トルコがS-400を選んだ理由の推定
トルコは次期防空システムにロシア製S-400を選び、欧米からNATOの防空体制に危機をもたらすと激しい反発を受けて、F-35戦闘機の引き渡しが禁止されるなどの制裁が科せられようとしています。NATOの仮想敵国であるロシアの主力兵器をNATOの一員であるトルコが購入しようというのですから、同盟そのものを危うくする行為であることはトルコ自身も十分に分かっている筈です。それではなぜトルコはこのような選択をしたのでしょうか? トルコは性能で兵器を選んだのではなく、二つの理由を重視したからです。
- 将来の兵器国産化を見据えた技術移転を重視
- クルド人問題で圧力を掛けてくる欧米から距離を置く
この二つの理由は密接に繋がっています。そもそもトルコが兵器国産化を重視するのは、トルコがクルド人ゲリラ掃討を行う際に人権を侵害しているとして欧米が圧力を掛けるために、兵器の輸出を制限したことから始まっているからです。
トルコの次期防空システムは選定作業が本格化したのは2009年で、応募されたのは次の4機種です。
- アメリカ提案 パトリオット
- ヨーロッパ提案 SAMP/T
- ロシア提案 S-400
- 中国提案 HQ-9
そして2013年に中国製HQ-9が一旦勝利しますが、欧米の激しい圧力により2015年に撤回させられています。この時に一度はHQ-9が勝利した最大の要因は、トルコへの技術移転に中国がもっとも理解があったからでした。そしてあまりに欧米から距離を置き過ぎると拙いのでロシア製は避けたと考えられます。トルコは「1. 将来の兵器国産化を見据えた技術移転を重視」に比重を置いたつもりでした。しかし欧米は中国製であっても許しませんでした。
なおHQ-9が撤回された直後、そもそもトルコはHQ-9もS-400も本気で選ぶ気は無かったのではないか、アメリカやヨーロッパから技術移転の条件を吊り上げる目的の当て馬だったのではないかという推測もありました。しかしこの推測は現在トルコが本気でS-400を導入しようとしている様子から外れていたことになります。あるいはHQ-9の時までは確かに当て馬のつもりだったけれど、2015年以降にトルコは激動の時代を迎えてしまい、エルドアン政権は考え方を変えてしまった結果なのかもしれません。「2. クルド人問題で圧力を掛けてくる欧米から距離を置く」を重視した結果がロシアとの接近になり、S-400はその産物であると見ることができます。
トルコのS-400選定とF-35引き渡し拒否に関連する問題の時系列は以下のようになります。
- 2002年 トルコ、F-35戦闘機計画に参加
- 2003年 エルドアン政権発足
- 2009年 防空システム選定作業本格化
- 2011年 シリア内戦勃発
- 2011年 F-35ソースコード開示拒否に不満
- 2012年 F-35正式発注
- 2013年 中国製HQ-9防空システムの決定
- 2015年 HQ-9撤回(米欧の圧力)
- 2015年 領空侵犯ロシア機撃墜、関係悪化
- 2016年 領空侵犯機撃墜事件でロシアに謝罪
- 2016年 トルコ軍事クーデター未遂事件
- 2016年 トルコ、シリア侵攻作戦開始
- 2017年 ロシア製S-400防空システムの決定
- 2019年 S-400納入によりF-35引き渡し拒否
撃墜事件によるロシアとの関係悪化から謝罪して関係改善、軍事クーデター未遂という大事件の発生、イスラム国掃討を名目としたクルド武装勢力掃討を目的とするシリアへの侵攻。2015~2016年に起きた出来事がトルコにロシアとの敵対・拒絶から接近・友好を決断させ、その流れでロシア製のS-400を選んだのだと思われます。
【参考資料】「ユーフラテスの盾」作戦の舞台裏 - 中東協力センター(PDF)
上記参考資料の「クーデタ未遂と路線転換」「政治力学の変遷:立場の逆転,環境の一転」の項目に、トルコがアメリカからの離反・ロシアとの接近に至った複雑な経緯が説明されています。
またトルコはF-35の一部技術移転を要求し、ソースコード開示が受け入れられないなら計画から離脱するとアメリカに迫ったことがあります。しかし全く相手にされず拒否され翌年に正式発注していますが、将来の兵器国産化を見据えた技術移転を重視する様子はここからも窺うことができます。それでも今この世界で買えるステルス戦闘機はF-35しかありません、だからこそ正式発注したわけですが・・・今では強い相手と本格的な戦争を行う予定が無ければステルス戦闘機は当面の間は必要が無い、そう考えているのかもしれません。
ロシアと仲良くなればロシアと戦う必要が無い。しかしそれは一歩間違えればNATOを除名されアメリカを敵に回して戦う羽目になりかねない危険な綱渡りでもあります。