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徳川家の三つ葉葵紋はいつからできたのか。大河ドラマ「どうする家康」制作統括・磯智明の試行錯誤

木俣冬フリーライター/インタビュアー/ノベライズ職人
「どうする家康」より  写真提供:NHK

大河ドラマの作り方が変わってきたなと思ったのは2010年の「龍馬伝」くらいから

「どうする家康」制作統括・磯智明チーフプロデューサー インタビュー第1回

大河ドラマ「どうする家康」(NHK)は圧倒的に有名な徳川家康を主人公にしながら、世間のイメージを裏切るキャラクターで、話題の的になった。

12月2日放送の第46回は「大坂の陣」、そして12月17日に最終回を迎えるにあたり、制作統括・磯智明チーフプロデューサーにインタビュー。「どうする家康」で行った挑戦を振り返ってもらった。

磯CPは過去、大河「平清盛」では公式Twitterを使ったパブリシティを行ったり、朝ドラこと連続テレビ小説「なつぞら」ではアニメのオープニングを作ったり、歴代ヒロインを次々出演させたり、ユニークなトライを行ってきた。「家康」でも、人気作家・古沢良太の起用、斬新なロゴやタイトルバックの選択、ロケに代わる撮影方法の導入など、その試みによって新たな視聴者を取り込んでいる。常に新しいことに目を向けるその理由はーー。

――10月末にクランクアップされてからはどのような状況ですか。

「いまは第47 、48回のポスプロを行っているのと、最終回に向けてのプロモーションが主な仕事になってきています(*取材は11月下旬に行われた)。収録が終わるとちょっとホッとします。やはり、収録が一番大きな仕事なので、終わって、精神的には楽になりました。その前の一区切りは、台本が最終回まで出来上がったときで、それは9月の下旬ぐらいでした」

――第46〜48回の3話分、畳みかけるような展開です。どういうふうに思われましたか。

「大坂の陣がクライマックスになることは当初から考えていたことで、第47回で夏の陣を描き切るかどうするか、おそらく最終回にこぼれるんじゃないかと見越した時、最終回をどうまとめていくかについてずっと考えていました」

――最終回までいろいろチャレンジが続いたかと思います。磯さんは、大河ドラマ「平清盛」(12年)のときのインタビューを読ませていただいたら、新しいことをやることに意味があるというようなことを語られていて(“ものを作っていく上で、何が大事かっていうと、新しいものには価値がある、と思っています。”(立命館大学のNHK講座「大河ドラマ『平清盛』の制作舞台裏」より)、「清盛」、朝ドラ「なつぞら」、「家康」など、これまでにないものにトライしている印象です。改めて、今回の家康ではどのようなチャレンジをされましたか。

「僕は、大河ドラマだと『毛利元就』(97年)に参加したり、『風林火山』(07年)では演出していたりして、『西郷どん』(18年)からは大河ドラマの統括として、大河ドラマの制作チームを支えながら、その仕事を横で見ていました。『いだてん〜東京オリムピック噺〜』(19年)、『麒麟がくる』(20年)、『青天を衝け』(21年)と見てきて、『鎌倉の13人』(22年)は『どうする家康』の準備に入っていたので関わっていませんが、自分が2023年の現場に戻った時にどうするかと思ったとき、次に作る人たちが視野を広げたり楽に作れたりできるような環境を残すことを考えました」

――環境作りですか。

「大河ドラマには、重々しいという印象があり、関わる時間も長い。作っているスタッフからすると、大河ドラマ制作にあたり、人生のある部分を割いていかないといけないという覚悟を強いられるようなところがありまして。そういう中で、みんながどうやってモチベーションをキープしながら関われるか、考慮したいと思っていました」

――モチベーションをあげるために工夫されたことは。

「大河ドラマには歴史ドラマと言うフレームがありますが、2010年の『龍馬伝』くらいから、大河ドラマの作り方が変わってきたなと思っていました。それまでは原作ものが中心で、原作のフレームを借りながら大河ドラマとして膨らましていくという方法論で作っていましたが、徐々に原作になるものが不足してきたところもあるし、SNSなどが急速に普及して、誰もが歴史や史実に容易に触れることができるようになった時代にマッチする原作がない気がしていました。『風林火山』をやっている頃からそれを感じていて、原作を脚本化するのではなく、実際に、歴史書や研究書を読み学び、考証の先生方のアイデアを借りながらドラマの脚本を作っていくように変わっていきました。それが『龍馬伝』以降だと思います。それがずっと続いて、大河が歴史に縛られていくようになったんですね。もちろん、その間に果敢にチャレンジした大河もありますが。台本の打ち合わせで、何年から何年までの間に、こういうエピソードがあって、この人はこういう行動をしています、ということを前提にしながら物語を作っていくことをやり続けていると、そもそも、ドラマってなんだっけ? 大河ドラマってどういうもんなんだっけ?という問題にぶちあたって。大河ドラマの制作現場がやや窮屈になっていったような気がしたんですよね。そこで、『どうする家康』では、もう少し、オリジナリティのある発想や、ストーリー性を大事にしていくような作り方にできないかと考えました。ストーリー性にかけては、いま、最も長けている、古沢良太さんにお願いしました」

――古沢さんはたまたま「家康」の前に、織田信長を主人公にした映画「レジェンド&バタフライ」もやられていましたけれど、歴史ドラマのイメージがほぼない方で。あえての、歴史にあまり触れてこなかった作家を選んだのでしょうか。

「それもありますが、古沢さんが描く、『ゴンゾウ〜伝説の刑事』(08年) や『リーガル・ハイ』シリーズ(13年〜)などは、刑事ドラマや法廷ドラマの決まり事を外してないですよね。『鈴木先生』(11年)では、学園教育ドラマのフレームを外してないし、『デート〜恋とはどんなものかしら〜』(15年)でも恋愛ドラマのパターンをきちんと踏まえた上で、そこにどう肉付けしてオリジナルでやってくか、その技術力がすごいと思っていました。そういうふうに考えれば、歴史ドラマというフレームの中でも古沢さん才能は生きるんじゃないかと思って。最初にお会いした時に、そういうことをお話したような記憶がありますね」

――原作モノの構成もとても上手な方で、守るべきルールの把握をされたうえで遊べる方ということですね。

「そうなんです。ルールをきちんと理解したうえで、良い意味で裏切ったり膨らませたりすることに長けている。朝ドラのように、日常を積み上げていくようなドラマよりも、ぼくは、古沢さんには大河ドラマを変えて欲しいなあと期待していました」

「どうする家康」より 写真提供:NHK
「どうする家康」より 写真提供:NHK

「どうする家康」より 写真提供:NHK
「どうする家康」より 写真提供:NHK

桶狭間、三方ヶ原から長篠、小牧長久手、関ヶ原、大坂の陣まで有名な合戦をできる限りやろうと思った

――古沢良太さんの起用によってフレームを変えたほか、撮影方法にもチャレンジを感じました。今まで行っていたロケを減らして、VFXで代用することを、技術の進化のはざまでやられて、さぞご苦労があったのではないでしょうか。

「ロケをやらなくなった理由のひとつは、ここ数年、大河の制作現場を圧迫している異常気象です。気温が35度近くになれば体調に支障が出る可能性がありますし、巨大台風が来て、せっかく作ったロケセットが破壊されて撮影が不可能になる状況を目の当たりしてきました。また、撮影の現場の労働環境も改善もしなくてはいけない。馬もエキストラも昔のようにはたくさんいない。『葵 徳川三代』(00年)のような大掛かりなロケは絶対できない状況で、大河ドラマのスケール感をどう担保できるかは、近年の課題でした。そこでVFX/VP(バーチャルプロダクション)の世界に本格的に踏み込みました。が、VFXはお金も時間もかかります。例えば、2時間ものの映画や単発ドラマであれば、クオリティを上げるため1年間近くもの歳月をかけられますが、大河ドラマは毎週45分、1年間放送するものを作らないといけないから、1話分を限られた時間でどこまでできるか、技術力をはじめとしていろいろなものをどれくらい集中投下すればいいか考えることが課題になりました。前もって背景の画を作り、LEDの映像として背景に映し、それごと撮って、編集すれば従来の大河ドラマの制作スケジュールでできますが、事前に画を準備するために、どれだけの時間が必要なのか。しかもシーンによっては、画の中の何百もの兵士や馬を動かし、カメラの動きと画像が連動する(インカメラシステム)という最先端の手法を導入する。やりながら試行錯誤を重ねて、ペースをつかみ、なおかつ経験値を膨らませていくという方法を採りました。やらなければ経験値が溜まらない。だから、もう思いきって大河制作の最初から取り組むことにしたんです」

――やはり磯さんは開拓者なんですね。

「開拓になっていればいいのですが……。これからこの経験が引き継がれてくれればと願います。本当に大変で、これは断念しよう、もう無理じゃないかというような現場の葛藤はいくつもありました。なにしろ合戦シーンの連続でしたから。『葵 徳川三代』では、はじめのワンクールまでで関ヶ原をやり、以降はほぼもう合戦シーンをやっていないんです。関ヶ原に予算も時間も集中投下させるという考え方で作っている。ところが、今回の『どうする家康』は初めから終わりまで有名な合戦の連続です。桶狭間から始まって三方ヶ原から長篠、小牧長久手があって関ヶ原、大坂の陣まで。それをできる限り全部やろうと思っていたし、古沢さんもそれを期待して脚本に臨んでくれていました。『葵 三代』で初動に投下していた資金や時間を『家康』ではどうやって全話均等に割り振れるかが、非常に重要でした。都度都度、大規模ロケのような一点集中ではなく、従来のスタジオ撮影のスケジュールの中に合戦撮影を組み込みことが必要で、そのためにも制作コントロールをしやすいVFX/VP(バーチャルプロダクション)に舵を切ることを決断しました。多分、これを一回やり切ったことで、今後の大河ドラマの見せ場の作り方も変わっていくのではないかという気がします。従来の大河ドラマのように、1話目や2話目の物語初期にドカーンとやってということではなく、均等に、どのシークエンスにもそれなりに見せ場があるような作り方ができるようになるのではないかと。僕も長年やってきて、そこをなんとか解消したかったので、今回、最終回までやってみて、前例は残せたかなと思っています」

――徳川の家紋の三つ葉葵が最初はシンプルなデザインで、ある時、従来のものになったのは、狙いですか。

「我々の知っている三つ葉葵の家紋がいつから徳川で使用されたのか、調べたら、ある時期から出てくるが、それ以前には出てこないんですよ。それより前はどうだったのか、そもそも家紋とはいつの時代からどういう風にできたのか。また、三つ葉葵を着物に染め付ける技術はいつ頃できたのか。そういうところを考えていったときに、最初はシンプルだったということはありなんじゃないかということで、作っていきました。当時の三河武士団がそこまでの技術をどの段階で会得したか、家紋というものへのこだわりはどこまであったのか。そういう認識の成り立ちみたいなものもサイドストーリーでやれば面白かったなあと思います。そうしたところに気づいてくれてうれしいです」

――そういうことはとても興味深いですね。

「戦国時代の前期は、まだ中世の終わり、室町時代の流れにありますが、後期の安土桃山になると、急に風俗文化が大きく発展するんです。建築様式もガラッと変わって、髪型も変わっていきます。が、どういうプロセスで変わったのか、よくわからないんですよ。多くの戦国大河の舞台は、本能寺の変あたりを境に前期か後期かに分かれているので端境期を描かなくても済みますが、家康だと、前半も後半も両方やらなければいけないので、そこをどうつないでいくかはチャレンジでした。それは美術チームにとっても腕の見せどころでした」

――建築も最初、板の間で、襖も何もなく簡素で、じょじょにいわゆる時代劇の建築になっていくことも、進化を見せていこうという狙いだったと。

「時代時代で、文化建築技術力が少しずつ上がっていく様みたいなものはこだわって少しずつ見せていた所はあります。LEDの背景をつかって、建物の奥にある風景を見せることもできました。建設中の城もドラマでは描いています」

――家康の歴史が長い分、環境が変わっていくことを見続ける面白みがありました。

「歴史にはわからないことがたくさんあって。わからないなりに考えながら表現していました」

第2回

第3回

Tomoaki Iso
NHKプロデューサー。1990年入局。ドキュメンタリー番組を経て、ドラマ制作へ。2005年、演出からプロデューサーへ転身する。主なプロデュース作品に、大河ドラマ「平清盛」(12年)、連続テレビ小説 「なつぞら」(19年)、「富士ファミリー」(16年)、「スニッファー 嗅覚捜査」(16年)、「あなたのそばで明日が笑う」(21年)ほか。文化庁芸術祭優秀賞、ギャラクシー賞などを受賞。

どうする家康
NHK総合 毎週日曜20:00~放送 BS、BSプレミアム4K 毎週日曜18:00~放送ほか
主演:松本潤
作:古沢良太
制作統括:磯智明
演出統括:加藤拓
音楽:稲本響

フリーライター/インタビュアー/ノベライズ職人

角川書店(現KADOKAWA)で書籍編集、TBSドラマのウェブディレクター、映画や演劇のパンフレット編集などの経験を生かし、ドラマ、映画、演劇、アニメ、漫画など文化、芸術、娯楽に関する原稿、ノベライズなどを手がける。日本ペンクラブ会員。 著書『ネットと朝ドラ』『みんなの朝ドラ』『ケイゾク、SPEC、カイドク』『挑戦者たち トップアクターズ・ルポルタージュ』、ノベライズ『連続テレビ小説 なつぞら』『小説嵐電』『ちょっと思い出しただけ』『大河ドラマ どうする家康』ほか、『堤幸彦  堤っ』『庵野秀明のフタリシバイ』『蜷川幸雄 身体的物語論』の企画構成、『宮村優子 アスカライソジ」構成などがある

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