『グラップラー刃牙』の花山薫は、トランプ52枚を指でつまんで引きちぎった。いったいどんな握力か?
こんにちは、空想科学研究所の柳田理科雄です。マンガやアニメ、特撮番組などを、空想科学の視点から、楽しく考察しています。さて、今日の研究レポートは……。
『グラップラー刃牙』の花山薫は、見るからに迫力のある面構えだが、もうアキレるほどに強い。19歳で、身長190.5cm、体重166kg! この巨体に加えて、驚異的な握力を武器に、ケンカ三昧に明け暮れてきた。
薫の握力を示すエピソードには、枚挙に暇がない。車のタイヤを引きちぎる! 酒の瓶をねじり切る! その握力は、幼いころから片鱗を現し、10歳の頃にドアノブを変形させ、雑誌を引き裂き、清涼飲料水の王冠を手で開けた! 15歳のときには、指でコインをグニャグニャに曲げ、トランプ52枚を引きちぎった! 「栴檀(せんだん)は双葉より芳し」とは、このヒトのためにあるような言葉ですなあ。
さまざまな驚愕エピソードのなかから、ここでは「トランプ52枚ちぎり」を考察してみよう。一見地味だが、花山薫の実力が凝縮された行為なのだ。
◆紙を破るのに必要な力は?
そのできごとは、こんな状況で起こった。
あるケンカで、薫はヘビー級のプロボクサーと戦うことになる。相手の親分が「勝負運を占ってやろう」と言って、薫にトランプ1組を差し出して1枚引くように促した。彼が若いゆえの見下した態度だ。薫は表情を変えることなく、親分が差し出したトランプを丸ごとつかむと、親分を蹴っ飛ばした。
そして、トランプを左手で握り直し、右手の親指と人差し指でつまんで引っ張ると、「ピッ」と音がして、重ねたすべてのトランプが指の形にえぐり抜かれたのである! つまり、トランプ52枚を一気にちぎり取った……!
作中のトランプは紙でできていたが、そもそも紙とは何か?
紙は、セルロースという植物繊維を糊で固めたものだ。セルロースは植物の強度の源で、木の小枝が同じ太さの草花の茎より頑丈なのは、セルロースの量が多いから。紙を破るには、セルロースの繊維を引きちぎらなければならない。
そこで、筆者は実験してみた。
もちろん筆者にトランプをえぐる握力はないので、使用したのは厚さ0.1mmのコピー用紙。それを角材に巻きつけ、イラストのようにバネばかりで引っ張ってみた。すると、紙の端が破れたのは、バネばかりが3.5kgを示した瞬間だった。
これには驚いた。端からビリビリ破いていくなら、一度に切断するセルロースの量が少ないから小さな力で済むが、実験のように一気に破るには、大きな力が必要ということだ。とはいえ、厚さ0.1mmの紙を破るのに3.5kgもの力が必要とは……。
すると、トランプ52枚をえぐり取った薫の力はどうなるのか? 紙のトランプ1組の厚さは2cm。これは、筆者が破った紙の200倍の厚さだ。ちぎり取った形と大きさが同じなら、薫は筆者の200倍のセルロースを引きちぎったことになり、すると薫の指の力は700kg。
途方もない話だ。花山薫は体重が166kgもあるが、指の力が700kgなのだから、鉄棒を指でつまんでラクラクと懸垂ができるだろう。
しかもこれは指1本の力であって、「握力」ではない。握力とは親指を除く4本の指と、手のひらのあいだで挟む力だ。4本指の力の平均が人指し指と同じだとしたら、薫の握力は700kg×4=2.8t。
プロ野球選手のバッティングの衝撃は1tにもなり、インパクトの瞬間を捉えた写真を見ると、ボールは大きく凹んでいる。花山薫は、おそらく硬式野球ボールを握りつぶすことができる!
◆力が強すぎて暮らしが大変
驚異の握力である。相手も死を覚悟して戦うしかないが、ここまですごいと、花山薫自身も生きていくのが大変だろう。できるだけ力を抜いて暮らす必要があると思われる。
19歳男子の握力は平均42kgだから、薫の握力はその67倍。
割り箸がどれほどの力で折れるか実験すると、必要な力は3.5kgだった。薫が食事中に箸を折らないように気をつけるのは、普通の19歳が3.5÷67=52g以上の力を出さないように努めるのと同じ。52gの力で折れる棒状の物体とは、たとえば直径3mmの茹でていないスパゲティ。そんなモノで食事をする繊細さが求められる、ということだ。
しかし作中のエピソードを見る限り、薫は力のセーブが苦手なようだ。腹立たしことがあると、握っていたグラスにピシッとヒビを入れるし、冒頭に記したように、10歳のときには父親との外食中に清涼飲料水を飲もうとして、瓶を握り割った。
こういう人が缶コーヒーを飲もうとしたら、缶はあえなくツブれて中身が飛び出し、スポーツの道具は片っ端から壊れ、スマホは圧壊し、ゲーム機はスクラップになり……。幼いころからあまりに力があり過ぎて、人々が楽しそうにやっていることが何一つできない。
これでは、ケンカでウサ晴らしするにも当然だったのでは……と、筆者は花山薫の気持ちに寄り添いたくなるのである。