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【「鬼滅の刃」を読む】江戸時代における遊郭へ入店した後のシステムとは

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
吉原遊郭の名残である見返り柳。(写真:イメージマート)

 「鬼滅の刃」遊郭編は、煌びやかな遊郭の情景を描いている。「遊郭編」の予備知識として、江戸時代以降、遊郭はどのように発展したのか紹介することにしよう。

■遊郭の入店システム

 最初に、遊郭への入店から以降の流れなど、システムについて触れておこう。江戸の吉原(東京都台東区)の最高ランクの遊女は、「呼出し昼三(ちゅうさん)」と称された。

 その揚代(遊女や芸者を呼んで遊ぶときの代金)は、1両1分だったと言われている。これを現代の貨幣価値に換算すると、15万円程度になるので、高いと言わざるを得ない。

■低価格な夜鷹

 吉原との比較のために、低価格の夜鷹の例を挙げておこう。夜鷹とは売春婦の一種で、夜になって道端で客引きをし、仮小屋または茣蓙の上で情交した。

 その揚代は、24文(3~4百円)だったという激安ぶりだった。夜なので遊女の顔が見えず、高齢の女性が混じることも珍しくなかった。

 夜鷹が出没するのは本所吉田町(東京都墨田区)で、客は武家・商家の下級奉公人や下層労働者だった。夜鷹狩りという取締りは、しばしば行われたという。

■格式高い大店

 江戸の新吉原で、もっとも格式の高い遊女屋が大店(大籬見世:おおまがきみせ、総籬:そうまがき)である。大店は高いランクの遊女を抱えており、張見世(後述)をせずに客を募った。

 店の内部は上り口の格子(籬)がすべて天井まで達しており、間口、奥行はもっとも大きかった。

 中見世は上り口の格子の高さが大籬の2分の1から4分の3ぐらいで、小見世は格子の高さが大籬の2分の1以下だった。

 張見世は、遊女屋の入口脇に設けられた部屋で、遊女が盛装して並び、客から声が掛かるのを待つものである。

■揚代のランク

 新吉原初期では、遊女のランクによって、揚代が決まっていた。大見世の遊女は、次のとおりである。

・太夫(1両1分=約15万円)

・格子太夫(3分=約10万円)

・格子(2分=約6万5千円)

 中見世の遊女は、次のとおり。

・散茶(3分=約10万円)

・局(2分=約6万5千円)

 小見世の遊女は、次のとおり。

・端(1分=約3万3千円以下)

 むろん、以上の揚代は一つの目安に過ぎない。

■高級遊女との遊興

 江戸吉原で高級遊女と遊興する客は、最初に引手茶屋に行き、芸者、幇間(ほうかん)らを招いて飲食をした。幇間とは男芸者のことで、酒席で座興を披露した。

 やがて、指名の遊女が引手茶屋に迎えに来るので、適当なところで遊興を切り上げて、遊女屋へ行くのが普通の形式だった。

 吉原には、五十軒茶屋、編笠茶屋、揚屋茶屋などの茶屋があったという。

■まとめ

 遊女にはランクがあり、相応の金額となっていた。とはいえ、遊女と遊ぶのは吉原だけではなく、もっと手軽な場所もあった。その点は、いずれ取り上げることにしたい。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書など多数。

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