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最下位が多い球団、少ない球団。各球団最後の最下位はいつ!?

宇根夏樹ベースボール・ライター
近鉄バファローズ 1977(写真:岡沢克郎/アフロ)

 セ・リーグもパ・リーグも、2年続けて同じ球団が最下位に位置している。今シーズンもそのままだと、東京ヤクルトスワローズは連続最下位の球団記録を塗り替え、オリックス・バファローズは球団最長の3年連続(2002~04年)に並ぶ。

 もっとも、そうなったとしても(そうなりそうだと言っているわけではない)、横浜DeNAベイスターズが大洋松竹ロビンス/大洋ホエールズ時代に記録した6年連続最下位(1954~59年)と比べれば、ストリークはまだ半分に過ぎない。横浜DeNAは最下位の回数も最も多く、24度を数える。21世紀に入ってからは10度。2001~20年の20シーズン中、最下位と最下位以外が半分ずつだ。

 一方、読売ジャイアンツの最下位は、1975年の1度きり。前年に日本シリーズ連覇が9で途切れ、川上哲治に代わって長嶋茂雄が監督に就任した年だ。読売だけでなく中日ドラゴンズも、2年続けて最下位に沈んだことは一度もない。

筆者作成
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 パ・リーグでは、2005年にスタートした東北楽天ゴールデンイーグルスを除くと、埼玉西武ライオンズの6度が最も少ない。こちらの最下位は、すべて1970年代だ。西鉄ライオンズ時代の最後(1970~72年)に3年続けて最下位に終わり、太平洋クラブ・ライオンズ時代の1976年とクラウンライター・ライオンズ時代の1977年に2年連続。最後に最下位となった1979年は、西武ライオンズとしての最初のシーズンだった。ちなみに、1976年は前期も後期も最下位だが、1977年と1979年は前期が最下位(6位)、後期はワースト2位(5位)。前期と後期を合算した勝率が最も低かったので、その年の最下位とした。

 1975年の日本ハムファイターズは、前期が4位、後期は4位タイだが、トータルの勝率は6位だ。この年を最下位と看做さなければ、北海道日本ハムファイターズの連続最下位も皆無となる(1974年は前期も後期も6位)。

 オリックスの最下位は、21世紀に入って急激に増えた。1950年から2000年までは、阪急ブレーブス時代の1963年しか最下位はなかった。一方、オリックスと同じく最下位10度の福岡ソフトバンクホークスは対照的。1950~2000年が9度、2001年以降は1度だ。

筆者作成
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 なお、最下位のパ・リーグ最多は、この2球団ではない。大阪近鉄バファローズの19度が最も多い。連続最下位も、1958年から1962年にかけての5年連続がパ・リーグ最長だ。1958~67年の10年間に最下位を逃れたのは、4位の1963年だけだった。この間に球団名は、近鉄パールス→近鉄バファロー→近鉄バファローズと変遷した。

 最下位の翌年にリーグ優勝、あるいはクライマックス・シリーズ進出の球団については、こちらで書いた。

オリックスと東京ヤクルトの初夢!?「最下位の翌年にリーグ優勝」でなくても「最下位→CS進出」なら…

ベースボール・ライター

うねなつき/Natsuki Une。1968年生まれ。三重県出身。MLB(メジャーリーグ・ベースボール)専門誌『スラッガー』元編集長。現在はフリーランスのライター。著書『MLB人類学――名言・迷言・妄言集』(彩流社)。

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