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AO 絶望の淵から這い上がり、希望を手にした18歳のアーティスト/女優の目に映る、過去・現在・未来

田中久勝音楽&エンタメアナリスト
「人に好かれようとするのをやめたら、生きていくのが楽しくなった」

AO、18歳。壮絶な過去を経て、今、その才能に注目が集まる

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今、一人の女子高生が発信する、絵、色、そして言葉が注目を集めている――AO(あお)、18歳。目の前の彼女は、屈託のない笑顔がかわいらしい、透明感のある少女だが、圧倒的なオーラを放っている。それはきっと内側に秘めている、底知れないパワーからくるものだ。そのパワーは、彼女が歩んできた人生、といってもまだ18年だが、小学生の頃からいじめに遭い、それは中学に入ってからも続き、不登校・摂食障害で、まさに“死んだように生きていた”過去も影響している。壮絶な体験を乗り越え、自分に正直に生きるようになり、ハッピーをつかんだ彼女が描く絵、活動が話題だ。「死にたい」から「生きたい」に変わった瞬間、一体何があったのか、AOに聞いた。さらに母親の恵子さんにも同席してもらい、より詳細にAOの物語を聞かせてもらった。

AOが女優を目指した、もうひとつの理由

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実はAOは2013年からドラマやCMに出演するなど、女優としても活躍している。しかし女優の道を目指したのも、いじめが関係しているという。「小さい頃から表現することがすごく好きで、女優さんという仕事があることをテレビで知って、素敵だなと思って。それで女優さんを目指したいと思ったのと、もうひとつの理由は、今はいじめられてても、女優さんになって、テレビに出たらみんなすごいって言ってくれるかな、好きって思ってくれるかなという、承認欲求に走ってしまった時期があって」。

「小学校1年から6年までいじめられていた。でも親に心配をかけたくなかったので、打ち明けられなかった。家でも学校でも人の顔色をうかがって生きていた」

小学校1年生からいじめられていた。親の仕事の関係で愛知、岐阜、東京と転校を繰り返し、行く先々で学校に馴染めず、6年生までいじめは続いた。表現することが好きという前向きな性格でも、いじめは止められなかった。止まらなかった。「自分ではわかりませんが、逆に浮いちゃっていたのかもしれない。いつからか無視されたり、陰口を言われたり、ものがなくなったり、辛い時期が続きました。でも学校には行かなきゃっていう気持ちが強くて。私は長女だし、親に心配をかけたくなくて、友達と仲良くやっている姿や楽しくやっている姿を見せないといけないと思っていました。小学生の頃は学校以外に居場所がなかったんです。でも本当は学校にも居場所がなかった。行きたくないけど行くしかなかった。楽しんで生きようと思っていたのに、人の顔色をうかがって、人に好かれなきゃという思考に走ってしまって、クラスでもみんながやりたがらない係や役割を積極的に引き受けていました」。

辛い思いをしても、親に心配をかけたくないという気持ちが強く、言い出せなかった。いじめられていることを先生に相談してもスルーされ、さらに人間不信に陥った。誰にも相談できず、息を抜く場所もなければ、その術さえなかった。唯一思いをぶつけられるのが絵だった。「絵は好きで描いていました。昔から思ったことが言えないタイプで、怒られたり責められたりすると、言葉が出ないんです。言い返したらもっと言われるんじゃないかと思ってしまって。言葉で言えないぶん、絵で表現していました。絵で辛い気持ちを発散していたというか」。

そんな娘の様子を見て母親の恵子さんは「もちろん心配で心配で、最初の頃は学校の先生と話し合いもしましたが、根本的な解決にはならなくて。やっぱり本人同士の問題だし、相手の子がどういう思いを持って娘と接しているかなんて、本人にしかわからないし。子供同士の世界と、それを大人が客観的に見た世界は違います。これは子供たちの世界のことであって、私たちが介入することで、トラブルが広がるかもしれないと感じたので、逆に学校に行きなさいと言いました。行かなくていいという選択肢はその時私の中にありませんでした。私自身も親から学校へは行くものだという教育を受けてきたので、その影響もあると思います。だからAOちゃんがお腹痛いって言ったら、嘘でしょって言っていました」。

「落ちるところまで落ちたら、「死にたい」が「生きたい」に変わった」

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中学になっていじめは減ったものの、AOの心は晴れなかった。「中学に入っても、昔の思考の癖で、独りだという感覚が残っていて、自分でも気づかないうちに病んでいって、不登校になりました。仕事のオーディションを受けてもうまくいかず、当時は結構ポッチャリしていて、役者の養成所のコーチや、親戚からも痩せたほうがいいと言われて。それでダイエットを始めたらエスカレートしていって、拒食症になりました。これを食べたら私は醜くなるし、みんなから嫌われるって…」。

50キロを超えていた体重は、30キロ台に落ち、筋肉が硬直して体が動かなくなった。髪の毛が抜けはじめ、生理も止まり、体が機能しなくなり「死ぬって思った」。「体が動かなくなって死ぬと思いました。死にたいっていう願望が、「生きたい」に変わって、どうしたら生きることができるんだろうって考えたときに、自分自身を生きようって思い始めて。その時初めて自分と向き合うことができました。苦しんでもがいて、落ちるところまで落ちたら、「あれ、もう下がない」ってなって。それから、自分を生きようって思い始めて、相手の顔色を見るのをやめたし、人の為って書いて“偽”じゃん、嘘ついてるじゃんって気づいて、これからは自分を表現してみようって思って、自分の好きなように生きていたら、生きることが楽しくなって。そうすると、それまで色を入れていなかった絵に色が付き始めたり、色々な人と出会うようになって、コミュニケーションが取れることが、本当に楽しくて。何をしても以前よりも喜びが増した感じがすごくしています。あの辛かった時期があったことも、私にとって必要なことで、いじめ、不登校、摂食障害で可哀想な私、というのを自分自身でクリエイトしてたんだなって、今なら思えます」。

「親子とはいえ、それぞれがそれぞれの人生を生きるべき。そう考えを改めると、全てが変わってきた」(母:恵子さん)

家族、家庭の状況が変化するとAOに変化が訪れ、AOが変わるとまた家族も変わってきて、全てがつながっていたのだと、母親の恵子さんは当時を振り返る。「ちょうどAOちゃんの摂食障害がひどくなって、自傷行為が出てきたときは、私も働いていました。それが本当にやりたかった仕事かというと、生活のために、人のために、無理を続けた“偽り”でした。親の私もそうやって生きてきて、そんな時にAOちゃんの状況が悪くなってきたから、これは親と子でリンクしていると思いました。それで私はAOちゃんのことを考えるのではなく、自分の人生を、主人は主人の人生を、それぞれがそれぞれの人生を生きないと、こういうことが起きるのかもしれないと思って、私は無理をしていた仕事をすぐに辞めました。それはある意味彼女が助けてくれたんだなって。「ママ違うよね、その選択」というところを、自分の体を犠牲にして、気づかせてくれたのかもしれないと思いました。そうして生まれた時間で、自分自身何に気づかなければいけないのかを、AOちゃんを見て感じたし、きっとAOちゃんも、家族の関係を見ながら考える時間になったと思うし、それで少しずつお互いがそれぞれを生き始めたら気づいたことがありました。私は私で、自分の母親はどういう子育てをしたんだろうという疑問に入っていきました。AOちゃんはイジメ、不登校、摂食障害を経験してきたけど、私も小さいときから居場所がなかったんですよね。だから私は自分の母親を反面教師にして、絶対にああいう子育てはしないと、理想の母親像を作っていました。AOちゃんにはそれを押し付けていたんだなって。でも結局は理想を掲げた自分自身と戦っていて、AOちゃんはAOちゃんで自分自身と戦っていて。この戦いを大至急やめようと思いました。弱い自分もオッケーだし、できない自分もオッケーなんだと。自分で作り上げてしまった理想像が子供を苦しめ、AOちゃんはAOちゃんでこんな女優になりたいという理想像があって、でもそこになかなかいけない自分がいて。私はいい母親になりたいのに、子供はどんどん悪くなるという悪循環に陥っていました。だから親からの連鎖というものもあるのかもしれないなって。その時に、摂食障害関連の本に書かれていた、親子関係も原因のひとつだということも納得できて」。

家族の物語だった。それぞれが色々な苦しみを抱えながら、ひとつ屋根の下で生活していて、それが悪い方向に出てしまい、一人ひとりの心を虚しさが支配していった。先日亡くなった漫画家・さくらももこさん原作の人気漫画「ちびまる子ちゃん」に、さくらももこさんが登場する回があるが、その中にこんな会話が出てくる。

コジコジ「おかあさんになるってどういうかんじ?子供のために人生ささげるって感じ?」

さくらももこ「冗談じゃないよわたしの人生はわたしのものだよ この子の人生とは別モノだからね でも仲よくしていきたいね」

まるこ「そうそう 仲よくするのが一番だよ」

出典:『ちびまる子ちゃん12巻』「まる子、自分のみらいを見に行くの巻」

「勝手にいじめと受け取っていたのかもしれない。摂食障害もみんなに気にかけて欲しいという承認欲求だったかもしれない。今はそう思える」

誰のものでもない、自分の人生という答えを導き出したことで、AOも家族も笑顔を取り戻していった。「嫌なことに囚われて、未来にしか期待していなかったけど、最近気づいたことが、今も楽しいけど、過去も未来も楽しいんじゃないかということで、そういう選択の仕方、物事をクリエイトするようになってから変わりました。いじめも、今の今になって気づいたのが、そもそも私の受け取り方だったんじゃないかなって。いじめっ子って、いじめたという記憶がない人が多いそうです。いじめた記憶がないということは、その子がそこに存在するための表現方法がそうだっただけなのかもって。先日、久しぶりにいじめっ子のボスに会ったら、案の定その話は出てこなくて、「絵描いてて、すごいね。世界一のアーティストになれよ」って応援してくれたんです。思うところはあったけど、嬉しかったからありがとうって言って。その子がそうやって言ってくれなかったら、こういう思考にならなかったと思うし。勝手にいじめと受け取ってごめんなさい、申し訳ないと、今となってはそう思えるようになりました。考え方は人それぞれ違うと思うけど、私は、私が被害者意識ではないけど、悲劇のヒロインを演じて、周りから心配されたかっただけなんじゃないかなと思って。摂食障害もみんなに気にかけて欲しい、見て欲しいという承認欲求だったんじゃないかなって」。

「生きるのが楽しくなって、もっと絵を描きたいという衝動に駆られ、絵の具を買いに行きました。すごく幸せな気持ちになって、それをみんなにシェアしたいと思った」

2017年までの作品
2017年までの作品
2018年からの作品
2018年からの作品

AOが描く絵は、2017年までと2018年からの作品に大きく分けられる。2017年まで描いた絵の人物には表情がない。色が欠けている。2018年からの作品はとにかくポップで、キュートさの中に漲るパワーを感じる事ができる。「生きるのがすごく楽しくなって、もっと絵を描きたいという衝動に駆られて、絵の具を買いに行きました。そうしたら、色の多さにびっくりして、世界が違って見えて、画材屋さんがキラキラしていて素敵でした。絵を描くのがすごく楽しくなって、幸せな気持ちになりました。だからみんなにシェアしたいと思って、インスタグラムを始めて絵をアップしたり、写真を撮ってカラフルにしたら、たくさんの人がイイねって言ってくださって。絵が欲しいって言ってくれたり、商品展開しないの?とか、色々な声をいただいて。そこから色々な人と出会って、知り合いとか仲間がワッと広がって、すごく嬉しかった。「あれ?昔は好かれようとして、めっちゃ頑張ってたはずなのに、好かれようとするのをやめて、自分のやりたいことを始めた瞬間から、どういうこと?いつの間にかこんなに楽しんでるじゃん」と思い始めて(笑)。世界が広がったことで、今を楽しんで生きている人が、こんなにいるんだってびっくりして、それがすごく嬉しい。昔は自分の中で善と悪を作ってジャッジしていたけど、色々な人の物語や人生を聞くと、そんなのありなのっていう生き方もたくさんあって、善悪とか関係なくて、みんな素敵すぎる、大好き!ってなって、昔は人間が大嫌いだったけど、今は大好きです」。

「AOちゃんは原点回帰して、今5歳くらいの無邪気な子供だと思います」(母:恵子さん)

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娘の“再生”を誰よりも喜んでいるのは、もちろん恵子さんだ。「生まれ持った才能を取り戻して、原点に戻った感じです。これまでの18年間で、幸も不幸もないと思いますが、身につけてきた経験や学び、技術が、もしかしたら生まれてきた瞬間にあったもの、原点を隠してしまったのかもしれない。気づかないうちに色々なバリケードを築いてしまったのかもしれない。それによって、AOちゃんはある意味一番下の、死を意識するところまで行ってしまい、過去の経験を受け入れた上で、これから生きるのに必要なもの、必要のないものを整理するというところから始まって、最終的に自分が持って生まれてきたものにもう一度、目を向けることができたのかなと。だから原点回帰。いま5歳くらいの無邪気な子供だと思います(笑)。もしかしたら大人の私たちも、5歳くらいの感じで、遊んで笑って生きているのが本当はいいのかなって。それが自分らしさだったりするし、それをAOちゃんが思い出させてくれて、私自身も原点回帰できたと思います」。

「日本全国をまわって伝統工芸に触れ、職人さんに会い、その素晴らしさを世界に発信したい」

クラウドファンディングサイト「CAMPFIRE」
クラウドファンディングサイト「CAMPFIRE」

AOは今年、旅に出ることにした。伝統や文化を学ぶために「日本全国まわって伝統工芸を見てそれを世界に発信したい」と、1月にクラウドファンディングを立ち上げた。するとたった一日で目標額の100万円が集まり、最終的には200万円を超える支援を受け、5月から日本全国を旅している。新たな出会いと刺激を求める旅は、これからも続いていくが、なぜ伝統工芸だったのだろうか?「最初は日本に生まれたから、日本に貢献したいと思ったし、日本のことをもっと知りたいと思って。私は勉強が苦手で興味がないので、美術のことをもっと知りたい、美術の職人さんに会いたいなって。ネットで簡単に調べることもできるけど、そこに本質を見つけ出せなかったので。やっぱり足を運んで職人さんと直接会って、お話して、素の部分を感じたかったので、旅をしようと。それに色々な世界や意見に触れて、自分の固定概念も壊したかった。それでクラウドファンディングのことを知り、支援をお願いしました。お会いする職人さんがとにかく濃くて、素敵な方ばかりで。想いも、その空間も素敵だし、職人さん以外に出会った方も素敵な方ばかりで、本当に楽しい。今まで、こんなに楽しい世界があることに気づかなかったのが、もったいないと心から思います」。

「演技にもっと力を入れたい。もちろん絵も描きたい。どの道から行っても景色は美しいし、神秘的だと思う」

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そんなAOが生みだす絵が話題になり、今企業などからコラボレーションのオファーが殺到しているが、彼女はこれから演技にもっと力を入れていきたいという。表現することが好きだった少女が、きっかけは複雑だったが、最初に目指した場所でもある。「女優さんをメインでやりたい。お母さんと話していたのが、どの道から行ってもいいよねっていうことで、どの道から行っても景色は美しいだろうし、神秘的なものになるだろうし、実際にそうだったから。だから私は絵を通して色々な人とつながることができたし、出会えたから、絵があってよかったと思っています。でもこれからは女優さんの道をしっかり勉強していきたい。私は非日常がものすごく好きで、自分の生きている世界と違う世界を想像して、そこを生きるのが好きで、それを演じている自分を俯瞰して見るのが好き。いつもと違う自分というか、色々なものになれるからすごく楽しいし、色々な世界が見えて、めちゃカラフルだし。もちろん絵は描き続けるし、時々個展も開いてみたい」。

18歳という今を詰め込んだ、初の書籍を発売。初の個展も開催

初の書籍『#AO』(9月1日発売)「18年間で経験した学びや気づきを表現しています。私のエネルギーと愛が、たっぷり作品に注がれているので、ぜひ、見て感じてください!」
初の書籍『#AO』(9月1日発売)「18年間で経験した学びや気づきを表現しています。私のエネルギーと愛が、たっぷり作品に注がれているので、ぜひ、見て感じてください!」

AOの想いが綴られた書籍『#AO』が、9月1日に発売される。今も続けている旅を切り取り、これまで制作した作品の数々を収録し、18歳という今を詰め込んでいる。また本の発売日には、初めての個展の開催も決定している(9月1日、2日/東京・港区Ao Birth Clinic)。

彼女の最大の武器は18歳という若さでもある。色々なことにチャレンジできるし、その才能をあらゆるシーンで発揮できる。「自分の力は無限大ということに気づいてから、夢を決めなくなりました。女優さんはやりたいですけど、昔はそれに執着しすぎて自分の可能性を狭めていたから、自分の可能性が無限大ということに気づいてからは、特に夢を決めなくていいんじゃないかなと。もちろん表現をして生きたいというのはあるけれど、でも囚われることも依存することもしないという感覚でいると、面白いものをたくさん見つけられるようになりました」。

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彼女の生き方や考え方に触れることで、救われる人もいるはずだ。幸せになるためのヒントを見つけることができる人も、きっといるはずだ。「昔は口角が下がりっぱなしだった」(恵子さん)というAOは今、思い切り口角を上げ、笑顔で、自身がこれまで「気づいた」ことを人に伝える場所に、積極的に出かけていき、伝えている。自由になった彼女は強く、そしてどこまでも魅力的だ。

AOオフィシャルサイト

音楽&エンタメアナリスト

オリコン入社後、音楽業界誌編集、雑誌『ORICON STYLE』(オリスタ)、WEBサイト『ORICON STYLE』編集長を歴任し、音楽&エンタテインメントシーンの最前線に立つこと20余年。音楽業界、エンタメ業界の豊富な人脈を駆使して情報収集し、アーティスト、タレントの魅力や、シーンのヒット分析記事も多数執筆。現在は音楽&エンタメエディター/ライターとして多方面で執筆中。

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