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狙い撃ちされたイラン人 消えない負の記憶と忘れられる権利

南龍太記者
日本語に併記されたペルシア語の注意書き(筆者加工)

 高まる米国とイランの緊張関係は、1979年のイラン革命と米国大使館人質事件をめぐる対立を彷彿とさせる。80年代にイラン・イラク戦争へと発展し、余波は90年前後にイラン人の大量流入という形で日本にも及んだが、その出来事は遠い過去になりつつあり、史実を直接知らない世代も増えてきた。

 一方で彼らが確かに息づいていたことを示す証拠が、上野公園に四半世紀の長きにわたって人知れず残されてきた。その歴史の中のイラン人は、迷惑行為や犯罪を行った人たちとして、往々にしてネガティブな文脈で伝えられる。個人で言えば、消し去りたい「黒歴史」であり、「忘れられる権利」を主張したくもなるような過去だろう。

 30年ほども前に書かれ、消されずに残ったペルシア語が、今に伝え、訴えかけるものとは何だろうか。

 記事にすること自体が、彼らにとって「忘れられたい」過去を、ほじくり返し、傷口に塩を塗るような行為だと承知しながら、敢えて問う。今後いよいよ多くの外国人が日本に住むようになる時代を迎えるに当たって――。

(※ 注意書きがある地点を示すグーグルストリートビュー

「入らないで」

 東京都台東区の上野公園内、不忍池の方向を指す標識の脇にある「京成上野駅駐車場」の入り口。「立入禁止 管理者」と掲げられた注意書きの下には「ミミズがのたくったよう」と形容されるアラビア文字の文章が2行にわたって記されている。イランの公用語、ペルシア語だ。

 多くの人には意味不明、あるいは意味が分からなくてもよい内容で、

ヘンガーメ シャブ ベ イーン マカーン ヴァーレド ナシャヴィード. ダーヘル ナシャヴィード.

Hengaame shab, be iin makaan vaared nashaviid. Daakhel nashaviid.

(夜はこの場所に入らないでください。入らないでください)

と警告している。2020年、今となってはますます、ほとんど全ての人にとって何の効果も、必要さえもない言葉の羅列だ。

 なぜ、このような注意喚起をしたのか。

 一時期はペルシア語でそう書き出さなければならない、よほどの事情が運営側にあったようだ。

4万人のイラン人

東京・上野公園周辺。京成上野駅から西郷隆盛像へと続く階段は、働き口の情報を求める二、三百人のイラン人に占領されている。

 そう伝えたのは1992年の3月31日付の読売新聞。“占領”という物々しい言葉が使われたが、同紙に限らず、その頃は各紙の見出しに「イラン人」の文字が躍ることは少なくなかった。多くは「偽造テレカ」「覚せい剤」「不法滞在」「逮捕」といったマイナスの言葉と共に、東京を中心に暮らすイラン人のあれこれが伝えられた。

 どこまでさかのぼるかにもよるが、イラン人大量来日の発端は1979年2月、親米の王政国家だったイランが、革命によって180度違う反米国家となったことだ。厳格なイスラム法にのっとった体制へと転換してまもなく、同年11月に在イラン米大使館がイラン人学生らに占拠され、館員らが人質となった。

 その後、米国や欧州、ソ連など大国の利害と思惑が複雑に絡み合う中、イラクがイランの空軍基地を攻撃してイラン・イラク戦争が80年に勃発した。88年に終戦を迎えるまでの8年間にイラン国内は疲弊した。

 職にあぶれた20代、30代の若者は、生計を立てる名目のもと、バブル景気に沸く日本へと大挙してやって来た。日本で稼げるとのうわさがイラン国内で広まるなどして、来日するイラン人は一気に増加。査証(ビザ)が免除されていたことも背景に、90年まで1000人ほどだった日本国内のイラン人は91年に1万人を突破、翌92年には一気に4万人を超えた。

日本にいるイラン人の外国人登録者と非正規滞在者、筆者作成
日本にいるイラン人の外国人登録者と非正規滞在者、筆者作成

 ただ、グラフから分かるように、その大部分は非正規滞在者が占め、もともとは「観光」を主とした短期滞在の資格で来日するイラン人が大半だった。

憩いの場、情報収集のつもりが…

 つてがなく、日本語も話せないイラン人が、憩いや情報を求めて同胞と「群れる」のはある意味、自然だった。その適地とされた1つが上野公園で、原宿・代々木公園と並び、情報交換をする一大拠点と化していた。

 当時、お花見シーズンで賑わう上野公園にいたイラン人に対し、

 「日本人は集団で花見をしながら酒を飲む習慣があります。これらの集団に同席しますと、トラブルの原因になりますので注意して下さい」

 「花見客が大勢通りますので、この辺にたむろしないで下さい」

 「この時期は酒を飲んでいる人が大勢います。これらの人たちとトラブルを起こさないように注意して下さい」

とわざわざペルシア語によるパンフレットを警視庁上野署が作ったと報じていた朝日新聞の記事もある(1992年3月26日付)。イラン人がいかに多く集まり、目立っていたかを物語っている。

 冒頭の立入禁止の注意書きはその名残、歴史そのものだ。ここで先ほどの2文を読み返せば、その意味が理解できるのではないだろうか。すなわち、数百人規模で上野公園を訪れ、「占拠」という言葉で表現されるほどに膨れ上がったイラン人の集団、その一部が夜な夜な地下駐車場でたむろしていた――。

(注意書きが掲げられた駐車場の入り口が写ったツイート)

 戦争で疲弊しきったイランとは異なり、当時の日本はバブル景気に沸き、人手不足が叫ばれていた頃。労働資格がないながらも働こうとするイラン人と、それを受け入れる勤め先が相当数マッチした。

 ただ、90年代に入ってバブルが弾けると、働き口が減るとともに、当局の監視も厳しくなり、多くのイラン人が強制送還されるに至った。その推移は、先のグラフが示す通りだ。

国外に見る希望

 特定の人種や民族が、ある地域で急増、顕在化することで、既存の住民らから不安がられたり、職を奪われるとして反感を招いたりするケースは、多かれ少なかれどの国にも起こり得る。1990年前後に来日したイラン人は、それを如実に示した例だったとも言える。

 ビザ免除がなくなった今、再びイラン人が日本に大挙してやって来るケースは考えにくい。しかし今のイランの置かれた国際情勢や自国の経済状況を踏まえれば、国外に出ようとする若者らが相当数いるはずで、その希望者は今後の情勢次第で増える可能性もある。

 「夜は入らないでください」。

 イラン人のみがターゲットにされて警告されたこと、そして彼らの多くが帰国して不要となってもなお警告文が掲出され続けてきたこと、その意味をずっと考えている。

記者

執筆テーマはAIやBMIのICT、移民・外国人、エネルギー。 未来を探究する学問"未来学"(Futures Studies)の国際NGO世界未来学連盟(WFSF)日本支部創設、現在電気通信大学大学院情報理工学研究科で2050年以降の世界について研究。東京外国語大学ペルシア語学科卒、元共同通信記者。 主著『生成AIの常識』(ソシム)、今年度刊行予定『未来学の世界(仮)』、『エネルギー業界大研究』、『電子部品業界大研究』、『AI・5G・IC業界大研究』(産学社)、訳書『Futures Thinking Playbook』。新潟出身。ryuta373rm[at]yahoo.co.jp

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