教育現場は「デジタル化」から脱却せよ 富士ゼロックスの教育セミナーを語る
11月19日、産経新聞に「【教育はいま】脱ハンコで学校のデジタル化加速」と題する記事が掲載された。
10月、文部科学省は学校現場の保護者との連絡の「デジタル化」を求める通知を、都道府県や全国の教育委員会に送った。菅政権が政策目標とする「デジタル化」では、行政手続きのはんこ使用の99%超を廃止する方向だが、現在は、学校現場が保護者と交わす書類の多くには、押印が求められている。学校では、相談や連絡について紙の連絡帳を使うよう求めているが、時間と労力の無駄である。押印だけでなく、教育効果に関係のないすべての業務には、抜本的な変革を起こすべきである。
そこで筆者は、富士ゼロックスと共同して「GIGAスクール構想実現後の教育現場を考える」というテーマの無料WEBセミナーを企画した。実のところ、教育現場の業務改革を実現するには、「デジタル化」という考え方では、うまくないからである。教育関係者向けのセミナーという立てつけではあるが、あくまでも原則なので、働き方改革などに関心のある企業・一般の方々にも、ふるってご参加いただきたい。
どうも日本では、昔からIT化とかクラウド化、それから商品の差別化などといって、「化」の発想をしたがる傾向がある。しかしながら、化けた結果が化け物となり、逆に業務やビジネスが混乱した例は、少なくない。そのような落とし穴に嵌らないよう、テクノロジーの取り扱い方を学んでおく必要がある。
目的は子供の成長であって「デジタル化」ではない
先日、筆者は「ローマ教皇が祈るAIとロボットの有効活用 キリスト教の目的とデジタル世界」という記事の中で、最近はやりのDX(デジタルトランスフォーメーション)について、簡単に説明した。DXのような知らない言葉を目にすると、その瞬間にページを閉じようとする人もいるようだが、自己防衛のためにも少しだけ堪えてほしい。
まずもってDXは、アナログの「デジタル化」ではない。よって、多くの教育現場で行われているような、黒板の電子黒板「化」でもなければ、iPadの配布による紙の電子「化」でもない。本当の意味は (1)トランスフォーメーション(変革)を (2)デジタルなテクノロジーで実現すること という意味である。よって筆者は、DXを Digital “for” Transformation として捉えることをお勧めしている。
変革は、それによって効果が現われるときに、行われるべきだ。したがってDXは、それに取り組むべき業務と、そうでない業務とに切り分けたあとに、とり行われるのである。富士ゼロックスのセミナーに登壇するリグリットパートナーズのコンサルタント、土田敬太ディレクターは、業務改革の専門家として名高い。かくして今回のセミナーは、富士ゼロックスの商品の導入を目的としたものではなく、導入前の考え方を知って頂くためのセミナーなのである。
人間的成長を目指す教育の現場には「デジタル化」すべきでない仕事もまた、存在する。かねて富士ゼロックスは、ドキュメント、すなわち紙と電子の融合を目指して、ビジネスを行ってきた。ドキュメントという言葉の語源は、ラテン語の docare であるが、実にこれは「教えること」を意味する。セミナーでは、群馬大学の柴田博仁教授が、認知科学の観点から、紙のメディアを用いた教育効果について説明する。何でもかんでも電子化すればよいというものではないのだ。
政府はデジタル庁をつくり、日本のデジタル化を推し進めようとしている。その方針には大賛成ではあるが、何のためのデジタル化なのかについては、常に意識される必要がある。よって、デジタル庁に民間から登用する人材には「高度なIT人材」ばかりではなく、変革の意義を考える人材もまた、必要である。テクノロジーという手段は、目的があってはじめて有効となる。目的の明確化なくして、「デジタル化」のみを推進するようなことは、あってはならないのである。
教育効果を高めるプロセス
生産性とは、一定の労働時間あたりの生産価値である。ゆえに、生産性が高い状態とは、あまり働かなくても価値が生まれている状態を意味する。つまるところ、生産性の低い仕事が少なく、生産的な仕事に集中できることが、生産性の向上には不可欠なのである。教育においては、生産価値の高さは教育効果の高さを意味すると考えて、差し支えない。
したがって現場の教師には、あれをしろ、これをしろと、業務を押しつけてはならない。その逆であり、労働時間の多い現状においては、あれをするな、これをするなと、具体的に指示しなければならない。具体的というのは、現場の裁量に任せるのではなく、やらなくていいように仕組みを整え、その仕組みを活用してラクをする方法を、教えることを意味する。現場に改善・改革の仕事を増やせば、パンクするだけである。
順序は、「なくす」「けずる」そして「ふやす」だ。まずは、教育活動に関係のない無駄な業務を一掃し、教師を労働から解放するのである。その仕事は、DXを進める選任組織が行わなければならない。これをDX推進室といい、非生産的な組織を中心に広めていきたいというのが、かねて筆者の考えていたことである。教育の分野にも、DX推進室は必要と思われる。
業務レベルの改善はDX推進室が行うべきだが、作業レベルにおいては、個人あるいはチームの裁量に任せる必要がある。個々の作業は、はたから同一に見えても、実際には異なるからである。考え方は「すべての作業を1分削る」である。例外なく、すべての作業だ。100ある作業を、すべて1分削ることができれば、1時間40分もの時間が削減できる。福井の小学校に勤務する江澤隆輔先生のアイディアは、大いに参考になる。負荷が多くても諦めずに、作業を細かく改善する。これもまた、技術のうちだ。
現場の先生の労働時間は、詰めつめで8時間ではいけない。ゆとりをもたせて、4、5時間程度まで削減するのである。理由は明確であり、教師はよりよい教育のために、様々な知識を得つづける必要があるし、子どもたちとのコミュニケーションもまた、大切にしなければならない。つまり教師は、最終的には、より効果の高い教育を考える仕事を「ふやす」のである。実際に教師は、そういう時間を過ごすために、教師を志したはずだ。彼らの好きな仕事とは、教育そのものなのである。
「うちはちゃんとやっている」と、反論されるかもしれない。本当にそうなら、嬉しいかぎりだ。しかし、思うのである。AI-OCRによる採点業務の自動化。ロボットによる教育機会の創出。360度カメラの部活への応用。教員間のドキュメントの相互参照。保護者と教師との関係性強化。チャットボットによる問合せ対応の自動化。データ分析によるいじめ等の問題の予見。問題のまったくない組織など世の中に存在せず、それを解決するために、テクノロジーは日々進歩していく。だから筆者は、教育現場に限らず、困っている人が存在するかぎり、そこに駆けつけたいと思っている。
最後に、富士ゼロックスの営業社員がこの記事をみているのなら、気軽に連絡してほしい。それから、このセミナーをお客さんに案内してほしい。困っている人がいるのなら、一緒に行こう。互いに知恵を出し合おう。変革のさなか、色々と不安もあると思う。それでもなお、人の幸せを第一に考えるあなたがたの仕事は、たしかに尊いのだから。