恐怖のひと時、ツァボの人食いライオン
野生動物が人間を襲撃する事件はしばしば起こっており、時として動物の犠牲になる人間もいます。
その中でもツァボの人食いライオンが起こした襲撃事件では、多くの人が犠牲になったのです。
この記事では青年将校と死闘を繰り広げたツァボの人食いライオンについて紹介していきます。
恐怖のひと時
ツァボでの恐怖は再び頂点に達していました。
しばらくの間パターソンと彼の労働者たちはライオンの襲撃を免れていたものの、彼らに対する恐怖はまだ完全には消えていなかったのです。
この猟奇的な捕食者たちに対抗するため、パターソンは「おとり」を使った罠を考案し、材料として枕木、トロッコのレール、電線の切れ端、重い鎖などを使用して頑丈な構造物を作り上げました。
この罠は二部屋に分かれており、おとりとなる人間を入れる部屋と、ライオンを閉じ込める部屋が鉄格子で隔てられていたのです。
罠は完成したものの、最初の数日はライオンを捕えることができず、パターソン自身が眠れない夜を過ごしただけでした。
しかし、ツァボの労働者たちにも再び恐怖が忍び寄ってきたのです。
そしてある夜、ライオンは大胆にもボマ(囲い)の中に闖入し、労働者の一人を捕えて逃げ去りました。
ライオンは、テントからわずか30メートルの場所でその労働者を食べ始めたのです。
数発の銃弾が発砲されたものの、ライオンたちは動じることなく「食事」を続けました。
この事件後、昼夜問わず追跡を試みたものの、ライオンたちは彼をあざ笑うかのように毎晩のようにキャンプを襲撃し、犠牲者を出し続けました。
パターソンは無力感に打ちひしがれ、ライオンたちは不死身で悪魔のような存在だとさえ思うようになったのです。
労働者たちはパターソンに助けを求め、病人が一人置き去りにされたことが判明した時、パターソンは救出に向かったものの、病人はすでに亡くなっていたのです。
以前は1頭が襲撃しもう1頭が待機していたものの、今や二頭同時に襲撃するようになりました。
11月末、スワヒリ人の労働者2名がライオンに襲われました。
1人はその場で連れ去られ、もう1人はボマのイバラに引っかかったため一命を取り留めたが、重傷を負い病院に着く前に絶命したのです。
その数日後、ツァボ駅近くの大規模なキャンプが襲撃され、パターソンたちの耳にはその騒ぎがはっきりと届きました。
パターソンの仲間がライオンに発砲したものの、ライオンたちは「食事」を終えるまでその場を離れなかったのです。
翌朝、パターソンたちはライオンを追跡したものの、彼らが見つけたのは、労働者が引きずられた跡だけだったのです。
すでにライオンの姿はなく、労働者の死体を埋葬するしかありませんでした。
この一連の惨劇で、労働者たちはついに限界を迎えました。
12月1日、彼を待ち受けていたのは、作業を放棄した労働者たちの集団だったのです。
彼らは「近くにライオンがいるかもしれないのに一緒にいられるか!」と宣言し、ライオンの餌食になるつもりはないと主張しました。
そして、最初に通りかかった列車を止めてツァボを去り、鉄道工事は完全にストップしたのです。
その後、ツァボに残った労働者たちは、「ライオン対策」を施した小屋を作り、安全と思われる場所に避難することに専念しました。
貯水タンクの上や木の上、テント内の穴の中など、あらゆる場所が避難場所となったものの、ライオンの襲撃は続き、ツァボ全体に恐怖が支配する状況が続いていたのです。