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猟奇事件の報道とどう向き合うか──座間市9死体遺棄事件が向かう先

松谷創一郎ジャーナリスト
過去の重大な殺人事件を報道する新聞各紙

座間市で起きた猟奇事件

 10月31日未明、神奈川県座間市のアパートで9人の遺体の一部が発見され、住人の27歳男性が死体遺棄容疑で逮捕された。詳細はまだ不明だが、容疑者は2ヶ月前にこのアパートに引っ越してきたばかりだという。逮捕されたばかりの現在、被害者のひとりが自殺サイトで容疑者と知り合ったという報道がなされているが、詳細はまだ不明だ。

 ただ、かなり猟奇的だと見なされるこの事件は、過去のケースから考えると今後さまざまな報道をされ、その内容も非常に加熱していくことが予想される。そしてそのときには、事件の背景や要因が探られ、犯行の動機だけでなく加害者のパーソナリティにも注目が集まるだろう。

 こうしたとき、われわれは事件報道とどのように向き合えば良いのだろうか。

減り続けている殺人事件

 まず押さえておくべきは、このような事件が生じた日本の犯罪状況についてだろう。日本において凶悪事件は大きく報道される傾向にあるが、1960年代以降、他殺者数は概ね減少傾向にある。バブル崩壊後の90年代にはじゃっかんの増加傾向が見られたが、それ以降も過去最少を更新し続けてきた(※)。昨年は290人となり、戦後はじめて年間300人を割ったほどだ。10万人あたりでは0.2人ほどだ。

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 国際比較で見ても、日本の殺人被害者の割合は極端に低い。「先進国クラブ」とも呼ばれるOECD(経済協力開発機構)加盟35カ国に、BRICs(ブラジル・ロシア・インド・中国)4カ国を加えた39カ国で比較すると、2015年では10万人あたりの他殺者の割合は日本がもっとも低い。中国と韓国も低く、このグラフに加えていない香港や台湾も低いことから、東アジアでは殺人事件が比較的起こりにくい地域だと言える(ただし自殺率は国際的に高い傾向にある)。

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 こうしたことから、現在の日本は殺人事件がかなり起こりにくい治安のいい国だということがわかる。以上が前提だ。

※……ここでの「他殺」は厚生労働省による統計を採用しており、警察庁による殺人事件の死亡者数とは数値が異なる。ただし、そのずれ幅はさほど大きくない。

治安が良い国の過激な犯罪報道

 だが、日本では殺人事件など重大事件の報道は目立つ傾向にある。

 殺人事件は少ないものの、それに比べて報道は多い──そうした日本の特徴は、これまでもしばしば専門家の研究対象となってきた。たとえば最近では、社会学者の牧野智和さんが、量的な調査によって日本の新聞が犯罪記事に多くの紙幅を割いていることを指摘している。

 こうした傾向は、おそらくテレビでも同様だろう。民放の情報番組で報じられるニュースでは、概して凶悪事件はセンセーショナルに伝えられ、視聴者の興味を惹起してきた。たとえば、1989年の東京・埼玉連続養女誘拐殺人事件や1997年の神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇事件)などの猟奇的な事件の際に、報道はとても激化した。このふたつの事件においては、加害者がマスコミに犯行声明を出したこともあるが、それに加えて猟奇的な犯罪内容や、その動機が明確でないことがニュースヴァリューとなった。

 日本は治安が良いからこそ、逆に凶悪犯罪がそこを強く刺激する。個々の「体感治安」の低さは、実際の治安の良さとはかなりの距離がある。

 その一方で、日本はミステリー小説大国であり、サスペンスドラマ・映画の人気が長く続いている状況でもある。こうした娯楽において、欠かせない題材が殺人だ。ひとの生死がかかっているからこそ、フィクションであっても重大性が感じられる効果が出る。

 実際に起きた殺人事件の報道も、世界でトップクラスに治安が良い日本においては、きわめて非日常的に、フィクションのように受容されている側面もある。凶悪事件の報道は、ひとびとの不安を惹起しながらも、他人事として感受されている側面も否めない。

エンタメとしての事件報道

 エンタメとしての殺人事件報道は70年代から苛烈になってきたが、フィクションでも「実録」を冠した作品が目立っていった。「実録」とは実際の出来事を参照したことを意味する傾向にあるが、一方でリアリティの強さをアピールする狙いがある作品だ。この時期に増えていったのが、実際の事件を題材としたフィクションだ。しかもそれはメジャー作品だけでなく、むしろ成人向けマンガやポルノ映画など、非メジャー界隈で目立っていた。こうした「実録作品」ブームは、80年代前半まで続く。

 筆者は、10年ほど前に自動販売機などで発売される成人誌で「3流エロ劇画」を描いていた、ある元マンガ家に仕事で話を訊く機会があった。彼は実際に起きた凶悪事件を題材にした実録作品を描いていたそうで、こんなことを話してくれた。

「80年代前半までの犯罪は、肯定はできないけどどこかで犯人の気持ちを理解できるところがあったんです。虐げられた者が、鬱積したものを犯罪にしか昇華させることができないところはとくに。でも、80年代になって理不尽な犯罪が目立ってきた。81年の深川通り魔殺人事件や、89年の宮崎勤の事件(連続幼女誘拐殺人事件)がそうです。深川の事件は覚醒剤中毒だし、宮崎勤の動機はわからない。とにかく理不尽だった。そこには、実録劇画にできるような物語がないんです」

 重大犯罪が起きて報道やネットの加熱ぶりに接するたびに、筆者は必ずこの意見を思い出す。

 事件から明瞭な物語を導き出せることが難しくなり、逆にその不明瞭さこそが新たな物語として訴求する傾向が続いているからだ。実際、連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤は、精神鑑定では統合失調症、多重人格、責任能力ありと、専門家の判断も3つにわかれた。結局、責任能力があるとする鑑定が採用されて宮崎は死刑となったが、結局最後までその動機は解明されなかった。

 犯罪の動機は、行動に「原因-結果」を意味づけて理解へと導く。しかし、猟奇事件として注目される犯罪の多くは、この因果関係の意味づけが困難であるケースが多い。

 今回の座間の事件は、今後どのように報道されるかはまだわからない。ただ、その報道内容は容疑者がどのように“動機”を語るかによって大きく左右される。そのとき留意すべき点は、ふたつある。

 ひとつは、どのように報道などがひとびとの感情を刺激しようとするか、という点だ。より具体的に言えば、マスコミや一部のネットユーザーが創り上げる物語が、いったいなにを狙っているのかということである。

 そしてもうひとつは、そうした報道などによって自分の感情がどのように動くかに自覚的であることだ。つまり、過剰なマスコミの報道や一部ネットの意見に接したときに、いかに冷静に対処できるかということである。

受け手が送り手になるインターネット

 重大事件において、その動機や社会背景を探ることはけっして不要なことではない。むしろそれはより丁寧におこなわれるべきであろう。

 ただし、こうした事件では概して過激な内容が報道の中心となり、実際に訴求してしまう。ネットがある現在、こうした状況において求められるのは、送り手だけでなく受け手側がいかに自覚的に報道に接するかであろう。受け手は単なる受動的な存在ではなく、インターネットで発信する側=送り手にもなるからだ。

 インターネット時代に起きた猟奇事件の報道を考える上で、今回は重要なリトマス試験紙でもある。

ジャーナリスト

まつたにそういちろう/1974年生まれ、広島市出身。専門は文化社会学、社会情報学。映画、音楽、テレビ、ファッション、スポーツ、社会現象、ネットなど、文化やメディアについて執筆。著書に『ギャルと不思議ちゃん論:女の子たちの三十年戦争』(2012年)、『SMAPはなぜ解散したのか』(2017年)、共著に『ポスト〈カワイイ〉の文化社会学』(2017年)、『文化社会学の視座』(2008年)、『どこか〈問題化〉される若者たち』(2008年)など。現在、NHKラジオ第1『Nらじ』にレギュラー出演中。中央大学大学院文学研究科社会情報学専攻博士後期課程単位取得退学。 trickflesh@gmail.com

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