文科省の「道徳の時間は真偽を教える時間ではない」発言が誤解されている部分と、文科省が誤解している部分
■「江戸しぐさ」に関する文科省担当係長の発言が誤解されている部分
文部科学省・教育課程課の担当係長の発言「道徳の教材は江戸しぐさの真偽を教えるものではない。正しいか間違っているかではなく、礼儀について考えてもらうのが趣旨だ」に対して、道徳で嘘を教えてはダメでしょうと、批判が起きています。
文科省の「道徳は江戸しぐさの真偽ではない」に騒然...「めちゃくちゃな理屈」「道徳って何だ」「教育的ではない」批判噴出Yomerumo:2016/04/05
しかし、文科省が言いたいのは、「ニュートンのリンゴの話だって、コロンブスの卵の話だって、道徳の時間で史実かどうかの真偽は問わないでしょ。でも人としての大切なことが学べるからいいでしょ」ということではないかと思います。そういうことなら、その点はその通りだと思います。
この点を誤解したまま文科省発言を批判してしまうと、ニュートンのリンゴの話もコロンブスの卵の話も、桃太郎も金太郎の話もダメなのかと、誰かが怒って再反論しに来そうです。
子どもが読む伝記も、大人から見れば「きれいごと」に見える部分があります。しかし子どもが読むにはちょうど良い表現を使っているということです。各年齢の子どもには、その発達段階に応じた教え方があるのです。道徳において、その記述が史実通りかどうかの真偽は、たしかに問わなくても良いでしょう。
それらは、史実通りではないかもしれませんが、悪い意味の嘘ではありません。ニュートンもコロンブスもエジソンも実在し、偉業を成し遂げました。子ども向けの話は、それをわかりやすく子どもに伝えるための物語です。それは、子どもたちも成長すれば分かることでしょう。
あるいは、フィクションをフィクションとして教えるなら良いでしょう。NHK道徳テレビ「ざわざわ森のがんこちゃん」は、恐竜やワニがおしゃべりしていますが、みんなフィクションとしてわかっています。これを、恐竜も会話ができたのは事実と教えたらいけないでしょう。
■文科省担当係長が誤解している部分
道徳の時間は、たしかに歴史学上の真偽を教える場ではありません。しかし、「江戸しぐさ」の話を他の有名な逸話と同じように考えるのは、間違いです。
ニュートンのリンゴやコロンブスの卵の話は、誰かがきっかけを作り、自然発生的に物語が完成し、広まっていったものでしょう。それは、史実ではないでしょうが、道徳の教材として使えると思います。
しかし「江戸しぐさ」は、一つの団体が陰謀論とともに考え出した物語と言えるでしょう。もしもニュートンのリンゴの話が、リンゴ業者によって作られ、しかも「リンゴの話が今まで知られなかったのは秘密結社ミカン党の某略によるのだ」と主張していたらどうでしょうか。
そのリンゴの話がどんなに良くできた話でも、この話を教科書に載せることは不適切でしょう。「江戸しぐさ」も、その類の話です。このような作り話を事実として教わってしまうのは、子どもが大人になっても納得できないでしょう。文科省の担当係長は、この点を誤解しているのではないでしょうか。
・・・本当に誤解なら、丁寧に説明して誤解を解けば良いことです。ただ、文科省の課長や係長はとても優秀な人たちです。こんな誤解をするだろうかとも思います。
「江戸しぐさ」教材は、すでに大量に作られ使用されています。文科省の担当者は実はすべてがわかっていて、しかし文科省の体面や先輩の名誉を守るために誤解しているふりをしているのではないかとも、疑いたくなってしまいます。
文科省には、子どもの手本となるような、誠実な説明を求めたいと思います。
→「江戸しぐさ」についてもっと詳しく
「江戸しぐさ」が道徳教材に残る:文科省の回答への反論:コロンブスの卵は良くても江戸しぐさがダメな理由(江戸しぐさはやめましょう3)