長しています。このことこそが『世界の果ての通学路』の本当の意味での成功といっていいかもしれません」

 寄れられた1番うれしかった声をこう語る。

「声というよりかは、さきほど言ったようにフランスでは一気に反響が高まって、一つの映画館にティーンエイジャーが300人きてくれたり、500校くらいの先生から学校に来て映画について話をして欲しいという要望がきたんですね。この映画がいい意味での教育ツールになってくれた。このことが一番うれしかったです

パスカル・プリッソン監督(右)と、世界最高齢の小学生になった「ゴゴ」ことプリシラ・ステナイ(左)
パスカル・プリッソン監督(右)と、世界最高齢の小学生になった「ゴゴ」ことプリシラ・ステナイ(左)

94歳の小学生との出会い

 新作「GOGO(ゴゴ) 94歳の小学生」は、3のども、22の孫、52のひ孫に恵まれ、ケニアの小さな村で助産師として暮らしてきたプリシラ・ステナイ。皆から 「ゴゴ(※カレンジン語でおばあちゃんの意味)」の愛称で呼ばれる彼女は、ある時、本来ならば小学校にいく年齢のひ孫の娘たちが学校に通っていないことに気づく。自らは教育を受ける機会がなく、学校の切さを人一倍感じていた彼女は、94歳にして小学校に入学することを決意する。

 作品は、80歳以上年齢の違う年下のクラスメートたちと同じように寄宿舎で寝起きし、制服を着て授業を受けるゴゴの毎日を記録。同時に、彼女が子どもたちのために学校の寄宿舎の増設するために奔走する日々をみつめる。

 監督ははじめにゴゴとの出会いをこう明かす。

「ケニアでは長く時間を過ごしているから、現地にいろいろと知人がいて、ナイロビの友が、世界で最も齢の学であるゴゴについて書かれた地元紙の記事を読んで、私に教えてくれたのです。

 それで、すぐにゴゴに会いにケニアへきました。直接会ってすぐに彼女を撮影したいと思ってその旨を伝えました」

「GOGO(ゴゴ) 94歳の小学生」より
「GOGO(ゴゴ) 94歳の小学生」より

 ゴゴはすぐに了承してくれたのだろうか?

「彼は映画がどのようなものか知りませんでした。でも、この作品が本となりほかの少たちの就学を奨励するものになるのであればということで、了承してくれました。

ゴゴにはすべての親が娘たちを学校にかせるような意識に変化することを望んでいたのです。

 ケニアでは10代で妊娠や結婚をしてしまい、学校に通えなくなってしまう子どもたちがたくさんいます。ゴゴが寄宿舎の増設のために闘ったのはこういった背景も関係しています」

 94歳で小学校へ入学することを宣言したゴゴを、家族や孫たちはどう受けとめていたのだろうか?

「最初、ゴゴがなんで小学校に通いたがるのか、家族は理解できませんでした。『小学校に行くより、もう歳なんだから老人ホームに行った方がいいんじゃない?』とか、『学ぶには遅すぎるとか』とか、いろいろなことをゴゴは言われました。

 最終的にゴゴが通うことになる小学校のサミー校長にも入学を3度断られています。

 ただ、最後はゴゴの熱意に押されて校長も受け入れた。

 反対していた子どもたちも、ゴゴが学校に通うようになって誇りに思うようになっていたように私の目には映りました」

世界を見ると学ぶ機会のなかった女性に門を開く学校がふえているように思う

 ゴゴは単に学校に通い学ぶだけではなく、周囲の女性たちに教育の重要性を訴える。彼女のような考えをもつ女性はほかにもいるのだろうか?

「おそらく彼女のように問題意識をもって行動に移している女性はそう多くはないでしょう。

 ただ、実は、インドのボンベイにも同じような学校があります。その学校は若い生徒で65歳。65歳~90歳までの40人の生徒が通う学校があります。彼女たちは、ゴゴと同じく若いころに教育の機会がなかった人たちです。

 私の知りえたところでは、学ぶ機会のなかった高齢者の女性に門を開く学校がふえているように思います。でも、まだまだ遅れている国はあります。みなさんご存知だと思うので名前は出しませんが、宗教的な理由であったり、女性の地位の問題で学校に行けない女性がたくさんいる地域もあります。

 ケニアに関しても、都市部と地方ではずいぶん差があります。ゴゴが住んでいるのは、トウモロコシ畑と牛と野菜畑があるくらいの非常に貧しい地域です。学校からは約一時間かかります。ゴゴは学校の寄宿舎に3ヶ月泊まって、一度自宅に戻るといった感じで学校生活を送っています」

「GOGO(ゴゴ) 94歳の小学生」より
「GOGO(ゴゴ) 94歳の小学生」より

ゴゴが通う学校が公立ではなく、私立であるケニアの教育事情

 ゴゴが通うことになる小学校は私立になる。ここにはケニアのこんな事情があると言う。

「先進国の感覚だとなかなかわからないと思うのですが、ケニアでは私立の方が学費が安いんです。ゴゴが通う学校では年間約200ユーロくらい。

 公立の場合だと予算がなくて教師に十分お給料が払えなかったり、子どもたちが給食を食べられなかったりと、さまざまな問題を抱えています。それで、私立の学校が少しずつ増えているそうです」

世界中の学校を巡って感じたこと

 「世界の果ての通学路」と今回と決して恵まれているとはいえない国々の学校を見つめたが、監督自身は「学校」についてどんなことを感じたのだろうか?

「世界中を旅して気づいたことは、学校はその国の文化、経済、伝統、政治と密接に結びついているということです。

 豊かな国と貧しい国で、学校や教育制度を比較することは難しいと思います。

 ただ、今まで訪れた学校で気づいたことは『学習意欲』の差かもしれません。豊かな国と貧しい国では、そこに確かに違いがある。貧しい国の子どもたちは、学校が社会のエレベーターであり、貧困から脱出する手段であるということを認識しています。豊かな国よりも開発途上国の子どもの方が、(学校にいくことが)将来の可能性がはるかに広がることを知っているのです。このような認識があるから、子どもたちは学校を好きになれる気がします。彼らは学校が自分たちの未来を拓く唯一のチャンスであることを知っているのです。

 対して、豊かな国や先進国では、学校に行くことが当たり前になってしまっていて、学校の重要性を認識していない子供もいるでしょう。学校に行くことは特別なことではない。だから当然のことと思っている気がします」

日本では学校に行くことがごく当たり前になってしまい、それがどれほど素晴らしいことか気づけずにいるのではないでしょうか

 世界の学校をめぐっている監督らしく、ケニアと日本の学校の違いについてもこう語る。

「日本は私が大好きな国です。日本の社会、日本料理、映画、文化、繊細さ、そして生き方が大好きです。個人主義的な傾向が強まっている今の日本の社会と、社交的で家族社会に根付いたアフリカの社会の間には、大きな相違があります。

 アフリカの子どもたちは学校が好きです。アフリカの学校では、何でも自由に表現することができ、授業は参加型です。子どもたちは家庭よりも学校生活を好みます。すべての授業で、大声が飛び交います。先生方は生徒をとても気にかけていて、大変気さくです。生徒の多くが授業に参加し、彼らは各自思いのままに自己表現することができます。子どもたちの個性を伸ばすことや人格形成は非常に重要です。

「GOGO(ゴゴ) 94歳の小学生」より
「GOGO(ゴゴ) 94歳の小学生」より

 一方、日本では、子どもたちは学校で輝いていないように思われます学校では規律と団体行動の統一性が重んじられているようで、子どもたちの『表現の自由』や個性の開発が充分に許されていないように映ります。学校では子どもたちは孤立していて、ひとりで物事に対処しようとしているようです。過保護なため充分な自立ができず、ひとりで責任ある行動を取る機会が奪われているように思われます。

 さきほどの話につながるのですが、ケニア人と日本人の児童では、『学習意欲』と教育に対する認識に大きな差異があると思います。学校教育が自分の将来に何をもたらしてくれるのかという認識です。ケニアでは、子どもたちは幼いうちから競争社会に参加します。就学には大変お金がかかる上に、クラスでトップレベルでないと、中学や大学まで進む奨学金を得ることができません。

 一方で、日本では、モチベーションがそれほど高くないように見受けられます。恐らく、学校に行くことがごく当たり前になってしまい、それがどれほど素晴らしいことか気づけずにいるのではないでしょうか。改めて教育を見つめ直して、子どもの学習意欲がどうすれば高まるのかといったことや、学校に行くことは『当たり前』以上のことで、知識の体得は大きなチャンスであることを知ってもらう方法を見つけるべきだと思います。そして、学校では、団体の中にあっても個々の違いを尊重し、個性を伸ばし、ひとり一人の人格を開花させられるような対策が必要ではないかと思います」

 その上で、理想の学校をこう語る。

理想的な学校とは、おそらく子どもたち一人一人が、それぞれの方法で、それぞれのペースで、個性に応じて能力を開花させることができる学校ではないでしょうか。これは私の経験に基づいた提案ですが、週一度一日、何をどのように勉強するのか、子供たち自身に選択させるというのはいかがでしょうか」

監督自身は優等生?劣等生?

 最後に監督自身は学校が好きだったか、優等生だったか、劣等生だったきくと、こんな答えが返ってきた。

「実のところ私は学校が好きではありませんでした。良い生徒でもなくて、15歳で辞めてしまって、その後、軍隊に行ったり、山に行ったりして撮影の手法を学んで、今に至ります。なので、今、学校に関する映画を撮っているというのは、おそらく私が教育を受けなかったことへの裏がえしなんじゃないかという気がしています(苦笑)」

「GOGO(ゴゴ) 94歳の小学生」より
「GOGO(ゴゴ) 94歳の小学生」より

「GOGO(ゴゴ) 94歳の小学生」

監督:パスカル・プリッソン

シネスイッチ銀座ほか全国順次公開中

写真はすべて(C) Ladybirds Cinema

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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