立憲民主党は「野党業」と「野党病」に取り付かれていないか
今年は12年に一度の亥年である。1947年以来、亥年には4年に一度の統一地方選挙と3年に一度の参議院選挙が同じ年に行われ、自民党が参議院選挙に苦戦すると言われている。
春に行われる統一地方選挙に地方の政治家は全力を傾け、夏の参議院選挙で応援運動にかけるエネルギーが減るからだと説明される。それがその通りかどうか私は疑問を抱いているが、ただ直近の亥年が2007年であることから、安倍総理は意識したくなくとも亥年を意識せざるを得ないと思う。
安倍総理は2007年の参議院選挙で小沢一郎代表が率いる民主党に惨敗し、ぶざまな退陣に追い込まれ、続く2009年の衆議院選挙で自民党はついに選挙で野党に転落する。従って今年の安倍総理は万全の構えで選挙に臨もうと考えているはずだ。
亥年の参議院選挙を振り返れば、祖父の岸信介が総理時代の1959年に参議院選挙があった。当時は日米安保改定交渉が山場を迎えていたが、選挙結果は社会党が3分の1の議席を確保する一方、自民党は安定多数を制し、決して苦戦したわけではなかった。安倍総理の胸中には願わくば祖父の例に倣い、日ロ平和条約交渉を利用して選挙に勝利したい気持ちがあるのではないか。
一方で真似をしたくないのが1971年の佐藤栄作の参議院選挙である。佐藤は自民党総裁4戦を果たし、沖縄返還交渉に道筋をつけ、大阪万博を成功させて選挙に臨み、自民党勝利は確実と見られたが、自民党の得票率は最低、議席数も低めの伸びで苦戦を強いられた。長期政権に対する「飽き」が原因だと言われた。
外交交渉に活路を見出し祖父岸信介の例と同じになるか、それとも叔父佐藤栄作と同様に長期政権に対する「飽き」が選挙を左右するか、今年の国内政治は「選挙」に尽きることになる。
その統一地方選挙と参議院選挙の行方を占うと位置付けられたのが27日投開票の山梨県知事選挙であった。結果は、自公推薦候補が3万1千票余りの大差で立民、国民推薦の現職を破った。
2期目の現職知事が失政もないのに敗れるというのは珍しいが、前回の選挙が与野党相乗りだったのに対し、今回は自民党が相乗りをやめて真っ向から野党に勝負を挑んだ。
しかも山梨は郵政選挙以来、「刺客」となった長崎幸太郎氏と堀内詔子氏が全面対決してきた与党分裂の選挙区である。政治家の対立というのは同じ主義主張を持つ者同士が最も激しい。同じ支持層を食い合うことになるからだ。
だから中選挙区制時代の自民党議員の最大の敵は同じ選挙区の自民党議員で、秘書はおろか家族や支持者の間でも敵意をむき出しにした足の引っ張り合いが行われた。その反面、支持層が競合しない野党議員とは対立する必要がない。国会がテレビ中継されている時はやり合うが、それ以外の時の与野党議員は仲良しであった。
政治家の生死を決める選挙の怨念は簡単に消えるものではない。従って自民党が本当に結束できるのか、その一点を私は注目していた。上から指示が降りてきても従わない自民党員が出てくるのではないか。中には野党推薦候補に投票する造反もあるのではないか。
従って選挙は接戦になるだろうと私は予想した。ところが新人の長崎幸太郎氏198.047票、現職の後藤斎氏166.666票で3万1千票余りの差がついた。私の予想を超える差である。私の予想は外れて与党は見事に結束したのである。これまでの恩讐を超えて結束させた自民党執行部の懐の深さを私は感じた。
敗れた野党陣営では立憲民主党の長妻昭選対委員長が「惜敗の結果に心からお詫び申し上げる」と語ったが、これが惜敗か? 私には結束できた与党と結束できなかった野党の差が3万1千票余りに現れたと思った。
通常国会開会を前に1月24日に国民民主党と自由党が統一会派を組むことが明らかになると、立憲民主党の福山幹事長は直ちに社民党の又市党首に参議院での会派入りを要請した。これがメディアでは「第一会派になろうとする立憲民主党と国民民主党のつばぜり合い」と報じられ、野党のバラバラ感が国民に印象づけられた。
自由党の小沢代表は以前から野党勢力の大同団結を呼びかけている。「安倍政権を終わらせる」という1点で共通するなら、主義や政策を横に置いて選挙で1つの塊になるべきだというのである。これが私は理解できるのだが、多くの国民は理解できないらしい。すぐ「野合」とか「数合わせ」とか「政策が大事」という批判になる。
長年取材をしてきた私はNHKの主張する「公平、中立、客観報道」などこの世に存在しないと思っている。それはあまねく国民から受信料を聴取するための方便である。同じように正しい政策とか正しい主義というのもこの世には存在しない。人々は何が正しいのかを求めて模索を繰り返す。それが民主主義の世の中だと思う。
もし正しい政策や主義があるならそれを貫徹する政治を行えば良い。それは独裁的権力者が最も優秀な連中に考えさせ、最大多数の最大幸福を実現する体制である。それで国民すべてが満足できるなら独裁政治が最も優れた政治体制ということになる。
しかし人々が民主主義を求めるのは自分の要求を実現したいからである。それが全人類にとって正義かどうかは分からない。しかし要求する価値はある。そして実現してみる価値もある。その結果不都合が起これば要求を引っ込めて異なる要求を実現させればよい。
そうやって堂々巡りをするのが民主主義の歴史ではないか。選挙公約を国民の過半数が支持したからと言ってそれが正しい政策であるとは限らない。だから議会で修正すべきところがないかを丹念に調べる。
ところが日本の与野党は自分たちの政策が正しいと言って譲らない。その結果、野党は物理的抵抗を、与党は強行採決に走ることになる。それは政策というより一種の選挙戦術であり、政策とは全く関係がない。より良き政策を求めるなら修正協議に重きを置くべきである。
日本では「55年体制」以来、特殊な野党像が国民の意識に刷り込まれた。当時の野党第一党社会党は政権を奪う気がまるでなく、その証拠に1957年の総選挙の後、過半数を超える候補者を一度も選挙に擁立していない。全員が当選しても自民党政権は崩壊しない。
しかし野党でないのに野党と思わせなければ存在理由はない。だからNHKが国会中継をする時に、政府を激しく追い詰めるパフォーマンスを見せる必要があった。当時の自民党はそれを計算のうちに入れ、社会党に見せ場を作らせ、水面下では手を握り合っていた。しかし国民には激しく政府を追及するのが野党だと思われた。
私は水面下の国対政治を見ながら、政権を取らない野党の商売はもっとも楽だと思った。与党には政権運営の責任があり、国内からも海外からも批判と挑戦に晒される。しかし野党には責任がない。学者やジャーナリストと同じように言いたいことを言えば、税金から歳費が出る。これを私は「野党業」と呼んだ。
その楽な商売になれていくと、本気で政権交代など面倒なことをしたくなくなる。与党が最も力を入れるのは政権交代させないように野党を分断しておくことである。選挙区事情を見ながら対立候補を出すぞと野党議員に脅しをかけ、野党結集に抵抗させることもある。
自民党に入党させて必ず当選させると口説き、野党結集を妨害するよう仕向けることもある。それだけでなく金がなければ資金提供を持ちかけることもある。こうなってしまったらもう「野党病」と言う不治の病である。
立憲民主党は主義主張や政策の違いを理由に野党結集にブレーキをかけ、一方で数を増やして主導権を確立したいと思わせる行動をとっている。それを見ると本当にこの政党が政権交代を目指しているのか疑ってしまう。
山梨県知事選挙結果で怨念を解消し結束に成功した自民党を見る時、立憲民主党は自分の立ち位置を改めて考え直すべきではないか。