【膣と直腸が貫通!直腸膣瘻闘病記⑱】友人たちの面会
私は長男を出産したときに直腸膣瘻(ちょくちょうちつろう:rectovaginal fistula)という、出産にともなう後遺症を患いました。
現代では、母子共に安全に生まれてくるのが当たり前になりつつあります。
しかし、実際には命の生まれ出る瞬間に必ずしも五体満足で経過するわけではありません。
また、子どもが無事でも、母体がダメージを受けてしまうこともあるでしょう。
私もその一人。出産直後にはなんともなくても、出産して数日たった後に「直腸膣瘻(ちょくちょうちつろう:rectovaginal fistula)」が発覚しました。
今回は第18話。
前回は、無事に2回目の手術を終えました。
今回は、回復に伴い友人や知人に会ってみることにしたお話です。
2回目の手術が無事に終わり、メンタルも落ち着いてきた
2回目の手術が無事に終わり、私の体調は徐々に安定してきました。
前回の手術よりも精神的に落ち着いて臨むことができ、医師たちのサポートもあったおかげで、今回は無事に乗り越えることができたという実感もありました。
日を追うごとに心の中の不安も薄れていくのがわかります。手術後の回復も順調で、心の安定を取り戻すことができました。
友人に会ってみようと思い連絡を取った
体調が安定してきたこともあり、久しぶりに友人たちに連絡を取ることにしました。
闘病生活が続いていた中、周囲との連絡も取らず、交流をシャットアウトしていたこともあり、気になる友人たちと久々に再会したいと思ったのです。
メールを送ると、みんな驚きながらも、無事に(?)出産を終えたことを心から喜んでくれました。
それから、数人の友人たちが私のお見舞いに来てくれることになりました。久しぶりに会うことに少し緊張しながらも、楽しみな気持ちも勝っていました。
友人たちのお見舞いと涙、やつれて見えた私
週に何回かのペースで、友人たちがお見舞いに来てくれるようなスケジュールをたてました。
実際にお見舞いに来てくれた友人たちですが、彼女たちは私の病室に入るなり、神妙そうな顔つきをしたり、中には泣き出してしまう子もいました。
私の姿を見た瞬間、今までの私との違いに驚愕したようです。
涙を流しながら「とにかく無事で、生きていてよかった」と言ってくれる友人の顔を見たとき、私は胸が締め付けられるような思いが込み上げてきました。
彼女たちの涙を見て、私自身も涙をこらえきれませんでした。彼女たちもまた、出産予定日が過ぎても連絡がなく、1ヶ月以上心の中で支えてくれていたのかを感じ、改めて自分がどれほど多くの人に支えられていたのかを実感しました。
近くに住んでいる妹がお見舞いに来てくれるようになった
妹が入院していた病院の近くに住んでいることもあり、彼女も私を気遣って頻繁にお見舞いに来てくれるようになりました。
妹はお見舞いに来ると、いつも何気ない会話をしてくれました。
友人たちよりもズバズバとモノ申してきて「もしこのまま穴が塞がらなかったらどうするの?一時的にもストマになるんでしょ」と、質問をする妹に思わず笑顔がこぼれました。
彼女と話すことは、私にとって意外にも「万が一」のことを想定する、心構えにもなりました。そして、その事実を受け止める余裕ができたことに、ある意味安心もしました。
自分とは違ったものの味方をする家族の大切さを再確認したのです。
妹は「使える制度とか、医療費のこととか、私が調べといてあげるから!!」
と、ただただ「ネガティブ」な話をするだけではなく「万が一のことが起こっても落ち着いて行動するために」までを視野に入れた話し合いをすることができたのです。
私の周りの人々は、私が病気に打ち勝つための支えとなってくれました。友人たちや家族、そして主人の存在が、私にとって何より大きな力となり、私は少しずつ回復への道を歩んでいました。
19話に続く
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