第三次世界大戦の渦中にいると思わされた6月最後の1週間
23日から30日まで6月最後の週は、米国を中心とする世界と中国・ロシアを中心とする世界がそれぞれの立場を主張し、それぞれの結束を確認し合う1週間だった。我々は真っ二つとなった世界の戦いの渦中にいることを認識させられた。
具体的には26から28日まで米欧日によるG7首脳会議、続く29から30日までNATO(北大西洋条約機構)首脳会議がアジア太平洋4カ国首脳も交えて開かれ、その一方で直前の23から24日にかけて中国を議長とする新興5カ国(BRICS)がオンラインで首脳会議を行い、習近平国家主席が米国に対する対決姿勢を鮮明にした。
これは第二次世界大戦後に米国とソ連を中心とする東西両陣営が対立した冷戦時代を思い起こさせ、「新冷戦時代の到来」と表現する向きもあるが、しかしあの時代は米ソが直接に戦争することはなく、「熱戦」ではない「冷戦」だった。
現在のウクライナ戦争は、米軍とロシア軍が直接戦っているわけではないが、軍事情報をはじめ武器の提供に至るまで米国が全力を挙げてウクライナを支援しており、事実上の米露総力戦である。
しかも米国は世界にロシアに対する経済制裁を呼びかけ、それに37か国が参加しており、ロシアから見ればそれらの国々は総力戦の敵側となる。その一方でBRICSのメンバーである中国やインドは、ロシアからの輸入を増して経済制裁の効果を妨げ、世界中が米露総力戦のどちらかに組み込まれている。
因みに経済制裁をしているG7陣営と、していないBRICS陣営を人口比で見れば、世界の15.18%と84.82%となり圧倒的にBRICS陣営の人口が多い。購買力平価GDPでみれば、43.7%と56.3%となり、ハイテク分野ではG7陣営に軍配が上がるが、経済の成長力から言えばBRICS陣営が勝る。
その両陣営が対立し、ウクライナでは日々「熱戦」が繰り広げられている。戦場がウクライナから拡大する可能性もないとは言えない。これは「新冷戦時代の到来」と言うより「第三次世界大戦」が始まったと見るべきだ。
ローマ・カソリック教会のフランシスコ教皇は、これまでロシアのウクライナ侵攻を批判してきたが、6月14日に興味深い発言をした。「私にとって第三次世界大戦はすでに始まっている」と言ったのである。
ローマ教皇は「我々が目にしているのは、世界戦争の状況、つまりグローバルな利害対立、武器取引、地政学的な駆け引きであり、それが英雄的なウクライナ国民を犠牲にしている」と言い、戦争の原因を「おそらく挑発されたか、あるいは防ぐ努力がなされなかった」と述べた。
そして「誰かが私を『プーチン寄りだ』と言うかもしれないがそれは違う。私は根源的な原因や利害対立を考えることなく、単純な善悪二元論に還元してしまうことに反対している」として、「状況を一段と複雑にしているのはある『超大国』の直接的な介入だ。自国の意志を押し付けようとする行動は、民族自決の原則に反する」と述べた。
さすがにローマ教皇の目は「節穴」ではないと思った。2月24日のロシア軍のウクライナ侵攻が始まった途端、西側メディアは「狂ったプーチンの帝国主義的侵略戦争」と批判し、プーチンに「第二次大戦後の国際秩序を破壊する大悪人」のレッテルを貼った。
メディアがこのように個人の悪を徹底追及する時は、背後に必ず問題の本質を見えなくさせようとする巨大な力が存在する。善悪二元論は分かりやすいので大衆を盲目にするのに都合が良い。大衆は悪を否定し正義を主張することに快楽を感じ、その背後にある根本の問題に目が向かなくなる。
大衆が正義を信じ「悪者叩き」をやる時ほど恐ろしいことはない。私の経験で言えば、ロッキード事件の時の「田中金権批判」がそうだった。田中逮捕に対する疑問など口に出せない状況が生まれ、国民は何の根拠もなく田中を叩けば政治がまともになると信じ込んでいた。そして誰も問題の根源に迫ろうとはしなくなった。
ローマ教皇は善悪二元論を戒め、問題の本質は『超大国』の介入にあると見ている。そこには地政学的な駆け引きで戦争を起こさせ、そこから利益を得ようとする軍需産業の存在が示唆される。それが第三次世界大戦はすでに始まっているというローマ教皇の考えに繋がる。
では我々が渦中にいる第三次世界大戦は何を巡る戦いなのか。第一次世界大戦はアジア、アフリカを植民地にした西欧帝国主義諸国間の戦いだった。英国、フランス、ロシア帝国とドイツ帝国、オーストリア・ハンガリー帝国、オスマン帝国が戦い、その結果、帝国主義国は消滅し、ロシアには共産主義ソ連が、ドイツにはファシズムのヒトラー政権が誕生した。
第二次世界大戦は、自由民主主義の米英と共産主義のソ連が手を組み、ファシズムのドイツと日本を打倒した。その結果、世界は自由民主主義の米国と共産主義のソ連が対立する冷戦時代を迎える。それが1991年のソ連崩壊で共産主義が自滅し、自由民主主義だけが生き残った。
自由民主主義は市場経済と民主主義政治を基礎とするが、ソ連崩壊後に唯一の超大国となった米国の中に徹底した利益追求を至上命題とする新自由主義と、それを世界中に拡散させるグローバリズムが生まれた。それは人類の普遍的価値と考えられる民主主義、法の支配、基本的人権を広めようとする思想でもあるから誰も反対ができない。
ソ連崩壊後に大統領に就任した民主党のクリントン大統領がその先導役を務めた。しかしクリントンは初めから新自由主義とグローバリズムの信奉者だったわけではない。当時は米国経済より日本経済が輝いていた時代である。クリントンは大統領に就任する直前にアーカンソー州で「経済会議」を開き、全米から経済学者、経営者、労働組合の代表らを集めて米国経済活性化の方策を話し合った。
その時ゲストに招かれたのがグレン・フクシマら日本の米国商工会議所メンバーで、彼らはなぜ日本経済が好調なのかを説明し、クリントン夫妻は熱心に耳を傾けた。それを見て私は「明治以来欧米に追いつくことを目標にしてきた日本に米国が追いつこうとしている」と思い感慨にふけった。
そして結論は日本の「国民皆保険制度」を真似すべきとなった。クリントン政権は福祉に重点を置こうとしたのである。ファーストレディのヒラリーが担当することになり、ホワイトハウスの中にヒラリーを頂点とするチームが誕生した。ところが94年の中間選挙で民主党は大敗、その原因が「国民皆保険制度」の導入にあると総括された。福祉政策は社会主義的だと国民から反発されたのである。
するとクリントン夫妻は「大きな政府の時代は終わった」と宣言し、一転して共和党の新自由主義を積極的に取り入れ、IT革命を起こして情報分野での米国覇権を狙うようになる。その変わり身の速さに、政治は変幻自在でなければ務まらないのだと思い知らされた。
そしてクリントンは「21世紀はグローバリズムの時代」と言い、米国の価値観を世界に広めることに専念し始める。日本経済の真似をしようとしたクリントンが、一転して日本型の経営を批判し、米国型への転換を迫ってきたのである。日米関係にとってはあそこが分岐点だったと私は思っている。
クリントン政権は「年次改革要望書」を日本政府に突き付け、労働力の流動化を促すために「年功序列賃金」や「終身雇用制」を見直して非正規労働者を増やす方向に転換させる他、米国企業を参入しやすくする規制緩和と公的機関の民営化を促してくる。世界一格差が少ないことを自負してきた日本経済はみるみるうちに格差社会に変質していった。
そして外交面では、米軍を「世界の警察官」として各地の民族紛争に介入させ、米国型民主主義の拡大を図り、欧州ではロシアと対峙していたNATOを東方拡大することで、ロシアを米国型の民主主義国家に転換させようとしたのである。
ロシアのプーチン大統領は当初は米国にもNATOにも融和的でNATOの意思決定機関にも参加する立場だった。しかしブッシュ(子)政権時代の2008年に米国がウクライナをNATOに加盟させようとしたところから関係が悪化する。
そしてオバマ政権時代の2014年にウクライナで親露派政権を打倒する「マイダン革命」が起きた時から、米露間には戦争の様相が強まった。米国は英国と共に軍事顧問団をウクライナに派遣してロシアとの戦争に備えさせた。だからウクライナ戦争は今年の2月24日に突然始まった訳ではなく、その時以来の戦争なのである。
プーチンの米国に対する批判は、米国の価値観を他国に押し付けるグローバリズムにある。昨年の「ダボス会議」でオンラインスピーチを行ったプーチンは、新型コロナウイルスによるパンデミックが世界を危機に陥れた事実を認める一方、パンデミックが問題の原因ではなく、新自由主義のグローバリズムが社会的不均衡を生み出し、パンデミックがそれを拡大させたと主張した。
そしてプーチンは、米国の巨大IT企業が国家を超える存在となり、第4次産業革命で公共の利益には合致しない危険な社会管理をもたらすと警告した。その考えの根底にあるのは、世界を米国型の価値観で統一するのではなく、文化的なアイデンティティを基本とする「文化圏」を共存させるという「新ユーラシア主義」の思想である。
プーチンは、ロシアはアジアでも欧州でもない「ユーラシア文化圏」を代表し、欧州は「欧州文化圏」、中国は「中華文化圏」、米国は「北米文化圏」の国家として独自の価値観を追求すべきと考えている。
この考え方は「アメリカ・ファースト」を訴え、グローバリズムよりナショナリズムを重視したトランプ前大統領の主張と重なる。と言うことはバイデンが最も敵視する考え方と言うことになる。つまりウクライナで戦争が起きたのは、米国の価値観による世界統一を考えるバイデンと、それを阻止しようとするプーチンの思想が衝突したと見ることができる。
24日にBRICSの拡大首脳会議で習近平国家主席が行ったスピーチは、米国を名指しするのを避けながら、それでもはっきりわかるように「一部の国」という表現で、「一部の国は利己的な安全保障のために軍事同盟を拡大し、他国の権利と利益を無視する。また自らの覇権を維持するため、一方的に制裁し、科学技術を独占し、他国の発展を妨害するが、その試みは機能しない」と述べた。
バイデン政権が進めるロシアに対するNATOの拡大や、中国に対するAUKUS(米英豪)の軍事同盟をけん制し、どこまでも覇権を追求する米国の姿勢を批判し、最後に「我々は新興国と途上国の代表として責任ある行動を取る、それが全人類にとって極めて重要な方向を決めていく」と結んだ。
こう見てくると我々が立っている地点は、ソ連崩壊後の米国に生まれた新自由主義とグローバリズムによって米国の一極支配を続けさせるのか、それとも多極化した世界を作るのかの分岐点にあることが分かる。
岸田総理は新自由主義からの脱却を図るのかと思わせた「新しい資本主義」を掲げて見せたが、結局は従来のアベノミクスとほとんど変わらないことが分かった。そしてウクライナ戦争を巡っては深々とバイデン政権に寄りそう姿勢を見せている。
かつては利益至上主義ではない「三方よし」の日本型経営で経済成長し、世界一格差の少ない経済大国を実現した日本だが、第三次世界大戦では米国の一極支配を支持する陣営に色分けされることになる。それで良いのかどうか、今一度立ち止まって考える必要がある。