ダウンタウンを生んだ「聖地」が舞台に、やしきたかじんにモノ作りの土台を教わったテレビマンが描く夢
「アマ」の略称で知られる尼崎。大阪市にほど近く、市外局番も大阪市同様「06」から始まることから同市内と思われがちだが、実は兵庫県の地域だ。
そんな尼崎で生まれたお笑いコンビといえば、ダウンタウン。浜田雅功さん、松本人志さんはともに尼崎出身で、同市の小学校、中学校の同級生だった。
この「お笑いの聖地」で漫才に青春を捧げ、さらに「笑いのチカラ」で病の母親を元気づけようとする若者の姿を描いた舞台『尼崎ストロベリー』が、2023年3月に上演された。
原作は、よしもとクリエイティブカレッジ作家コース卒業生で、落語作家、テレビ・ラジオの企画構成でも活動する成海隼人さんの小説。出演者には、真丸さん、篠原真衣さん、堀くるみさん、春名真依さん、井本涼太さんら若手陣、そしてお笑い芸人の堀川絵美さん、吉本新喜劇の佐藤太一郎さん、桜井雅斗さんなども揃った。
2024年3月には再演も決まり、尼崎市在住の中高生550名を無料招待する企画を実現させるためにクラウドファンディングなども実施している。
脚本・演出は、関西テレビに在籍する木村淳さんだ。プロデューサーとして反町隆史さん、榮倉奈々さんが出演したドラマ『グッドライフ』(2011年)、監督として谷村美月さんが出演したドラマ『ポプラの秋』(2012年)などを制作した。近年は舞台作品も多く手がけ、桂米團治さん、兵動大樹さんが出演した『本日、家を買います。』(2015年)、兵動大樹さん、桂吉弥さんが出演する『はい!丸尾不動産です。』シリーズなどを発表している。
やしきたかじんの言葉「収録現場にある空気をそのまま視聴者に届ける」
なにかとお笑い芸人との“絡み”が多い、木村淳さん。そんな木村淳さんは若手時代、2014年にこの世を去ったやしきたかじんさんが司会の番組『たかじん胸いっぱい』(関西テレビ)にADとして配属された。以降は11年にわたり、フロアチーフ、ディレクター、演出とポジションを変えながら番組に携わった。
木村淳さんはやしきたかじんさんについて「厳しい方ではありましたが、私のモノ作りの土台となることを教えていただきました」と振り返る。作品の鑑賞者に笑いや感動を届けるとき、そんな重鎮の言葉を常に意識しているという。
「たかじんさんがよくおっしゃられていた言葉なのですが『オンエアするとは、読んで字のごとく、収録現場にある空気をそのまま視聴者に届けることや』と。これは今、自分がバラエティ番組を離れて、ドラマ、そして演劇とキャリアを積めば積むほどに身に染みて重い言葉だと感じています。スタジオ、ロケ場所のカメラの前、劇場の舞台の上に立っている演者が本当に『おもしろい』と感じていないと、そして本当に『悲しい』『嬉しい』『悔しい』と心が動いていないと、レンズを通してスクリーンや画面の向こう側にいるお客様の心の奥のひだにはたどり着けない。たかじんさんの教えは、演技メソッドにも通じる奥の深い言葉です」
もうひとり、木村淳さんを語る上で欠かせない人物がいる。それはトークのスペシャリスト、兵動大樹さん。木村淳さんは、兵動大樹さんについて「本当に『笑い』に真摯に向き合っていて、そして臆病なんです」と独特の言い回しをする。
「あれだけエピソードトークがおもしろくて、単独ライブをしてもチケットは完売が続くなど実績がある方なのに、喜劇のセリフの『間』ひとつ、セリフの語尾ひとつに、何日も、何週間も悩んで、一緒に考えてくれるんです。初日の幕が上がって客席から大爆笑が起こっても不安にしている姿があり、それはそれで尊いです」
関西弁がおもしろい理由「多種多様な表現範囲、つまり語彙の豊富さと『間』」
大阪の最高峰の「笑い」と近いところで仕事をしてきた木村淳さんだから表現できるものが、演出作『尼崎ストロベリー』にはある。
「とにかく、役者のみなさんには『普段の言葉を使うこと』を意識していただいています。つまり、セリフで笑わせようとしないことなんです。また、これは当たり前ですが顔芸などを含んだキャラ芝居は絶対にしないことです。関西弁がおもしろい理由とは、なんなのか。それは多種多様な表現範囲なんです。つまり語彙の豊富さと『間』であると私は考えています」
木村淳さんはこの『尼崎ストロベリー』を「毎年、毎年、尼崎で上演したい。尼崎の市民を巻き込んで、尼崎の人だけが分かるアイコンにしたいんです」と展望を語る。
「このプロジェクトは2020年春、原作者の成海隼人さんから『映像化できませんか?』と相談を受けたことから始まりました。そのときは、ドラマに携わる後輩を紹介しました。ただ彼らの会話をそばで聞いていて、夢が描けなかったんです。私もこれまで地方自治体や地方のロケーションサービスの方々の協力を得て、ドラマを制作したことがあります。そのときは盛り上がります。町の人々が総出で、ロケ弁当、撮影場所、エキストラまで協力してくれます。でも放送が終わって、半年、1年、3年と経つとそれは思い出になって、忘れられていくことが多いんです」
「ふるさとのアイコンにしたい」
木村淳さんは「映像はその瞬間を切り取ることができる。あの時代、古き良き時代を記録に残すことができます。一方、演劇はそのとき、その場、その瞬間に立ち会わないと出あえない物語。たとえば『尼崎ストロベリー』なら、20年後、町の風景が変わり、町に住む人々が入れ替わったとき、そこに在る人こそが、そのときの『尼崎』を生きる人です」と変わりゆく姿を見せることができるという。
「舞台であれば、3年、5年、10年経って、たとえスタッフやキャストが全員入れ替わっても作品は生き続ける。尼崎の市民のみなさんが、運営、制作、演出、そして出演できる『ふるさとのアイコン』になるんじゃないか。『そんな夢を描きませんか』と口走ったことを覚えています」と、舞台作品として尼崎の町の空気、そこに暮らす人々の熱気を再現することを決めた。
ダウンタウンを生んだ尼崎。木村淳さんは同作をきっかけに「たとえば東京なんかで、尼崎出身者同士が名刺交換をする際『尼崎出身だったらあれを見せられませんでした?』『見せられました、尼崎ストロベリー!』と口を揃えるような光景ができてほしい」と、「聖地」の新たな未来像を思い描いた。