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大野拓弥騎手はなぜ中堅となった今、海を越えて挑戦しているのか?

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
フランスで調教騎乗する大野拓弥騎手

長いフライトの末、フランス入り

 「海外で乗ってみたいんですけど?」

 騎手・大野拓弥から最初にそう声をかけられたのは1年近く前だった。

 相談した結果「イギリスへ行きたい」との話だったので、当方が知っている現地の調教師や関係者に連絡をとった。しかし、世界はコロナ禍の真っ只中。渡航は制限され、当然、遠征もままならなかった。その後、コロナ騒動がいくらか収まってくると、イギリスよりフランスの方が入国しやすい状況になった。そこで行く先を変更。受け入れてくれる調教師やエージェントも手配出来た事で、6月7日の午後、ついにパリ・シャルルドゴール空港に降り立った。

 「長かったです」

 戦争の影響でロシア上空を飛べないため直行便でも15時間近いフライトに、多少疲れた表情でそう語った。

7日、フランスのシャルルドゴール空港に降り立った大野騎手
7日、フランスのシャルルドゴール空港に降り立った大野騎手

GⅠを勝ち、650勝を突破

 1986年9月8日生まれで現在35歳。4人きょうだいの次男として埼玉で生まれ育った。競馬好きの父に連れられて乗馬を始めたのが小学6年生の時。「すぐに夢中になり、中学を卒業するまで続けた」。

 そんなお陰もあり中学卒業と同時に競馬学校に入学。2005年に卒業すると、美浦・杉浦宏昭厩舎から騎手デビューを果たした。

 2年目の06年、彼にとって転轍機となる出来事があった。9月3日に行われた新潟2歳S(GⅢ)でマイネルーチェに騎乗すると、11番人気ながらハナ差2着。どんな取り上げられ方をされているだろう?と翌朝の新聞を楽しみに、競馬面を開いた。すると、思いもしない紙面が飛び込んで来た。

 「同じ日に行われた小倉2歳Sを同期の鮫島良太が勝っていて、記事はその事ばかりが書かれていました」

 どれだけ善戦しても勝たなければ意味がない。

 そう痛感した。

 11年にコスモファントムで中日新聞杯(GⅢ)を勝利し、念願の重賞初制覇を飾ると、これ以降は毎年のように重賞を勝つ。14年には新潟競馬場で行われたスプリンターズS(GⅠ)をスノードラゴンで優勝し、GⅠ初制覇。2年後の16年にはサウンドトゥルーでチャンピオンズC(GⅠ)を勝利し、自身2度目のGⅠ勝ち。この4月にはタイムトゥヘヴンでダービー卿CT(GⅢ)を1着。これが記念すべきJRA重賞10勝目。JRAの通算勝利数も650を超えた。

この4月にダービー卿CT(GⅢ)を勝ち、笑みを見せる大野と、騎乗していたタイムトゥヘヴン
この4月にダービー卿CT(GⅢ)を勝ち、笑みを見せる大野と、騎乗していたタイムトゥヘヴン

なぜこの年齢で遠征したのか?

 これだけの実績を残した後、自身初めてとなるヨーロッパへの武者修行。このためにパスポートを取り直したジョッキーは、馬の街で知られるシャンティイ入りした2日目の朝、訪ねた先のマチュー・ブータン調教師に聞かれた。

 「何故、この年齢になって遠征したのですか?」

 それに対し、普段、物静かな男は旗幟鮮明に答えた。

 「まだまだ経験を積みたいからです」

 実際、この日だけで、これまで18年の騎手生活で味わった事のない経験をした。

 「自然に囲まれた広大な調教場で乗ったのは初めてです。新鮮な気持ちになったし、早くも『来て良かった』と感じました」

到着から一夜明けて早くも調教に騎乗した大野と、騎乗馬を用意してくれた小林調教師
到着から一夜明けて早くも調教に騎乗した大野と、騎乗馬を用意してくれた小林調教師

 初日から雨に見舞われたが、まずは現地で開業する日本人調教師の小林智に騎乗馬を用意していただき、跨った。調教を行なったクワラフォレというコースは、シャンティイの数ある調教場の中では決して大きなコースではない。しかし、普段、騎乗しているトレセンをモノサシにした彼の口からは「広大」という言葉が漏れた。これこそが彼の求めていた“新たな経験”だ。翌2日目には直線4000メートルのコースや森林の中のコース等、新たな調教場も経験した。おそらく彼はこの後、もっと大きなコースでも調教をするだろう。その度に経験値がアップしていくという事だ。人間、何歳になっても“遅く”はない。彼の今回の行動に立ち会い、誰もが“現在が1番若いのだ”と改めて感じた。

森林の中での調教にも跨った大野
森林の中での調教にも跨った大野

本人のやる気が助けてくれる人達を呼んだ

 先出のブータンや小林の他に、エージェントとしてはダヴィ・ボニヤに手伝ってもらう事にした。騎手時代に来日経験のある彼は、今回の話を持ち掛けると「勉強しようという意思のある日本のジョッキーのためなら」と二つ返事で快諾。その後も「彼の情報を送ってください」「いつ到着しますか?」「最初は宿泊先まで迎えに行くので、一緒に厩舎まで行くように伝えてください」と積極的なサポート態勢を見せてくれている。

 また、小林同様に現地で開業する調教師の清水裕夫も早速、食事に誘ってくれ、まずは調教で騎乗する馬を確約してくれた。前向きな男には、自然と周囲も手を差し伸べてくれるのだ。

騎手時代に来日経験もあるD・ボニヤにエージェントになってもらった
騎手時代に来日経験もあるD・ボニヤにエージェントになってもらった

ついに、レース騎乗を得られそう

 「左ハンドルで右側通行の運転をするのも初めて」と、文字通り右も左も分からない現状を口にした後、更に続けた。

 「言葉も難しくて、何を言っているのか分かりません」

「左ハンドルで右側通行の車線を運転するのも初めて」と語る大野
「左ハンドルで右側通行の車線を運転するのも初めて」と語る大野

 言葉に関しては海外遠征の相談を持ち掛けられた時点で真っ先に勉強するように勧めた。すると、すぐに取り組んだようで、チラッチラッと単語を口にする場面もあった。とはいえ1年弱でマスター出来るほど語学が甘くないのは誰もが知るところ。まずは最初の難関として立ちはだかる壁に唇を噛んだ。そんな大野だが、それによって悲壮感を漂わすような事は1ミリもなかった。ブータンに来仏理由を聞かれた際「経験を積みたい」と答えたが、その後、2人きりになると続きを話した。

 「騎手としての経験は勿論ですけど、人としての経験を積みたいんです」

 だから騎手のスキルとは、決して太いパイプでつながっていない馬体の手入れや装脱鞍まで自らの手で行うと言った。

 「初心に返れて良かったです」

外した鞍を自ら運ぶ大野
外した鞍を自ら運ぶ大野

 更に「今は楽しみしかありません」と語る中堅ジョッキーは8月いっぱいまでフランスに身を置く予定でいる。どうやら騎乗機会を得られる話こそ出たものの、勝てるかは分からないし、それどころか今後も安定して乗れる保証は何一つない。それでも9月に帰国した際には、人としてひと回り大きくなっているのは間違いないだろう。1人フランス入りした彼を見て、そう確信した。

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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