なぜ新入社員に「残業100時間」は拷問と同じなのか?
「そんなに残業100時間が大変か?」という反応
正気の沙汰ではない。……これが私の素直な感想です。
電通の新入社員だった女性(当時24歳)が昨年クリスマスに投身自殺をした。原因は月に100時間を超える残業と言われ、先日、過労自殺として労災認定されたのです。この報道を知り、巷ではさまざまな反応があるでしょうが、一番怖いのは、
「100時間以上の残業ぐらい、たいして珍しいことではない」
という反応です。そもそも「残業100時間」とはどれぐらいなのか、考えてみましょう。『1日5時間×20日』とすると、わかりやすい。つまり夕方6時が定時だとすると、ほぼ毎日夜11時まで残業をすると、100時間を超える計算です。
休日出勤を加えるパターンだと、『1日4時間×20日+休日7時間×3日』程度でしょうか。つまりほぼ毎日夜10時まで仕事をし、休日出勤を3回すれば100時間を超えます。休日出勤のときも夜遅くまで仕事をすれば110時間や120時間にまで到達します。
しかし……。私自身の過去の経験からも、年間5000名以上の管理者たちにセミナーや講演を続け、いろいろな方と意見交換した経験からしても、これぐらいの労働時間をこなす人は、それほど珍しくありません。
「100時間も残業を強いるなんて、とんでもない職場だ!」
と受け取る人もいるでしょうが、いっぽうで、
「100時間か……。毎月それではキツイが、残業100時間前後をいったりきたりするぐらい、それほど珍しくない」
と受け取る人も、少なくはないはずです。電通などの大手広告代理店は、テレビのプロデューサー等との付き合いも大事にするため、深夜まで働くことも多いでしょう。幹部や管理職の面々も、「最初の3年は、ほとんど毎日終電だった」「家に帰らないのが当たり前」といった武勇伝をいくつも持っているに違いありません。媒体がテレビや雑誌からネット広告に移ったとしても、この組織文化が今も伝統的に受け継がれていても不思議ではないのです。
しかし、たとえ長時間労働が業界の常識であったとしても、それでよいはずはありません。
肩の力の抜き方
何か新しいことをスタートさせたり、関係の浅い人と仕事をしなければならないとき、どうしても肩に力が入ってしまうものです。緊張したり、肩の力が入っていると、自分の力が発揮できないもの。肩に力が入ってしまう理由は、単純です。慣れないことをするからです。
車の運転免許を取得したばかりのとき、助手席の人とお喋りしながら運転できるかというと、多くの方はできないでしょう。運転に集中しているため、他事に意識を向けられないのです。しかし「数」を繰り返すことによって意識しなくてもできるようになっていきます。習慣は過去の体験の「インパクト×回数」でできています。習慣化するまでは、ある物事に意識を向けないとできません。この状態を「意識的有能」と呼びます。そして、場数を踏むことで次第に意識を向けなくてもできるようになります。この状態を「無意識的有能」と呼びます。車の運転でいえば、場数を踏むことで運転に慣れ、同乗者の人とお喋りしたり、音楽を聴きながらでも自然と運転ができるようになるということです。
脳はある物事に焦点を向けると、他のことには焦点を向けられません。これを「脳の焦点化の原則」と呼びます。慣れない作業を同時に2つ以上こなすことができないのは、このせいなのです。
肩に力が入っている人に、「完璧主義者にならないこと」「上手にやろうとしなくてもいいの」「リラックスして。あなたならできる」などと言っても気休めにもなりません。「場数」です。量をこなすことで「無意識」のうちにできるようになり、緊張感から解放されます。
したがって、仕事に慣れるためには「量」が必要。肩の力が抜けるまで、ある物事に対して焦点を合わせ、長時間やり続けることはどうしても避けては通れない道なのです。
なぜ新入社員にとって「残業100時間」が拷問なのか?
新入社員にとってはまず、社会人になって働きはじめることそのものが新しい出来事であり、どんな仕事をするにしても肩に力が入ります。緊張しない人もいるでしょうが、多くの人は緊張状態がしばらく続くことでしょう。
先述したとおり、意識を向けられるのは一つだけです。
ある程度、マニュアル化されている仕事ならともかく、何を、いつまでに、どこで、どのような方法で、誰に対して仕事をしなければならないのか、明確に教えられなかったり、まずは「やってみて」と言われるような職場であれば、かなりキツイ。意識を向けなければならないことが、3つも4つもあるからです。
ここで有名な電通「鬼十則」を以下に記します
1. 仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。
2. 仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。
3. 大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。
4. 難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
5. 取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。
6. 周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
7. 計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
8. 自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。
9. 頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
10. 摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。
電通のような日本を代表する広告代理店は、マニュアル化された仕事を淡々とこなせ――という職場ではありません。クリエイティブな仕事をするために「頭は常に全回転」状態であれ、という風土があります。
仕事の内容にも馴れ、環境にも慣れ、ある程度、どこで肩の力を抜いたらわかるぐらいになれば、100時間の残業をこなすことも可能かもしれません。(可能である、というだけの話です)しかし社会人になって右も左もわからない状態で、やってみたらダメ出しされて、嫌味を言われの繰り返しであれば、高レベルの緊張状態がかなり続きます。ひとつひとつの物事に対して「意識せずにできるようになる状態(無意識的有能)」にはなかなかなれません。
創造性を鍛えるうえで高い緊張状態に置かれることは重要です。しかしその緊張状態をリセットできる時間的余裕がなければ、ましてや上司や先輩からパワハラに近い声を浴びせられ精神的余裕さえも与えられなければ、心のリセットをするタイミングを自分でコントロールすることは困難でしょう。何事もメリハリが重要です。数ヵ月間にわたってこのような状態に置かれれば、大変な精神的苦痛を覚えても仕方がありません。
仕事のパフォーマンスを上げるためには適度な緊張感が必要です。これは「ヤーキーズ・ドットソンの法則」でも言われていること。組織において理想的な空気は「締まった空気」であり、過小なストレスしかかからない「緩んだ空気」も、過剰なストレスが与えられる「締めつけられた空気」もよくありません。
会社は新入社員に、はやく戦力となってほしいと願っています。そのためには、経験豊かな人よりも、まずは慣れないことを一つに絞って「量」をこなしてもらうことです。どのようにすれば周囲が期待する結果を残せるのか、一つに絞って、創意工夫してもらうのです。
その慣れないことを同時並行に複数渡さないでいれば、決して残業100時間を超えることはないのです。