サウジとイランの対立激化がシリア紛争に与える影響
サウジアラビアがシーア派の宗教家ニムル・ニムル師をはじめとする「テロリスト死刑囚」およそ50人余りの死刑を執行したことを契機に、同国とイランとの対立が激化した。この両国はシリアやイエメンのような中東地域の紛争に当事者として深く関与しているため、両国の対立が激化すれば諸般の紛争を交渉を通じて政治的に解決する見通しが遠のくことが危惧された。さらに、紛争が激化した間隙をついて「イスラーム国」が勢力を伸ばすことへの懸念も生じている。サウジアラビアとイランとの対立は、シリア紛争にどのような影響を与えるだろうか。
2003年のアメリカ軍によるイラク侵攻で同国のフセイン政権が放逐されたころから、「シーア派(=イラン)が影響力を拡大し、イラク、シリア、レバノンにまたがる“シーア派三日月地帯”を形成する」との分析や懸念が広く出回るようになった。さらに、2011年以降のアラブ諸国での政治的混乱がシリア、イラク、イエメンで大規模な紛争へと拡大すると、その各々の国でサウジアラビアが「スンナ派」を、イランが「シーア派“系”」を支援し、宗派的動機に基づく代理戦争を繰り広げているとの見解をとる政治家や報道機関が多数みられた。しかし、このような理解は必ずしも実態に即したものではない。
シリアを例にとれば、シリアの政治や社会について多少観察すれば、政治・社会動向の全てを宗派という要素によって解説すればよいわけでないことが明らかになる。1970年以来シリアを統治するアサド政権は、アラブ民族主義と社会主義を党是とするバアス党を与党とする体制である。それ故、政権の頂点に立つハーフィズ・アサド、バッシャール・アサド父子や政権の高官の多くが宗派的にはアラウィー派に属していても、アサド政権の内政・外交政策や権益の配分は、アラウィー派という宗派の教義を具現化したり、宗派共同体の利益を反映させたりするためのものではない。アサド政権の非民主的な統治は、「アラウィー派による権力・利権の独占」ではなく、「アサド大統領とその近親者による権力・利権の独占」なのである。従って、アラウィー派の者の中にはアサド大統領と敵対したり関係が疎遠だったりした結果権力や利権から排除された者も多いし、スンナ派やキリスト教徒などの非アラウィー派の者でも、アサド大統領との関係が良好ならば政治・経済分野で様々な恩恵に浴することができる。
アサド政権とイランとの関係も、宗派的な親和性によって説明すべきものではない。なぜなら、アラウィー派という宗派は、イランの体制が信奉する十二イマーム派と呼ばれるシーア派とは全くの別物だからである。シーア派の高位の宗教指導者がアラウィー派をシーア派の一種と認定したのは1973年のことであり、それ以前、或は現在でもアラウィー派をそもそもムスリムとみなさない見解は根強い。従って、この両者は宗派が同じだから結びついているのではない。両者を結びつける理由は、イスラエルやアメリカとの対立・競合の中で統治体制を守り、そのために必要な安全保障環境や地域の秩序を醸成するための同盟者だからである。同様のことは、サウジアラビアにも当てはまる。確かにサウジアラビアの王家は「二聖都の守護者」を自称し、スンナ派の盟主を自任するが、それはサウード家の王制を守ったり、国外に影響力を及ぼしたりすることを正当化するためである。要するに、サウジアラビアもイランも、どこか遠くにいる「同じ宗派の仲間」に肩入れすることが自国の体制の安全を脅かす結果になる場合は、そのようなことからは早々に手を引くということである。サウジアラビアやイランの振る舞いは、「自国の安全を守るため、なるべく自国の影響力を強化したい」という国家の行為としては普遍的な動機に基づくものと考えるべきで、信仰心や宗派的共感に基づく特殊な行為ではない。そして、宗派という要素は、両国が自らを正当化し、その政策や振る舞いへの支持を獲得するための大義名分として利用しているものと考えた方がよいだろう。
対立はシリア紛争に影響を与えるか
サウジアラビアとイランとの対立激化により、国連安保理決議2254号などに代表されるシリア紛争の政治解決のための努力に悪影響が出ることは確かだろう。しかし、サウジアラビアとイランはシリア紛争の勃発・深刻化の原因と、その解決策についての見解を著しく異にしており、両国が話し合いを通じて「適当な落としどころ」を見出す可能性は、今般の対立激化の有無にかかわらずもともと高くはない。サウジアラビア、トルコ、欧米諸国は、アサド政権の統治や反体制派への弾圧が紛争の原因であり、アサド政権の打倒こそが紛争解決の第一歩と考える。これに対し、アサド政権、イラン、ロシアは、イスラーム過激派の流入をはじめとする外部からの干渉が紛争の原因であり、アサド政権の強化を通じて干渉を排除する(=テロリストを討伐する)ことが紛争解決の第一歩と考える。ロシアによる本格的な軍事介入や、欧米諸国が「イスラーム国」対策優先へと立場を変えつつある中でも、サウジアラビアやイランは敵方に最大限軍事的打撃を与えた後で「話し合いによって自らに最も好都合の条件を押し付ける」との方針でシリア紛争に関与してきた。
そこで、サウジアラビアとイランとの対立が昂じたことにより、1月下旬に予定されているシリア政府と反体制派との交渉が遅れたり頓挫したりしたとしても、シリア紛争の推移そのものにはそれほど大きな影響は出ないのである。現在、現場での紛争はロシアの介入の効果や、サウジアラビアなどが支援する武装勢力がイスラーム過激派として危険視されるようになったこともあり、アサド政権が徐々に失地を回復しつつある。シリア紛争の政治的解決の努力が滞るほど、「適当な落としどころ」はアサド政権、イラン、ロシアの主張に近づくことになるだろう。
見逃してはならないこと
ここで見逃してはならないのは、サウジアラビアが死刑を執行したおよそ50名は、その多くが幹部を含むアル=カーイダの者、つまりスンナ派の者だったということである。つまり、死刑制度やその執行の時期や手法に問題があるとしても、サウジアラビアがここで刑を執行したのは同国の制度の運用や為政者の都合によるのである。このため、アル=カーイダ諸派は刑の執行に反発し、サウジアラビアに対する報復を公言する団体もある。シリア紛争においてサウジアラビアの支援対象の一つである「ヌスラ戦線」は、実はシリアにおけるアル=カーイダであり、死刑執行を受けて両者の関係が悪化しているとの説もある。また、「イスラーム国」(宗派的には当然スンナ派)は昨年末以来、サウード家の正統性を激しく非難する広報キャンペーンを展開しており、サウジアラビアにとってはイスラーム過激派が自らの安全に及ぼす脅威が着実に増している状況である。死刑の執行がイランとの対立を激化させる契機の一つになったとはいえ、刑の執行の意義や影響を「宗派対立」だけに矮小化することはできない。
もう一つ指摘したい点は、「シーア派が勢力を伸ばしてスンナ派の領域を侵食しているため、これをあらゆる手段で撃退すべき」との発想はイスラーム過激派、中でも「イスラーム国」の発想そのものだということである。サウジアラビアのような中東地域における有力国の行動を、「イスラーム国」と同一の発想に基づくものであるかのようにみなすのは、いかがなものであろうか。今般の対立について、サウジアラビアがイランとの外交関係の断絶を宣言した際の第一報の多くがこれに「宗派対立の激化」とのコメントを付したことこそ、実は懸念すべきことである。本質的には国家間の影響力の拡大競争であるサウジアラビアとイランとの競合関係を、「シーア派とスンナ派との宗派紛争」の結果と安直に解釈することは、事実関係や紛争・対立の原因と構図を冷静に分析・解説すべき専門家や報道機関の反応として望ましいものだろうか。